プロ野球選手を”2度”引退した古村徹さん。セカンドキャリアとして、ケガで苦しんだ現役生活の経験を活かし、子どもたちにケガをしない準備やフォームを教えています。球団職員として働きながら、パラレルキャリアも実践。自分のやりたいことに積極的にチャレンジしています。
そんな古村さんにセカンドキャリアやパラレルキャリアについてうかがいました――
古村徹さんプロフィール
神奈川県平塚市出身。2012年に横浜DeNAベイスターズへ入団。2014年に現役を引退。その後、打撃投手としてチームに残留するも、2016年に現役へ復帰し、独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツへ入団。2018年には富山GRNサンダーバーズへ入団し、サイドスローからオーバースローへフォームを戻し球速150km、防御率2.60を記録した。同年に入団テストを受験し、2019年より古巣横浜DeNAベイスターズへ復帰。2020年現役を引退し、2021年1月より球団職員として自身の経験を活かし野球教室など子どもたちの育成、指導に従事。並行して芸能事務所にも所属し、モデルなどの活動もおこなっている。
プロ野球選手からのセカンドキャリア
ーー古村さんは現在、株式会社横浜DeNAベイスターズの野球振興部に所属しています。具体的にはどのようなお仕事をされているのでしょうか?
球団が運営しているスクールで、5歳くらいから12歳までの子どもたちに野球を教えています。学校が終わってから16時半~20時半まで教えています。
それぞれに担当があり、僕は水曜日に球団事務所の近くにある本牧市民公園と、鶴見にある入船公園をメインに担当しています。公園との事務的なやり取りもしています。
野球振興部の仕事はそれだけではありません。野球の振興が目的なので、イベントをゼロから計画して開催しています。もちろん横浜DeNAベイスターズを好きになってもらうことも大事です。
ーー子どもたちに野球を通じて教えたいことはなんでしょうか?
僕はケガが多かったので、子どもたちに同じ経験をしてほしくないと思っています。そのためのフォームや投球方法を教えています。僕は野球しかしてきませんでした。でも野球がなければ、こうして企業で働くこともできなかったと思います。野球をやってきたからこそ、道が開けたことを子どもたちに教えたいです。
ーー横浜DeNAベイスターズの球団職員と並行して芸能活動もされています。パラレルキャリアをおこなおうと思ったきっかけを教えてください。
野球のことはもちろんですが、それ以外のことも発信したいと考えていました。野球選手は現役生活が終わった後、日の当たらないことが多いのが現実です。でも、それを変えたいと思っています。
「可能性は無限大なんだよ」と伝えたくて、芸能事務所に入ってパラレルキャリアをはじめました。新しいキャリアの第一人者になりたいです。
モヤモヤした気持ちを払拭するために現役復帰
ーー古村さんは、一度現役引退してからバッティングピッチャーとなりました。その際にイップスになってしまったとうかがいました。どのように乗り越えたのでしょうか?
正直言うと、バッティングピッチャー時代は乗り越えられなかったですね。年間契約なので、立場上はバッティングピッチャーとして1年間やりましたけど、業務としては年間の3分の1くらいしかできていませんでした。
ーーとなると、イップスの状態で現役復帰を決めたわけですね。そんなつらい状態の最中で、どうして現役復帰しようと思ったのでしょうか?
ケガが原因で3年間の現役生活を一度終えたときに「もし痛みさえなければ」という気持ちが、ずっとモヤモヤしたままありました。バッティングピッチャーとして1、2年で転機があったら現役復帰したいと、心の中で狙っていたんです。
その転機がイップスになったことです。バッティングピッチャーではなくて、次は違うポストについてほしいと言われました。もう踏み込むんだったら、ここしかない! と思ったんです。それで選手の道をもう1回目指すと決断しました。
「根拠のない自信」が突き動かした
ーーイップスになって諦めるのではなくて、そこで踏み込んでいくってすごいですね…。現役復帰を決めた際に、ご家族以外ほとんどの方に反対されたそうですが、それでも復帰を決めたのはなぜでしょうか?
根拠のない自信でした。ケガさえなければ、自分は絶対速い球を投げられたし、もっと成長できると思っていたんです。チャレンジしたい気持ちが強かったですね。自分の可能性を信じていたことが、一番大きいです。
ーー独立リーグを経て横浜DeNAベイスターズへ復帰しています。そこまでの道のりは大変だったと思います。どうしてそこまで頑張れたのでしょうか?
