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自由度の高いオープンワールドゲームで「何をしていいかわからない人」はこれから苦労する

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自由で胃薬が増えてしまった。

僕は食品会社の営業部部長だ。部下に指示を出して、その結果が思わしくないとき注意したりするのも仕事の一部である。いまは、部下のみんなの能力と個性を最大限に活用するために、目標と納期以外は、細かく指示を与えないようにしている。問題が発生しないように、薄気味悪いあたたかな目で見守るのだ。ときどき「それはないだろう……」と感じることもあるが、問題になるまでは、ぐっと堪えている。いろいろな試行錯誤を経て、辿りついたベターな選択だと思っている。おかげで胃薬が手放せない。

かつては細かく指示を出していた。年別・月別・週別・日別の目標を設定して、目標への逆算からメンバー各々が日々やらなければいけない目標を設定して1日のタスクに落とし込み、時によっては1時間ごとに指示を出していた。タスクを達成していなければ喝を入れていた。

このやり方はある程度の成果を上げた。その一方、代償も大きかった。部下たちの「もう少し信用してほしい」「自由にやらせてほしい」という反発があった。「やり方を変えてくれないかぎり、ついていけない」と白旗をあげる者もいた。成果を賞与の額に反映させることで不満を抑えた。同時に、このやり方の限界が見えた。ある程度の成果を上げられているうちはいいが、成果が出なくなれば行き詰まるのは間違いなかった。

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『学習まんが 日本の歴史』が僕に教えてくれたこと。

僕はそのことを歴史から学んだ。戦で手柄を立てたのに報酬がしょぼしょぼで武士の不満が蓄積し、それが時の政権を倒す遠因になったと『学習まんが 日本の歴史』に書いてあった(気がする)。近い将来、不満を蓄積した部下たちの反乱が予想できた。「クソ部長の滅茶苦茶な施策で営業は滅茶苦茶ですよ」と会社に訴えられて失脚する未来。それは嫌だった。

最大の問題は、「まったく仕事がおもしろくないこと」だった。命令を出す僕も、命令を受ける部下もみんながギスギスしていて楽しくなかった。「仕事だから」で納得できないレベルのつまらなさは問題だ。そのため、成果が出ても「これだけ細かくやってそれだけなの……」という疲労感の方が大きく、充実感や達成感はなかった。

僕自身、毎日、部下一人ひとりに細かく指示を出し、その結果を都度チェックするという仕事に嫌気がさしていた。自分1人で仕事をやっているのと変わらないと思った。成果は出ていたが頭打ちだった。シンプルに楽しくなく、部下からも嫌がられ仕事もおもしろくなく、胃薬は増えるばかり。何も、誰もいいことがなかった。僕のやり方というよりは、当時勤めていた会社の社風だった。

やり方を変えたら意外な問題が……

同業他社への転職を機にやり方を改めた。新しい職場の社風が比較的自由だったので、その雰囲気に乗ってみたのだ。営業部門の責任者を任された僕は、前職での反省を活かし、思い切り自由に振り切ってみた。大きな目標と納期以外は部下に任せた。部下は、若い人が多かったので、固定概念にしばられないアイデアを出したり、体力と気力任せでやったり、40代半ばの僕にはできない仕事をやってくれると期待した。

結果は思わしくなかった。良かったのは、僕の管理業務が楽になったことくらいで、部署に課せられたノルマを達成するのがやっとだった。それも次年度の案件を無理やり前倒しして達成したために次年度以降が苦しくなるのは明らかだった。要するに、期待された成果は出せなかった。

ここからは試行錯誤になった。「もう少し細かい指示をください」「自由すぎて何をしていいかわからない」という声を聞いたので、前職でやったような細かく指示を出すようなスタイルに変えた。すると「指示が細かすぎてうんざり」「追いつめられているようで気が休まらない」という声がでてきた。

結果からいうと、自由や裁量について指示を出す人と出される人に認識の違いがあるのが原因だった。僕は、部下たちが「モット自由ガー」と文句をいうたびに「出ました。僕の考えた僕に都合のいい自由!」と思って、そんな都合のよいものはない、と呆れていたけれども、僕も同じだったのだ。

