SDGs(持続可能な開発目標)が掲げる17の目標の1つ目は「貧困をなくそう」である。いま、日本における貧困問題は大きな社会問題となりつつある。日本の貧困問題にはどのような課題があるのだろうか。今回はシングルマザーをはじめ女性の生活困窮者の自立支援をおこなう一般社団法人グラミン日本の理事長、百野 公裕さんにインタビューを実施。同法人の取り組みや日本の貧困問題解決に向けた展望を聞いた。
百野 公裕 (ももの まさひろ)さんプロフィール
グラミン日本 理事長。愛知県生まれ。米国公認会計士。外資系コンサルティングファーム PwC、プロティビティ(旧アーサーアンダーセン)でマネージング・ディレクターとして勤務する傍ら、2017年8月よりグラミン日本準備機構の設立メンバー(プロボノ)として、グラミン日本の設立準備に参画。2018年9月に前職を退職し、グラミン日本理事/COOに就任。2019年10月より現職。
コロナ禍で深刻視される「相対的貧困」
「マイクロファイナンス」は、貧困層や低所得者に向けた無担保での小口融資などの金融サービスを指す。バングラデシュで1983年に設立された「グラミン銀行」もその1つだ。創設者は同国チッタゴン大学で経済学部長を務めたムハマド・ユヌス博士。ビジネスモデルの特徴は、5人1組で互助グループを作り、グループに対して無担保・低利子の少額融資を実行。融資後にミーティングを定期開催することにより、生活困窮者に向けた金融教育と起業・就労支援をおこなうことにある。このような「互助と信頼関係」をベースとした伴走的な支援により、貸し倒れをほとんど起こすことなく多くの人々を貧困から脱却させた。この功績からグラミン銀行とユヌス博士は2006年、ノーベル平和賞を受賞。同賞が企業に授与されるのは歴代初の快挙だった。
現在、グラミン銀行のビジネスモデルは世界中に波及し、開発途上国だけでなくアメリカなどの先進国を含む40か国で事業を展開している。日本で2018年に設立されたのが「一般社団法人グラミン日本」だ。グラミン日本の創設から携わり、現在は理事長を務める百野さんが、その経緯を説明する。
「グラミン日本の創設者は、現在明治学院大学で教授を務める菅正広さんです。菅さんは財務省出身で、OECD(経済協力開発機構)税制改革支援室長やアフリカ開発銀行の理事を歴任してきました。その中で日本の貧困問題に着目し、10年以上前からユヌス博士に直接日本におけるマイクロファイナンスの重要性を唱え続けてきた人物です。
日本版グラミン銀行の創設は当時から動き出していたものですが、法律や関係省庁との調整でうまく立ち上がらなかった。しかし、近年日本の貧困問題が加速していた半面で、グラミン・アメリカが成功を収めたことにより、先進国でのマイクロファイナンスの必要性が実証された。その2つのタイミングが重なったことにより、グラミン日本は設立されたのです」
日本では開発途上国と比べて生命維持に最低限必要な生活水準を満たさない「絶対的貧困」の割合は低い。また、日本には健康保険制度や生活保護制度といったセーフティーネットが存在する。では、日本の貧困問題の実情とはどのようなものなのだろうか。日本の貧困問題の現状を、百野さんは次のように説明する。
「日本における貧困問題は『隠れた貧困』といわれています。実際、生活保護の捕捉率は約15%。残りの8割強の人々は貧困状態にありながら、なんの支援も受けられていない。その要因には生活保護を悪とする風潮や、行政の支援を頼ることへの心理的障壁などがあります。結果として、貧困は潜在化してしまうため、いままでの一般的な認識は『貧困って、日本にあるんですか?』というものでした。私たちにとって、その認識を変えることがまず大きな課題として立ち塞がっていました」
厚生労働省が実施した調査※1によると、日本における貧困線※2を下回る「相対的貧困」※3の状態にある人の割合は15.4%。6人に1人が手取り127万円以下での生活を余儀なくされている。深刻視されるのは女性の貧困であり、とくにシングルマザー世帯は出産や育児による経済的、時間的なリソースの欠乏により、生活困窮リスクが高い。
※2 等価可処分所得(可処分所得から世帯人員数を調整した金額)の中央値の半分の額(厚生労働省「国民生活基礎調査(貧困率) よくあるご質問」)