背中を押してくれた家族の期待に応えたいと思いました。僕は野球しかやってきませんでした。でも家族は、野球の「や」の字も知らないんですよ。僕が勝手に飛び込んだだけです。それでも本当に自分がやりたい野球を、小学生のときから何不自由なく支えてくれました。
野球選手として恩返ししなければと思ったので、もう一度チャレンジできました。家族に野球をしている姿を見せたい、絶対に自分はもう1回戻れるという気持ちだけでしたね。
独立リーグには3年間いたんですけど、チャレンジしている間は「もしダメだったら、セカンドキャリアをどうしよう」とは一切考えなかったです。
本当に根拠がないですけど、自信がありました。絶対自分はプロに戻るんだと信じて進んだのが結果につながったのかなと思います。
ーープロのアスリートになるには、そのような前向きなメンタルが必要なのかもしれませんね。独立リーグはNPBと比べると環境がそれほど良くないとは思うのですが、心は折れなかったですか?
独立リーグは、すべてを自分でやらなければなりません。
ただ僕は裏方の経験があったので、対応できました。NPBから直接独立リーグに行くと、グラウンドの整備や自分で弁当を用意することを面倒に感じてしまうと思うんです。でも僕は慣れていたので、大丈夫でした。これは裏方経験が活きましたね。
勝負どころで最大限のパフォーマンスを発揮する方法
ーー独立リーグ時代、スカウトが見に来る大事な関東遠征でパフォーマンスを発揮してNPB復帰につながったとうかがいました。勝負どころで最大限のパフォーマンスを発揮するには、何が大事だと思いますか?
「割り切ること」が大事です。良くも悪くも自分にプレッシャーがかかっていた状態でしたが、それを気にせずに割り切っていました。
独立リーグ時代はチームから信頼され、8回のセットアッパーを任せてもらっていました。「ここは俺しかできない」という気持ちでいたので、その役目を全うすることだけを考えていました。その先に見てくれる人がいます。結果的に良い方向に転がりました。練習してきたこと以外はできないので、積み重ねが大事です。
ーープレッシャーがかかると萎縮して実力を発揮できない人が多いと思います。どうすればプレッシャーを感じずに済むのでしょうか?
自分自身を信頼することと、ダメだったら仕方ないと割り切ることです。自信がなければ、自分自身を信頼できません。自信を得るには練習の積み重ねが大事になります。
「これだけ練習したんだから自分は大丈夫だ。これだけやってダメだったら仕方ない」と思えるまで練習をして自信をつければ、プレッシャーは感じないはずです。
ーー入団テストを経てNPBへ復帰しましたが、その後戦力外通告を受けて2度目の現役引退を決めました。2度目の引退はそれほど悔しくなかったそうですが、なぜでしょうか?
限界を感じました。2度も同じ失敗をしたので、仮に3度目のチャレンジをしても同じ結果が待っていると思ってしまったんです。2度目のチャレンジでは、自分が成長するシーンしか見えていませんでした。でも、これ以上の成長は難しいなと感じていたところでケガをしてしまったので、落ちていく一方だと感じたんです。
現役中はずっとケガに苦しみました。でも最近スクールでキャッチボールをしても、まったくケガの痛みがないんですよね。現役中は神経質になりますし、つねに自分の左腕のことを考えて生活します。たとえば、ウォーミングアップを入念にするとか、寝るときに左肩を下にして寝ないとか意識していました。いまはそんなこと意識していないんですけど、全然痛くないんです。
現役中は神経質になりすぎていたのかもしれません。科学的な根拠はありませんが、もしかしたら精神的な部分からくる痛みだったのかもしれないですね。いまのメンタルで野球をできていれば、また違ったのかもしれません。
古村徹さんの「やりたいこと」
ーーメディアのコンセプトが「やりたいことをできるに変える」です。古村さんが今後やりたいと思っていることを教えてください。また、それを実現するためにおこなっていることを教えてください。
もっと自分を発信していきたいと思っています。もともと芸能事務所に入ったのも、それが理由です。はじめにもお話ししたように、野球選手は現役生活が終わった後、日の当たらないことが多いのが現実です。そこを変えていく第一人者になりたいと思っています。ボディメイクを武器にして、雑誌などからお声がけいただけるようになりたいですね。
そのために、現役を引退してからも筋トレをしてスタイルを維持しています。去年は体重が82キロくらいでしたが、今年は68キロに絞りました。いつチャンスが来るかわかりません。そのときのために準備をしておくことが大事です。野球で学んだ経験を、これからのキャリアにも活かしていきたいですね。
横浜DeNAベイスターズでの仕事では、いずれは自分の経験を活かしてスカウトの仕事をできたらうれしいです。県立高校出身だったり、ケガをした経験や独立リーグの経験をスカウトの仕事に活かせると思います。自分がやりたい、できると思うことは声に出していきたいと思いますし、声に出すことで自分の責任感が増すんです。どんどん声に出していきます!
ーー古村さん、ありがとうございました!
(撮影:ナカムラ ヨシノーブ)