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「悪いのは自分じゃない!お前だ!」ピンチは徹底的な他責思考で乗り切ろう。

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ピンチは誰にでもやってくる。

生きていれば誰でもピンチに陥るときがある。ピンチには、往来を歩いているときに猛烈な便意を催したり、スネを椅子にぶつけて猛烈な痛みに襲われたりといった、解決策が明確なものや神仏に祈って時間が経過するのを待てばいいものから、会社で立場を失ったり、社会的に抹殺されたりするような、深刻でヤバいものまで多種多様だ。なお、奥様の誕生日を忘れるようなピンチは、致命的かつ回復不能なので気をつけよう。

公衆トイレをみつければ解決するようなイージーなピンチは、各々で解決していただければよい。ここで取り上げるのは、働いているなかでのヤバめのピンチ。そういうピンチに遭遇するのは、多くても年に数回程度だろう。ドラマ『半沢直樹』のように毎週背筋が凍るようなギリギリタイトロープなピンチに遭っている人は、「倍返し」などとイキっている場合ではない。何かが決定的に間違っている。見直した方がいい。

ヤバめのピンチは誰でも嫌だ。できるだけ避けたい。最悪のケースを想定し、そうならないためにはどうすればいいか、まず考える。最悪のケースが起きる可能性が数パーセントであっても、相応の対応策を講じておけば安心。精神の安定が得られる。しかし、どういうわけか最悪のケースが起こる可能性を楽観して、何の対応もしない人が多い。最悪のケースが数パーセントなら理解できなくはない。「100回やって数回の確率。当たったら運が悪かった」と諦めるのだ。悪くはない。起こったときうまく対処してくれるのを祈るばかりだ。

最悪のピンチは起こらないという楽観がいまの日本をつくったのでは?

実際には、最悪のケースが起こる可能性が30パーセントあっても、対策を講じない人がいる。とくに50歳の僕より上の世代は、度胸がいいのか、思考停止しているのか、「最悪は起こらない」と決めつけて仕事を進めようとする。確率30パーセント。70パーセントの起らないほうに賭けるのだ。結果的にその賭けに勝つ。彼らの度胸が賞賛される。その繰り返しだ。

確証はないが、空白の30年が起きてしまったのは、最悪の事態を想定しながら「そんなことは起きない」という楽観をもとに十分な対策を講じなかったからではないだろうか。そういえば20年くらい前に「想定外」という言葉が流行ったよね。

残酷ながら、ヤバめのトラブルを回避するために、どれだけ慎重にことを進めていてもダメなときはダメである。トラブルは起きる。最悪、ピンチに陥ってしまう。なぜ慎重に進めていても、ピンチに陥るのか。それはピンチが仕事の本質の一部だからだ。

仕事を頼む側からみれば、対価を支払って、サービスを購入し、面倒なことをやってもらうのが仕事だ。サービスを提供する側に立てば、面倒なことをやるのが仕事である。極端な話になるけれども、ピンチは面倒の一部である。つまりピンチに遭うのも仕事の一部になる。ちなみに不注意や準備不足は単純にミスであり当然の結果にすぎない。

ピンチは思わぬところからやってくるからピンチなのだ。

昔、有料老人ホームの食事提供の仕事を取ったことがある。大型契約だったので会社幹部からは「よくやった!」「社長賞ものだ!」と褒められた。契約締結を終えた直後、運営会社が倒産した。すでに従事する新規人員を確保し、配達用の車輛も購入済み、等々の理由で幹部からは手のひら返しで叱責された。「この損害をどうするつもりだ」「私は最初からあそこと契約するのは反対だった!」と。

当時、営業課長という役職だったが、「降格や異動もありうる」と告げられた。僕自身に落ち度はなかった。信用調査を頼んだ総務担当者が、仕事を怠っていた。担当者は調査会社に調査を依頼するのを忘れていたのだ。僕としてはやるべきことをやったはずなのにヤツの怠慢でピンチに陥ったのである。

このように、自分ではきっちりと進めていても、おろかものやナマケモノが関与することによって、ピンチに陥ることがある。いいかえれば、こういうピンチからのリカバリーの繰り返しが人生である。リカバリーに慣れること、うまくなることで、人生が充実するといえる。

