魚屋のDX。遺伝子研究の博士過程から猛反対の転身。家業を立て直した「よかもん好き」

「よかもん好き」。”良いものが好き”という意味の鹿児島弁だ。

黒潮の流れがぶつかる鹿児島県は、豊かな海の幸に恵まれている。海岸線の長さは2,600kmに及び、日本では3番目に長い県だ。イキのよいカンパチや、鹿児島湾には名産のナミクダヒゲエビもいる。「魚の魅力を伝えたい」。遺伝子研究の博士過程に進みながら経営難の魚屋を継いだ「よかもん好き」の3代目。DXで家業を立て直した株式会社イズミダ 常務取締役 鮮魚部統括部長の出水田さんに話を聞いた。

 

魚屋のDX。遺伝子研究の博士過程から猛反対の転身。家業を立て直した「よかもん好き」

出水田 一生(いずみだ いっせい)さん プロフィール

1986年生まれ。鹿児島県出身。鹿屋(かのや)市の鮮魚卸売、出水田鮮魚の長男として生まれる。九州大学理学部生物学科に進学。遺伝子に関わる基礎研究を学び、大学院の博士課程まで進む。魚屋に転身し、3代目として家業を継ぐ。株式会社イズミダ 常務取締役 鮮魚部統括部長(現職)

魚屋の長男として生まれ、遺伝子の研究をしていた

出水田さんは鹿児島県の鹿屋市にある魚屋の長男として生まれた。鹿屋市は、薩摩半島と反対側の大隅半島に位置している。よかもん好きの祖父が昭和49年に創業した「有限会社出水田鮮魚」だ。祖父が自転車の荷台に魚を積み、売って回ったことにはじまる。

祖父は気前が良い人だった。「魚の本当のおいしさを知ってもらい、みなさんに喜んでほしい」と大勢のお客さまを家に招いて、おいしい魚を振舞っていた。以来40年以上、出水田さんの店は鹿屋市に根づいている。

2代目となった父は、母と一緒に土日も休むことなく朝から晩まで働いていた。子どもながらに大変な仕事だと思っていた。出水田さんは地元の高校を卒業後、九州大学理学部生物学科に進学する。大学院に進み、遺伝子の研究をしていた。家業を継ぐつもりはなく「大変だから継がなくてよい、自分の好きな道に進んでほしい」両親もそう言ってくれたのだ。

博士課程にも進み、次世代のイノベーション人材を養成するビジネスコースで学ぶ機会を得た。両親の商売をみていて経営にも興味があったのだ。そんな時、父が病気で倒れた。店では男手が足りず、家業を手伝うために半年ほど実家に戻ることになる。

 

「それまで商売もお店の数字も見たことがなかったんです。大学院まで進学させてくれたから、家業も儲かっているのだろう、そう思っていました。しかし現実は厳しく、まったく裏腹でした。売上も減って経営は大変な状況でした」

 

提供:株式会社イズミダ

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実家の魚屋は経営難

鮮魚の卸売として、地元の病院や学校、老人ホームの給食用に切り身を納品していた。しかし、病院食に特化した県外の会社に取引先を奪われていた。遠隔地の顧客がポツンと残り、納品効率もよくない。

両親は売上を回復させようと新しい取り組みもしていた。魚の干物(ひもの)を作るために設備投資をしたり、一般のお客さま向けに店頭販売もおこなうが、卸専業で続けてきた家業の売上は回復しない。借金もかさみ、返済のめどもたたなかった。

非常にまずい、と出水田さんは大学院をやめて、家業を継ぐ決断をする。せっかく地元に戻ったが両親と親戚一同に猛反対された。

 

「『なぜ帰ってきた』と。『大学院の博士課程まで進んで魚屋をやるのか』って散々言われました。せめて市役所に勤めるとか、他社に勤める道もあるだろうって。両親も息子には苦労させたくない。経営状態のよくない家業を継がせたくないと」

 

たったひとり、喜んでくれたのは創業者の祖父だった。しかし、出水田さんが帰ってきた年の夏、祖父は孫の出水田さんに未来を託すように鹿児島の青い空へ旅立ってしまう。

 

「やりかたを変えれば、魚はおもしろい商売になるかもしれない」出水田さんはそう考えた。「よかもん好き」の祖父が食べさせてくれたおいしさを舌が覚えていた。「魚のおいしさ、魅力を伝えていこう」これが出水田さんの原動力になる。

 

提供:株式会社イズミダ

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3代目の魚屋イノベーション

立て直しのために、大きく2つのアクションをとった。1つめは社外に対して、2つめは社内に対してだ。

1つめの社外に対して、最初にホームページを作った。当時はネットの問い合わせ先がなかったのだ。「包丁も持たず、魚もさばかず、市場にもいかず、何をしてるんだか」父に言われながらYahoo!のショッピングサイトも準備した。

