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ジャニーズJr.から広告会社のCCOへ。”なごまる”こと丸山紘史さんの自己プロデュース力

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株式会社オールブルーCCOの丸山紘史さんは、学生時代にジャニーズJr.として活動していた経歴を持つ。ジャニーズを辞めて国立大学に進学し、博報堂に入社。現在は株式会社オールブルーのCCOとして、多くの広告を手掛けている。

そんな丸山さんは今年7月、大阪・梅田の商業施設「HEP FIVE」夏のバーゲンの広告を担当。イメージキャラクターに関西ジャニーズJr.のAぇ! groupを起用したことで、「元関西ジャニーズJr.が古巣に貢献」と話題になった。

丸山さんの経歴は一見すると華やかだ。しかし、アイドルとしての限界が見えて仲間から逃げてしまったり、大学に馴染めなかったり起業に失敗したりと、その道のりは決して平坦ではなかったと言う。丸山さんのキャリアについて伺った。

丸山紘史(まるやま ひろし)さん プロフィール

丸山紘史(まるやま ひろし)さん プロフィール

1986年生まれ。株式会社オールブルー 取締役CCO。2010年博報堂入社を経て、2014年よりオールブルーへ。広告業界一のミーハーを自称しており、広く浅く流行を追いかける。SNSを起点としたコンテンツマーケティングを得意とする。何かと目立ちたがり。

10代で「市場原理が働く場所」にポンと入れられた

――丸山さんは元関西ジャニーズJr.とのことですが……。

実は関西ジャニーズJr.というのは間違いで、僕は愛知県春日井市出身で、大阪と東京を行ったり来たりして活動していました。学校が名古屋だったので、「なごまる」なんて呼ばれていましたね。

――そうなんですね! ジャニーズに入ったきっかけは?

中1のとき、NHK名古屋放送局が制作しているドラマ『中学生日記』のオーディションを受けたんです。そしたら受かって、出演するようになりました。

ドラマに出はじめて1年ほど経ったとき、家に電話がかかってきて。出たら、知らないおじいさんが「僕だよ」と言ってきたんです。

――まさか……!

そう、ジャニーさんです(笑)。「今週末にレインボーホール(現在の日本ガイシホール)でコンサートがあるから見においで」と言われました。それでコンサートに行ったら、少年が何人か集められていて、「Youたちコンサート出ちゃいなよ」と。ダンスなんてしたこともないのにいきなりステージに上げられました。

その翌週、呼ばれるがままに東京に行ったらアイドル誌の取材で、そこから活動が始まりました。1999年、中1のときです。はじめは雑誌の取材のため月1回東京に行って、途中から大阪に呼ばれるようになって。東京と大阪を行ったり来たりして、舞台に出たり、先輩のバックで踊るようになりました。

――ダンスって未経験でもすぐに踊れるようになるんですか?

いえ、悲惨でした(笑)。東京と大阪のJr.は日常的にレッスンを受けていたみたいですが、僕は地方で平日のレッスンに通えないから、コンサート当日に振りを覚えるんです。だからぜんぜんできない。それが悔しくて、自腹で名古屋のダンススクールに通いはじめました。

――なりゆきで始まったジャニーズJr.生活ですが、丸山さん自身は楽しめていたのでしょうか?

仲間ができてからは楽しかったです。僕は、将来はアイドルというよりテレビに出て役者をやりたいという思いがあって。Jr.の仲間もバラエティやニュースなど、それぞれに将来のビジョンがあったので、よくそんな話をしていましたね。

――中学生くらいですでに将来のビジョンがあるんですね。

10代で市場原理が働く場所にポンと入れられるわけだから、みんな自己プロデュースの鬼になるんです。ジャニーさんが拾ってくれたということは、何かしら光るものがあるはず。だけどそれを誰かが磨いてくれるわけじゃなく、「Youたちの魅力は自分で見つけて手を上げてごらん」というマネジメントスタイルなんです。だから自分の強みを主張できない人はフェイドアウトしちゃう。

――厳しい世界ですね。

コンサートのうちわや出待ちの列で、自分の人気がはっきりわかってしまう世界なので。とにかく自己分析しまくって、どうしたら自分は生き残れるかを考えつづけた中高生時代でした。

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国立大学に進学するも馴染めず、バックパッカーに!?

国立大学に進学するも馴染めず、バックパッカーに!?

――高校3年生のときにジャニーズJr.を辞めたそうですが、その理由を聞かせてください。

当時、グループでデビューを目指していたんですが、他のメンバーはともかく、僕はスターにはなれないとわかってしまったんです。自己分析力が高いからこそ、自分の限界が見えてしまった

そんなとき、以前ジャニーさんと話したことを思い出しました。僕、「ジャニーさんみたいになりたいかも」って言ったことがあるんですね。そしたら「Youはテレビ局とか広告会社とか、プロデュースすることに向いているかもね」と言われました。何気ない会話だったんですけど、心に残っていて。

――ジャニーさんみたいになりたかったんですか?

