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ふりかえれば静かな退職をしている奴がいる。

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「静かな退職」を僕は知らなかった。

最近、僕が働いている会社で権力闘争に敗北したっぽい人が、かつてのギラギラネチネチとした働きぶりが陰を潜め、ひっそりと目立たないように働いている。彼岸花のようだ。これまでの会議で無内容かつ無駄に目立つ発言を繰り返していたが、近々の会議では、ノー発言。まるで会議が終了するのを待っているように見えた。

気味が悪いのでなんとかしてほしい。沈黙のうちに会社転覆等の悪事を企んでいるのかもしれない。不安にかられた僕が、対応策をネット検索で調べていているなかで、「静かな退職」というワードを見つけた。「静かな退職」は、いま、日本社会で静かなブームになっているらしい。日々、慌ただしく働いている僕は、この静かなブームを知らなかった。静かな退職というだけはある。

静かな退職とは、熱意や積極性をもたずに最低限の仕事だけをこなし、退職もせず、在籍をし続ける働き方だ。「会社がすべて!仕事が大事!」という高度経済成長期やバブル期に活躍したモーレツ社員と比較すると、人間らしいというか自然な姿のように思える。会社に期待するものを見つけられなくなったら、減給されない程度に働くというのはなにもおかしくないだろう? とても自然だ。

「死んだ魚の目をしたサラリーマン」は昔からいた。

「静かな退職」は特別ではない。目新しくもない。昔からそういう働き方をする人はいた。死んだ魚の目をした会社員だ。僕も、死んだ魚の目をした先輩や同僚を何人か知っている。デスフィッシュアイな同僚は、会社で働くことに絶望しながらも、会社や上司から咎められない程度に働いていた。見方を変えれば、会社から求められる仕事を見極めて、自分なりの世界を築き上げているたくましい人たちに見えた。デスフィッシュな先輩からは、サボり方や誤魔化す方法といった、学校や研修では教えてくれないが、じつに役立つ実戦的な方法を教わった。

ただ、デスフィッシュな同僚や先輩は、出世コース、メインストリートをばく進している人からはとくに煙たがられていたし、会社の大部分の人からも「なにあれ……」「協調性なさすぎ……」と冷たい目で見られていた。「そういう働き方もいまはありだよねー」と受け入れられている現代の「静かな退職」とはその点がちがった。

時代が変わったのだ。つまり、会社で全力をかけて働くのがすべてではないという考え方が受け入れられるようになったということ。僕は30年近く会社員生活を続けているガチの会社人間だけれども、静かな退職のような生き方もありだと思っている。僕のような会社人間にとって会社は、目立つ成果をあげられないと仕事ができないと叩かれ、成果をあげて目立つと叩かれる、無理ゲー組織だからね。無理ゲーに巻き込まれないような「静かな退職」は賢い選択なのかもしれない。

なお、冒頭に紹介した、社内抗争に敗れた人は静かな退職ではなかった。目立たないように静かに働いているのではなく、無気力で働いていないから目立ちようがないのだった。因果関係が逆である。あえて退職をしないのではなく、60歳超という年齢もあって退職できないのであった。外見的には静かな退職に見えるが、実態は、ただ静かなだけであり社内的に仮死状態になっているにすぎないのであった。会社員生活は厳しい。彼には、社内秩序を乱すようなコトを起こさず、余生を送ってもらいたい。

同僚が「静かな退職」をしていることに気づいた。

「静かな退職」という概念を知ってから、同僚のなかにはすでに静かな退職を履行しているものがいることに気がついた。先述の社内抗争ルーザーのように、仕事をしていないわけではなく、与えられた仕事、やらなければならないタスクはこなしている。しかし、以前のように新しい事業計画の提出はなくなり、1つの案件にかける熱量といったものも欠落しているように見える。仕事は過不足なくやっているが、活力や目の輝きが失われているのだ。

理由はいくつか考えられるが、会社が会社で働き続ける社員の未来像を示せていないことが大きいのではないか。たとえば管理職になって待遇がよくなっても、それ以上に仕事が忙しくなったり、負担と責任が見合わないものに見えてしまったりしたら、「現状維持でいい」と考えてもおかしくない。「静かな退職」をおこないつつ、会社内で昇り竜のように出世したいといい出したら、反感を買うだろうが、もくもくと与えられた仕事はしっかりとやってくれるからよろしいと思う。

「静かな退職」をするうえで気をつけたいこと

ただ、静かな退職を「やる気がない」「組織にとって邪魔」ととらえる人も会社組織にはいるから注意してもらいたい。実際、僕の周辺で静かな退職をおこなっている人に対して、「最近やる気がない」「無気力すぎる」という見方をしているものもいる。静かな退職という働き方は「あり」だ。しかし、ここまでやれば十分というラインを設定しているのが本人であることが難しい。会社や上司から求められているラインと、自分で設定したラインが一致しているかどうか、または許容範囲におさまっているかを見極めるのは至難だからだ。

会社や上司はある程度の期待値をもって部下を見ている。そのため、期待値を差し引いて「このへんまでやってくれたらオッケー」という見方はしない。そのため、静かな退職をするときに設定する「これくらいでオッケー」ラインは、会社や上司からの期待値をある程度込めないといけなくなるだろう。期待値をフルに入れてしまうと、静かな退職にならないから、その塩梅が難しい。そもそも、会社に期待せず、期待されず、もくもくと仕事をこなすことが、会社人間の僕にはとても難しいように思えてならない。