僕自身が僕の考えた自由に縛られていた。

僕自身が「僕が考えた僕に都合のいい自由」に縛られていたことに気が付いた。僕が部下のみんなに許していた自由は、僕の考えたものであって、彼らが考えていた自由とはかなり違うものだった。僕にとっての自由は、極端な言い方をすれば「放置プレイ」だった。結果だけ出してくれればオッケーというもの。

僕が働き始めたころの営業の仕事は、厳しい指示と放置プレイによって構成されていた。その影響を受けていた。当時の上司たちは厳しいノルマと納期を課す一方で、精神論を振りかざすだけでノウハウや経験を「仕事のやり方は見て盗むもの」という謎の伝統に則り、僕ら部下に教えることはなかった。指示だけ出して、あとはなんとかしろの放置プレイ。当時、同僚たちと「こんな放置プレイはない」「雑すぎる」と憤っていたものだが、僕もそういう仕事のやり方の影響を受けてしまっていた。反省するしかない。

この点を反省して、現在は、指示を出す前にどの程度の自由裁量を与えればいいのか、部下のみんなから意見をもらってケースバイケースで対応している。だから案件と担当者の組み合わせによっては、細かく指示を出すこともあれば、ほぼ自由にやらせることもある。大切なのは、これ!と決めた方法にこだわりすぎないことだと思う。

自由をどう使えばいいのかを真剣に考えよう。

客観的にみて、僕が新卒で働きはじめたころよりは、一人ひとりが自由に個性を活かして働ける社会になっている。このまま突き進んでいけば、上司や部下という組織や関係性もなくなるかもしれない。

1990年代中盤はみなさんがネタにするようなザ・昭和の働き方がまだ色濃く残っていた。効率よりもモーレツ。いまはそれに比べればかなり良くなっている。許されていたハラスメントが少なくなり、滅茶苦茶な会社や上司からの在り方がほぼなくなった。ブラック環境がニュースで大きく取り上げられるのは、そういう昭和の負の遺産が少なくなって例外が目立つようになったからだ。毎日暴言を吐いていた上司が許されていたほうが異常だっただけで、ようやく正常になっただけのことである。ここまで来るのに時間がかかりすぎたのは、そういうハラスメント世代が現役から退いて絶滅するのを待っていたからだろう。

また技術が向上して自由が増えた。パソコンやインターネットの発達で事務作業はかなり軽減された。営業という仕事でみても、僕が新卒で働いていたときの企画書の作成は、まだ手作業が中心で、紙を切ったり貼ったりして作っていた(そういえばやり直しがきかないタイプライターで輸出入書類を作っていたな)。コピペが使えない、図やグラフを手書きで書く、なんていまの若いビジネスマンでは想像できないだろう。しかもデジタル・データ化されていないから一回使い切りだ。マンパワーで乗り切っていた。いま振り返ってみると地獄だ。技術の発達で、こういった苦労はなくなった。こうして余った労力と時間=自由である。

自由度の高いゲームで戸惑っていませんか?

AIが登場して、さらに僕らがこれまでやっていた仕事は減り、自由(労力と自由)は増える。この自由をどう使うかが、これからの働き方のヒントになる。自由にやっていいと言われたときに何をしていいかがわからない人は多いのではないか。オープンワールドで進め方のルールがないテレビゲームで、いきなりぽつんとスタート地点に置かれるものがある。

ドラクエのように「りゅうおうを倒せ」というタスクはない。スタート地点の村民も英雄扱いしてくれない。そういうゲームのレビューをみると「何をしていいかわからずおもしろくなかった」「自由度が高くて世界に没入できました」という極端な意見が見られる。それくらい、自由は難しいもののようだ。

難しいから仕事になる。与えられた自由のなかでとことん考えて、挑戦していくことがこれからの仕事になるだろう。生成AIを使ってみるとわかるように、彼らは少し生真面目なようなので、くだらないこと、バカなことを考えていくことが人間の仕事になるのかもしれない。なんだか楽しくなりそうだ。

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執筆

フミコ・フミオ

大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。 食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。 現在は、はてなブログEverything you’ve ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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