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「ピンチはチャンス」は詭弁である。

ピンチからのリカバリーがテーマだが、ピンチに陥ったとき「あれ?耐えられないかも」と思ったら、リカバリーよりもエスケイプをまず考えよう。その場所に留まって心身を壊してしまうのは本末転倒。リカバリーを画策途中でも「これ無理ポ」と思ったらその時点でエスケイプを考えよう。終身雇用が当たり前だった時代と違って、同じ場所で働き続けることに、いまはそれほど意味がない。

ピンチはピンチである。大ピンチになるときもある。ところが、「事業が忙しい」とSNSに頻繁に投稿しているがSNSに頻繁に投稿するくらいの暇は持ち合わせている実態が謎の起業家みたいな人(SNSのプロフィール欄が無駄に充実している)、あるいはこれからは仮想通貨といいつつお金配りと称して現金の画像をSNSに投稿する成金のような人は、意識が高いからなのか、「ピンチはチャンス」的な言葉をよく使う。僕も「ピンチはチャンス」が口癖の上司を何人か知っている。 

詭弁である。ピンチはピンチであってチャンスではない。結果的にチャンスになったものもあるかもしれない。ではピンチの数を母数にして、どれだけのピンチがチャンスへ生まれ変わったのだろう?たった1回か2回の成功体験を拡大解釈していないか。僕は「ピンチはチャンス」が口癖の上司に、チャンス数/ピンチ数を上司に質問して、露骨に嫌な顔をされたことがある。新人のときだ。新人が、僕に同じ質問をしてきたら、若い頃の自分を発見した気持ちになって、露骨に嫌な顔をするだろう。

「ピンチはチャンス」は「ピンチのときこそチャンスだと信じて頑張ろう」という叱咤激励の意味があるにすぎない。このピンチはいつかチャンスになるなどと甘い見通しを持って、ピンチから抜け出せなくなるような事態に陥らないようにしよう。先述のピンチ/チャンスに限らず、数ではなく、割合や確率で物事をみていくようにすれば、見通しはよくなるのでおすすめ。

まず「逃げる」を考えよう。

ピンチが起きたら逃げることをまず考える。同じ仕事はほかの場所でもできる。さいわいいまは人材不足。いままで真面目に取り組んできて、平均的な経験とスキルがあれば、どうにかなる。それでも逃げようとしない。「そんな割り切れないよ」といって、いくつか理由を挙げて、逃げない。辞めない。これは「逃げられない」ではなく「逃げない」のだ。逃げられない状況にあるということにして、逃げない選択をしている。僕自身がそのタイプなのでよくわかる。逆にいえば、僕はガチでヤバいピンチに陥ったときだけは逃げている。過去の転職は全部それだ。

とはいえ逃げるのは面倒だ。たとえば転職。転職には独特のエネルギーが必要だ。転職先を探す。家族への説明責任。業務の引継ぎ。それらの日常業務をこなしながらおこなうのだ。体力と精神力が必要だ。年齢を重ねることによって、転職先をみつけるのは難しくなり、引き継ぐ業務は増える、ハードルは上がる。体力や精神力は下がっていく一方。転職先がどういうものか、経験から予想できてしまうので、期待感も少ない。

ハードルが高くなる一方で、それを乗り越えるためのパワーは下がる一方。転職するのが億劫になってしまうのも無理はない。一方、上司に注意された程度のミクロなピンチで逃げることを選択していても、障害を乗り越えられない人と評価されるだけなので、よく考えてもらいたい。

大ピンチを乗り越えるためには。

ピンチに陥っても、乗り越えられそうなピンチなら、乗り越えていく。ピンチは人によりけりで、前例がないものも多い。前提条件がそれぞれ違うのでピンチのときは効果てきめんな特効薬はない。インターネットで検索しても、チャットGPTに相談しても、ごく一般的な回答しか得られない。だから他人の経験を抽象化して自分に当てはめていくことが必要になる。