ジャニーさんって、「〇〇と△△を同じグループにしたらこうなる」とか「それを世に出すベストなタイミングはここ」とか、常に頭の中でワクワクしながら考えていたんです。その仕事ぶりを間近で見て、本当にものすごいことをしているなと思っていました。

――それで裏方志望に?

それだけが理由ではないんですけど、悩んだ末、ジャニーズを辞めて大学進学することにしました。中高生時代に普通の学生生活を送れなかったから、学生生活に憧れもあったし。辞めることはジャニーさんにだけ伝えました。

――グループの人たちには伝えなかったのでしょうか?

言おうと思ったけど、どうしても言えなかった。3人グループだったんですけど、3人で頑張っているのに僕だけ抜けてしまう後ろめたさがあり、逃げてしまったんです。勝手に辞めて、メンバー2人とは一切連絡を取らなくなりました。

――その後、大学受験をしたんですね。

中高ではまったく勉強しなかったので、成績がほとんどビリの状態で高校を卒業して。浪人して一年間がむしゃらに勉強し、地元の名古屋大学に合格しました。

受験の直前まではE判定だったんですよ。だけど、いままでいろんなことを乗り越えてきたし、「俺なら奇跡起こせるでしょ」と自分に言い聞かせて試験に臨んだら、本当に奇跡が起きた。僕はどんなに動揺しても、できると思いこむことでゾーンに入って乗り切れるんです。自己暗示をかけるのがうまいというか。それは芸能活動で培った力ですね。

大学入学後の生活

――入学後はどんな大学生活を送ったのでしょう?

最初はサークルや学祭実行委員会に入りました。だけど「ジャニーズjr.だった人でしょ」とか言われるたびに嫌になっちゃって……。だんだん1人で過ごすようになりました。

することがないから1日1冊ペースで本を読んでいたら、沢木耕太郎さんの『深夜特急』に出会って、影響を受けてすぐさまインド行きの航空券を買って。1ヵ月くらい、インドでバックパッカー旅をしました。よくある大学生の行動パターンです(笑)。

それがきっかけでバックパッカー旅にハマって、お金を貯めては1人で海外に行くようになりましたね。東南アジアやヨーロッパ、アメリカなどをプラプラして、帰国してお金貯めて、また旅に出て……の繰り返し。授業はあまり出てなかったけど、なんとか単位だけは取っていました。

大学生で起業に失敗。インターン先で戦略性を発揮

――大学3年生になると就活が始まると思いますが……。

自分で何かやってみたくて、3年生のときに友達と起業しました。学食のトレイにトレイマットとして広告シールを貼り、その広告枠を自動車学校や旅行代理店などに売る会社です。いま思うと稚拙なビジネスモデルなんですけど。

でも、事務所を借りたところで、もっとも大きなクライアントとの契約が流れてしまって。僕以外みんな心が折れちゃって、会社の話は立ち消えになりました

――大学生にとっては大きな挫折ですね。

広告会社を起業して失敗したので、「じゃあ俺、ちょっと広告学んでくるわ!」ってことで、博報堂のインターンに応募しました。インターン先で広告の仕組みを学んだとき、筋書きを書いてプロデュースする点がジャニーさんの仕事と似ていると感じて。それで博報堂に興味を持ち、インターン採用を狙いました。

――倍率がすごそうです……。

だけどジャニーズのときと違って、アピールする相手は大勢のファンではなくたった3人の人事担当者。戦略次第で勝てると思いました(笑)。

――ジャニーズJr.として活動していた経歴は強みになりましたか?

あえてジャニーズの経歴は隠して、エントリーシートにも書きませんでした。どうせ身元を調べるだろうから、そのときに「実は元ジャニーズjr.だった!」とバレたほうがかっこいいので。バレなかったときはインターンの友達にそれとなく話して、そこからバズって人事の耳に届くことを狙っていました(笑)。

――戦略的! 丸山さんは自分のどんなところをアピールしたのでしょう?

僕はコミュニケーションのバランス感覚を売りにしようと思いました。「俺が俺が」と前に出るタイプが多い中で、声が小さい人たちの意見を聞いて取り入れるなど、自己主張ばかりでなく「聞き手になる」ことも意識しました。外見や経歴が派手なぶん、所作を誠実にすることでそのギャップが魅力になると気づいていたんです。「あいつ、すごくバランス取れたやつだな」と評価されるような、そういう人間を演じきりました。そして、無事に内定を掴み取ったんです。

「面白そうな話が来たらすぐ乗る」と決めている

「面白そうな話が来たらすぐ乗る」と決めている

――入社してからは順風満帆だったのでしょうか?