※3 必要最低限の生活水準を保つことが困難である「絶対的貧困」に対し、相対的貧困は属する国や地域社会の平均より貧しい暮らしをしている状態を指す。※1の調査によれば、日本における「相対的貧困」は、貧困線である等価可処分所得127万円(2018年時点)以下の人を指す。なお、同年の調査ではOECD(経済開発協力機構)が定める新基準での算定もおこなわれており、同基準での貧困線は124万円、相対的貧困率は15.7%と算出されている
「コロナ禍になり、最初は旅行業や空港職員、観光業、百貨店などの小売業と、さまざまな業界や業種、業態が打撃を受けました。そしてそのしわ寄せは、解雇や雇い止めというかたちで非正規雇用の女性、とくに地方の女性やシングルマザーにいきました。それが経済的な困窮として、子どもに波及している。このような状況がメディアで報道され、あるいは身近な人々に起こったことで、貧困は以前より着目されるようになったと思います。しかし、課題の深刻さも大きくなっています」
シングルマザーの場合、一度困窮状態に陥ってしまうと、そこから抜け出すには多くの障壁がある。このような状況を受け、グラミン日本は2022年に支援のターゲットを女性、とくに生活困窮リスクの高いシングルマザーに定め戦略を転換、リブランディングも実施した。
就労から逆算した一気通貫の支援を実現
では、実際にどのような支援をおこなっているのだろうか。グラミン日本では、グラミン銀行のビジネスモデルをベースとして、マイクロファイナンスと自立支援をおこなっている。重点を置くのは「入口と出口」。つまり、融資や就労支援以前におこなう「教育機会」と支援後の「就労機会」の創出だ。
「生活の基盤をつくるためのソフトスキルは非常に重要です。生活困窮状態に陥っている女性は孤立・孤独化して、 なかなか声が上げられない状態にある人が多い傾向にあります。そのなかでお子さんの育児やご自身の病気などと向き合わなければならない。私たちはそういったところに、きちんとサポートをしながらトレーニングをおこなっています。支援の入り口はワークショップからはじまり、マインドセットも含めて就労・起業へと伴走していきます。
『自立』とは経済的、社会的、精神的な自立を意味します。その点でいえば、私たちが最重要視するのは就労です。日本では残念ながら、教育訓練とハローワークの事業は分かれていて、一気通貫におこなっていないのが現状です。そのため、本当に企業が求めているスキルセットや就労のあり方にもっともマッチした教育がうまく組まれていないという課題があります。そのため、私たちは就労から逆算したトレーニングを組み、一気通貫にパッケージングした支援プログラムを提供しています」
グラミン日本は、支援から就労までのハブとして機能している。一気通貫した支援をおこなうためには、全国の連携支援団体から寄せられる要支援者リストや現在の支援状況、求人をおこなう企業とのマッチング、就労後状況といったデータの蓄積、管理が必要となる。それを可能にしているのが、グラミン日本と企業向け基盤システム大手の SAPジャパンとの協創で生まれた「ソーシャル・リクルーティング・プラットフォーム」だ。このプラットフォームは、同社が提供する外部人材の活用を最適化するクラウドソリューションをコアとし、支援者と求人企業の情報を集積。ミスマッチを減らしながら簡易でスピーディーな就労を実現している。
シングルマザー・地方の女性を「デジタル人材」に
グラミン日本が現在注力するのが、デジタル人材の育成だ。その背景にはコロナ禍による就業環境の変化がある一方で、日本の企業における人材需要の高まりがあるという。
「コロナ禍以前の起業や就労はどうしても接客業が多く、ネイルサロンやヘッドスパ、店舗販売やカフェの運営が多い傾向にありました。しかし、コロナ禍で接客業の起業や就労は厳しい。支援を受ける方々からも『家で育児をしながら、リモートで仕事ができるようになりたい』という声もある一方で、企業に目を向けるとデジタル人材の不足が叫ばれている。このギャップをどうやって埋められるのか。そういったところから、デジタルスキルの研修・就労支援に重点を置くことにしたのです」
デジタル就労支援事業において、グラミン日本は2通りのアプローチから事業を展開している。それが「休眠預金等活用事業」と「デジタル就労支援事業」だ。
休眠預金とは、金融機関に預けたまま10年以上取引のない預金等を指し、国は「民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律」(休眠預金等活用法)に基づき、2019年から社会課題の解決や民間による公益活動に活用する制度を導入した。グラミン日本は、2021年から実行団体、2022年からは資金分配団体として採択されている。