20年以上前の古い話だ。当時僕は30歳前後の営業職としてもっとも脂が乗り切っていた時期。結果も出していた。自信に溢れていた。イキって上司の変な指示や納得のいかない意見には反発していた。これが失敗だった。小さいミスを犯した僕は、上司に目をつけられていたこともあって、ミスを徹底的に糾弾されてペナルティを受けた。異動。ミスの影響からみれば理不尽なペナルティだったが、上司にマークされていたから仕方なかった。

異同先は港湾エリアにある物流倉庫。与えられた仕事は在庫管理と荷物の搬出入業務。人員が足りないときはフォークリフトを運転した(学生時代のアルバイトでフォークリフト講習を受けて運転はできた)。営業職とは無関係な仕事だった。いまでいう「追い出し部屋」的な異動だった。

仕事はきつかった。納得のいかない異動だった。逃げることもできた。でも僕は逃げなかった。このピンチに耐えることを選択した。なぜだろう? この事態を乗り越えられると判断したから? 営業部に舞い戻って上司にリベンジを果たしたいから? 若くて体力と精神力があったから? 天邪鬼だから? いま振り返ってもよくわからない。さまざまな要因があり、それらを天秤に乗せて計ったときに、ピンチに耐える側に秤が傾いたとしかいえない。

徹底的な他責思考で自分を守る。

なぜ、僕はピンチを乗り越えられたのか。ひとことでいってしまえば、徹底的な他責思考を持ったからだ。まじめな人はピンチに陥ったときに自責思考をしがちだ。「なんでこんな事態になったのだろう?」「自分にもっと才能があれば」「上司とうまくやっておけば」と過去の行為を悔やむのである。責任追及のベクトルが自分に向かっていると、もやもやするだけである。

そこで徹底的な他責思考。ピンチに陥った責任を他人のせいにするのである。実際に自分に責任があってもすべて他責とする。責任追及のベクトルを外に向けることで、心を軽くするのである。僕は心が折れそうなときに「俺は悪くない上司が悪いのだ」とマントラを唱えた。朝倉庫に向かっているバスの中で。倉庫の殺風景な事務所で。フォークリフトを操縦しながら。そうやって自分の心を守った。

自分に責任がないと考えることで、仕事のつらさは軽減される。ピンチにあっているときに自己責任、自分を追及するのはナンセンスである。厳しいときこそ、責任を誰かに転嫁させる。誰かはその場にいない誰かにしておけばトラブルにはならない。僕は自分を陥れ、追い出し部屋に追いやった上司に責任を押しつけることでピンチを乗り切ったが、これは健全ではない。みなさまにおかれましては、「罪を憎んで人を憎まず」という日本古来の教えに従って、人ではなく罪に責任を押しつけるようにしていただけたら理想だ。具体的に人をイメージしたほうが他責思考を持ちやすいけどね。

大切なことはピンチに陥ったときに被る心身のダメージをできる限り軽減することだ。ダメージを軽くできればリカバリーも容易だ。僕は、1年弱の港湾倉庫勤務を経て、いろいろあって営業部に戻ることができた。港湾でずっとピンチの責任は上司にあると他責思考を持っていたため、心をやられずに帰還できた。上司としては僕が港湾で反省をして弱って帰ってくると思っていたようだが、残念でしたとしかいえない。こうして大ピンチからのリカバリーを成した僕は、それから20年経ったいまでも営業という仕事をやり続けている。それがいいのかわからないけれど。

たかが仕事と考えて気楽にやる。

ピンチはどれだけ対策を講じても陥るときは陥るものである。仕事がそういうものだからと諦めよう。そしてピンチに陥ったら、リカバリーできるかどうかを見極めて、無理だと思ったら逃げることを第一に考えよう。ピンチを乗り越えることを決めたら、徹底的な他責思考で自分を傷つけないようにしてダメージを軽減することに努めること。僕の30年弱の会社員経験でピンチから乗り越えるコツはこんなところだろう。真面目な人ほど、深刻になりすぎて、自責に走って壊れてしまいがちなので、気をつけましょう。たかが仕事なので気楽にやるくらいでちょうどいい。なお、パートナーとの関係におけるピンチについては、100パーセント相手に原因があっても、徹底的に自分が悪いという意識を持つようにしなければならないのはいうまでもない。

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執筆

フミコ・フミオ

大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。 食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。 現在は、はてなブログEverything you’ve ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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