キラキラした仕事を想像していたんですけど、入社すると「あれ、意外と泥臭いな?」と。

なにより、自分のペースでいられないことがストレスでした。自分の仕事は終わっているのに空気を読んで残業したり、行きたくないけど上司と飲みに行ったり……。僕は中高あまり学校に行っていなかったし、大学もゆるくバックパッカーしていたから、社会人になっていきなり型にはめられた感じがして、それが窮屈でした。

――その時期をどうやって乗り越えましたか?

ちょうどその頃、ジャニーズJr.時代にグループを組んでいたメンバーから連絡が来たんです。5年ぶりに再会して、やっと「勝手に辞めてごめん」と言えました。それから友人として彼らと会うようになって、「エンタメってまだまだ面白くしていけるよな」とか、昔みたいに夢を語り合えるようになって。それでなんとか腐らずにいられましたね。

――ジャニーズJr.時代から仲間の存在が大きいんですね。

でも、仕事では相変わらず悩んでいました。言われたことを80点くらいのクオリティでこなしていたんですけど、だんだん「一生これでいいのか……?」と思うようになって。ストレスで味覚を失ったこともありました。

それで、信頼している人事の方に相談したんです。そしたら「紘史はさ、型にはまることができちゃうから辛いんじゃない?」と言われて。

――器用だからこそ、周りの期待に応えられるんですね。それでストレスを溜めてしまう……。

そうなんですよ。それに気づいて、自分を型にはめるのをやめました。「自分らしくして、それで怒られたって別にいいじゃん」と割り切るようにしたんです。昔みたいに茶髪にしてピアスつけて、行きたくない飲み会は断って、仕事を5時半までに終わらせて帰る……みたいな。最初は衝突もありましたが、だんだん「あいつはそういうやつだ」と認知されて、後輩からも支持されるようになりました。

それで仕事が楽しくなってきた頃、まったく接点のなかったある先輩にいきなり「オールブルーって会社作ったんだけど一緒にやらない?」と誘われたんです。どういうことかと言うと、起業したい社員に博報堂がお金を出してくれる“社内ベンチャー制度”があって、その制度によってできた会社だったんですよ。

――ジャニーさんから電話がかかってきたエピソードと、どことなく似ていますね。

まさに「You、一緒に会社やらない?」みたいなノリでした(笑)。なんか僕、天才プロデューサーにフックアップされることが多い人生で。面白そうなことには乗ると決めているので、即座に「やります」と返事をして、博報堂の社員でありながらオールブルーに出向しました。※2022年3月、オールブルーは博報堂から独立。丸山さんも現在は博報堂の社員ではない。

――来た話に乗るには反射神経が必要ですよね。

なので、平日はフルで打ち合わせを入れないようにしています。いきなり連絡がきて「いま空いてる?」と言われてもパっと行けるように。それが大きな仕事に繋がっていることがけっこうあるんですよ。舞い込んできたチャンスを逃さないよう、常に余白を意識しています。

――オールブルーにジョインして変わりましたか?

今年の3月末まで博報堂の社員だったんですが、4月から独立して、いまは僕らがオールブルーの経営権を持っているので、より自由に仕事できています。博報堂時代はSNS投稿もあまりできなかったけど、いまは自由に発信できるし。「HEP FIVE」のツイートがバズったおかげで、いろんな方に僕やオールブルーのことを知ってもらえました。

丸山さんの「やりたいこと」

――今、やりたいことはありますか?

東京を、日本をアップデートしていきたいです。既存のものをぶっ壊してまったく新しいものを作るのもいいけど、既存のものにだって良さはたくさんある。だから既にあるものの良さを生かしつつ、それを3%でもアップデートして時代にフィットさせることが僕の役割かなと。

そのためには最新の情報や価値観についていかなきゃいけない。だけど自分が50歳になったときのことを考えると、やっぱり古くなってしまうと思うんです。だから下の世代を仲間にして、常にアップデートしつづけられるチームを作るのが今の課題ですね。

――さいごに、読者へのメッセージをお願いします。

引き続き、SNSなどで積極的に発信していこうと思っています。今後もいろいろなことを仕掛けていくので、ぜひ楽しみにしていてください!

株式会社オールブルー

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(撮影:ナカムラヨシノーブ)

執筆

吉玉サキ

エッセイも取材記事も書くライター。 北アルプスの山小屋で10年間働いていた。著書に『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』『方向音痴って、なおるんですか?(交通新聞社)』がある。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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