新たな販路も考える必要がある。これまでの取引先は病院や学校で、魚の魅力を伝えようにも、一般のお客さまとは直接の接点がなかった。そこで車庫を改装して対面販売の小さな店舗を作った。鹿児島のデザイナーに、魚屋をイメージしながら洗練されたデザインやロゴを考えてもらい、見せかたに工夫をこらしたのだ。

 

提供:株式会社イズミダ

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商品開発も進めた。生の魚は足が早い。肉は冷蔵保存がきくが、魚はそうはいかない。眠っていた乾燥機を再稼働させ、干物をつくった。そうすれば賞味期限も長くなり、全国へ流通させることもできる。この干物は無印良品とも取引されるようになって、全国のお客さまへ販路が広がった。ECサイトもつくりあげた。

 

提供:株式会社イズミダ

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2つめは社内の仕組みの見直しだ。

当時、社内で経理担当者は母だけだった。受発注から伝票作成、請求書の発行までひとりでおこない、負担が大きい。夜遅くまで、土日も伝票と格闘していた。会社全体の状況がわかるのも母だけだった。取引先との売掛金、買掛金の状況が見えにくく、キャッシュフローの状態がわからない。税理士事務所から月次の資産表(決算表)がくるのは2か月先で、経営状態のリアルもつかめなかった。 

そこでクラウド会計のシステムを導入。ネットバンクやクレジットカードにもひもづけし、店舗のレジもiPadに変えた。経理処理がクラウド上でつながり、財務状況の可視化ができた。今では出水田さんが出張した時、空港の待ち時間にスマホで処理ができる。クラウド会計の導入前と比べ、経理処理にかかる時間を50%は削減できたという。

 

提供:株式会社イズミダ

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勤怠管理も改善が必要だった。当時は昔ながらの男職場。年上の男性スタッフしかおらず、出勤簿もない。そもそも勤務時間の概念が希薄だった。働きやすい職場づくりをしなければ、将来若い人を採用できない。そこでクラウドの勤怠管理システムを導入し、労務管理も電子化した。残業時間もしっかり記録できるようになり、今では20代の若いスタッフや女性のパートの人も働いている。出水田さんは新しい取り組みについても話してくれた。

 

「2022年の4月2日に鹿児島市内に出水田食堂をオープンしました。魚の魅力を伝えるために飲食店と小売店が併設したお店を作りたかったのです。魚屋のとなりでおいしい魚をリアルで味わっていただく。会計も労務管理もクラウドで共有できるようになっています」

「やりたいことをできるに変えていく」ために

出水田さんがこれから進めたいことがある。それは、女性や若い人が働きやすい環境づくりをしていくことだ。地元の鹿児島大学には全国でも数少ない水産学部がある。今、水産学部の学生にもアルバイトをしてもらっている。魚の魅力を伝えるためにも、出水田さんがまだまだ取り組んでいきたいことがある。

 

「魚の掛け算を増やしていきたいですね。魚✕卸、魚✕小売、魚✕飲食は実現しました。次は魚✕教育を進めていきたい。いま、地元の高校と一緒に商品開発をしていて今年で3年目です。商品開発の授業では魚を使った弁当や商品、地元の特産品を使ったお菓子を作っています。これに加えて職業とは? 働くとは何か? そういった商売や仕事について伝えていきたいですね」

 

出水田さんは続ける。

 

「くわえて、魚✕観光です。教育と同様、魚の魅力を伝えることですが、ただ単に伝えるだけではなく、観光客のみなさんに実際に魚の魅力を体験してほしい。以前、ツアー会社と組んで魚市場の見学ツアーをおこなったことがあります。普段、一般の人は市場に入れません。セリを見学したり、地場の魚に実際にふれてもらう。その魚を飲食店でさばいてもらい料理を味わってもらう。そんな体験をしてほしい。コロナが落ち着いたら実施したいですね」

 

提供:株式会社イズミダ 

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魚さばき体験にも取り組みたいと話す。

 

「今の会社は古い建物なんですが、新しく厨房機器を入れてセントラルキッチンをつくりました。そこで土曜日の午後から、親子魚さばき教室も開いてみる。魚1尾買ってさばくのは手間がかかります。でも、お料理好きなお母さまがたは結構興味があるようなんです。料理のレパートリーは増えるので、面白いかもしれないと思っています」

 

「魚の本当のおいしさを知ってもらい、みなさんに喜んでほしい」そんな祖父の思いを出水田さんは、新しい仕組みとDXの導入で実現しはじめている。

 

提供:株式会社イズミダ

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