休眠預金等活用事業では、一般社団法人日本シングルマザー支援協会と連携し、シングルマザーのデジタル就労支援をおこなう実行団体に向けた助成をおこなっている。その際、ただ資金を分配するのではなく、助成団体にはグラミン日本が持つ支援モデルやリソースも提供しているという。
「この事業では、私たちは側面支援という形で、マイクロファイナンスやソーシャル・リクルーティング・プラットフォームなどを提供しています。シングルマザーの支援をおこなっている団体は、全国各地に数多くあります。しかし、個別の団体単位では企業との連携がなかったり、金融サービスがなかったりと、すべてのサービスが補完できる団体は、リソースの都合もあって多くありません。そのため、そういった団体に対して、私たちがリソースやサービスを提供しているのです。現在サポートをしているのは4団体です。株式会社、NPO、一般社団法人と法人形態はさまざまですが、いずれもシングルマザーの方々の経済的自立支援にコミットした事業を推進する団体です。私たちがこの団体に伴走することで、シングルマザーの人たちの自立をサポートしたいと考えています」
デジタル就労支援事業では、地方在住の女性をターゲットとした「でじたる女子活躍推進コンソーシアム」を設立し、全国の自治体と連携して女性の経済的・精神的自立を支援している。
「でじたる女子活躍推進コンソーシアムは、女性のデジタル人材育成を手掛ける株式会社MAIAとSAPジャパンとの協創によって生まれたものです。こちらではシングルマザーに限らず、女性全体の精神的・経済的自立を支援しています。とくに地方に眠っている未活用人材の女性をターゲットとしていて、実際に人を募集し、そこから学習費用を補填して、共通した自律支援と最終的な雇用の出口までを一気通貫でおこなう事業です。現在、愛媛県や鹿児島県、沖縄県などの自治体で事例が生まれていますが、そのほかにも多くの自治体で連携を予定しています。今後はより多くの地方、地域の女性の方々がリモートワークでデジタルスキルを活かした仕事ができるようになることを目標に、事業を進めています」
「連携・協創」により貧困問題解決のエコシステムを構築
グラミン日本の取り組みで注目すべき点は、「連携と協創」により社会的なインパクトが波及していることだ。その運営を支えるのは、プロボノ(職業上のスキルや専門知識をボランティア活動に活かしている人々)と学生ボランティアだ。それぞれ異なるバックボーンをもつスタッフがスキルやノウハウを持ち寄ることで、運営はよりよくなっているという。また、グラミン日本と協創するパートナー企業の中には、プロボノ制度を実施する企業もある。たとえば、SMBC日興証券の場合、業務時間内の一定割合をプロボノ活動に充てられるという。
今回の取材に同席した、広報担当の小野玄起さんも個人プロボノの1人だ。小野さんは友人からのすすめでプロボノに興味を持ち、グラミン日本に入ることにしたという。現在も企業に務めるかたわら、業務時間外や休日を利用して運営に参画している。
「私は広報宣伝のキャリアが長く、そのスキルをプロボノで活かしてみたいと思ったのが動機です。現金を寄付するのは、私にとって少しハードルが高かった。でも、スキルの提供なら私にもできると思ったんです。実際に参画してみると非常に大変でしたが……(笑)。ただ、ここで得た経験は当然本業でも活きますし、視野も広がったと実感しています」(小野さん)
グラミン日本は、どのようなビジョンを持っているのか。百野さんは「貧困問題解決のエコシステムを構築したい」と語る。
「グラミン日本がハブとなって女性やその子どもたちを支援していくことは重要だと思います。しかし、私たちでは解決できない領域も多々あります。そういった部分には全国各地域で女性を支援しているソーシャルセクターや支援団体、さらには企業や大学が持つ大きな力が必要です。また、地域の行政サポートは非常に強いことも事実です。行政機関が持っているさまざまな支援とうまく重なりあっていくことで、細やかなセーフティーネットをかけていきたい。さらには地域金融との連携でマイクロファイナンスのサポート範囲を拡充すると同時に、金融機関には寄付やフィランソロピーというかたちで、富裕層の資産の循環を働きかけていきたいと考えています。そうした積み重ねにより、貧困問題解決のためのエコシステム構築を目指しています」