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「静かな退職」活用法

会社に期待しないで働くなんて哀しいよね、と嘆いてはいられない。僕らにできることは、さまざまな働き方と考え方をもった人たちと一緒に働いていくことだ。要するに、静かな退職と社畜的な働き方、双方を共存させていくことになる。

その際、必要になるのは、逆転の発想だ。静かな退職の長所やポジティブな面に注目するのである。静かな退職を、積極性や熱意にかけていると見るのではなく、文句もいわず(笑)与えられた仕事を時間内に過不足なくこなしてくれる働き方と見ればいい。

たとえば、身近に「静かな退職者」がいたとする。残業不可避なプロジェクトや、地方への複数回の出張が必要な案件を、静かな退職者に任せることはお互いに不幸な結果になる。そういった仕事を振ることによって、静かな退職者の意識を変えようとするのはただの傲慢だろう。そういう傲慢な考え方自体が、静かな退職者を静かな退職へ追い込んだ元凶の1つなのだから。

会社にはさまざまな仕事がある。たとえば、残業不可避なプロジェクトに人的リソースを割かなければならなくなったとき、手薄になってしまう通常業務。それら、既存の仕事は、実績とノウハウが蓄積しており、ある程度やることが決められている。静かな退職者に任せるにはちょうどいい仕事だ。また、新規プロジェクトのなかでも、資料探しやデータ集めといった業務は静かな退職者に任せたほうがいい。そのほかにも、熱意がありすぎると雑になりがちな業務は、冷静に仕事を終わらせることを第一に考えている静かな退職者に任せたほうがいい。

静かな退職はサボりではない。

静かな退職をしている人は、会社に迷惑をかけるサボリーマンとはちがう。真逆の存在である。与えられた仕事を納期内に過不足ない質でこなしてくれるビジネスパーソン。出世や立身をあきらめているかわりに、給与に見合わない仕事はしない割り切り思考のビジネスパーソン。「ここまでは自分の仕事」というライン内なら確実にやってくれる存在だと、彼らを信頼することができれば大きな戦力になる。

よく周りを見てもらいたい。納期内に相応の質を過不足なくこなしてくれる同僚がどれだけいるだろうか。席を置いているだけでの上役。どこからか流れ着いてきた天下り。えばっているだけの古参社員。そういった、パソコンをまともに使えない人材に比べれば、静かな退職者はまちがいなく戦力になるはずだ。いるでしょ? みなさんの職場にも熱意だけの人……。

静かな退職者に対して「こいつならやってくれるだろう」という信頼と見極めをもって接すればよい。彼らは活力と能力にかけた無気力な人間などではないのだ。冷静に自分のやるべき仕事を厳密に規定している人間なのだ。そもそも、事を大きくしたくないという特性があるから、付き合い方と与える仕事さえミスしなければよい。今後「静かな退職」が増えていくと思われる。静かな退職者をどう戦力として活用していくかが、もしかしたら企業が大きく成長する鍵になるかもしれない。

熱血仕事マンと静かな退職者、どちらが安定した働き方だろう?

などと、他人事のように「静かな退職」について思うところを語ってきたが、誰でも静かな退職をした経験はあるのではないだろうか。たとえば会社の方針にムカついたときに一時的に。または、転職を決意したあとの退職までの期間に。ふりかえってみると、僕も転職を決めたとき、転職先を見つけて辞めるまでの一定期間は静かな退職状態だった。

会社に対して虚無な気持ちになっていたので、かえって穏やかな気分で落ち着いて仕事ができていた記憶がある。引き継ぎ業務も無駄に丁寧にやってしまったりしてね。同僚からは「いつもは死にそうな顔をしていたのに、最近はなんか穏やかで健康的に見える」なんて、いまさら手遅れなお褒めの言葉をいただいたりもした。ストレスがなくなると人間は顔面も良化するみたいだ。

そういう経験から、静かな退職はストレスを避けて穏やかな気持ちで長いこと同じ勤務先で働き続ける、継続性のある働き方ともいえる。働くうえで熱意や積極性は武器になる。しかし、仕事は全部が思い通りにはいかないし、失敗するときもある。そのとき熱意や積極性があると「どうしてだろう?」と悩みの穴に落ちてしまうこともありうる。熱があるぶん、「裏切られた!」と考えてしまい、仕事に対する情熱を失ってしまう。モチベーションの低下を理由に仕事の質が落ちるかもしれないし、最悪、スランプに陥るかもしれない。

それに対し、静かな退職は、熱がないぶん、うまくいかなくてもケセラセラと流して、次の仕事へ向かうことができる。スランプもない。ある程度のスパンで考えたとき、どちらに安心して仕事を任せられるだろうか。「静かな退職」を一過性のブームとして笑うのではなく、働き方の1つとして活かしていこう。

無意識のうちに静かな退職者だった。

私事になるが、職場の諸事情で慌ただしい毎日を送っている。年齢も年齢であるし(今年50歳になった)、ほかにやりたいこともないため退職は考えていない。会社内で部門長になっているのでこれ以上立身出世はしなくてもいいかなと考えている。いまは早期退職を目指して波風を立てないよう、目の前の仕事に集中して毎日をすごしている。おかげで若いころのようにストレスを過度に溜めずに済んでいる……。これって静かな退職そのものじゃないか。ふりかれば僕自身が静かな退職に足を踏み入れていたでござる。

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執筆

フミコ・フミオ

大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。 食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。 現在は、はてなブログEverything you’ve ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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