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謝ればオッケーだと思っている人が多い
問題が起きたとき「謝ればオッケー」と考えている人が日本社会には相当数存在する。残念だ。かなり昔の話になるが、次のようなことがあった。取引業者からの納品日。倉庫で待っていると社名の入った4トントラックがやってきた。1か月前から定期的に進捗状況を電話で確認していた案件だ。問題はなかった。電話のたびに「何か問題が生じたら連絡をください」と告げていたため、こうしてトラックがやってきたということは、万事順調ということである。
そう信じていた僕がバカでした。トラックが止まった。運転席からなかなか降りてこなかった。「納品書を持ってくるのを忘れたのかしら?」とモナリザのように微笑んでいると、担当者と彼の上司が降りてきて、出発前に打ち合せと練習をしたのだろうね、がばっと同時に頭を深くさげて「本日、納品できません。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪してきたのである。意味がわからなかった。数日前まで進捗を確認していた。何か問題があったらいつでも連絡するように伝えてあった。それでこの状況。2人の釈明を聞いた。数日前からラインの機械が不調で契約数の商品を揃えられるか微妙な状況が続いていた。今日の納品に間に合わせるよう、徹夜をしてがんばったが駄目だった。そういう話であった。何それ。
「なぜ、トラブルを認識した時点で連絡をくれなかったのか」僕が問いただすと、見通しが甘かった、全力でがんばったのですが、というばかり。同業他社に契約を取られるのを恐れたのかもしれない。原因はわかった。「では対応策と今後の対策について教えてください」というと彼らは「対応と対策についてはこれから考えます。まずは謝罪しなければならないと思って飛んでまいりました」と真顔でいった。呆れてしまった。これ以上彼らとはビジネスはできないと判断して、事後、落ち着いたあとで解約手続きをとった。このような「謝ればなんとかなる」という思考が日本の仕事のありかたには蔓延していて、僕は28年間の職業人生においてこれ以外にも同様の事態は何回か経験している。謝罪病にかかっているとしか思えない。
大魔神を怒らせたら怖い。
問題が起こったとき、まず、謝罪をする。子どものころから、親や学校から教えられてきている。迷惑をかけた人にまず謝ろう、と。それ自体は全然、悪くない。失敗したときは、非を認めなければ次のステップに進めないからだ。問題は、「まず謝罪をする」の「まず」に力点が置かれすぎている点。謝罪は自分の非を詫びることである。しかし、「まず」を重視することによって、謝罪よりも相手の怒りを抑える意味合いが強くなってしまう。
①仕事でしくじる。②満足な商品やサービスの提供ができなくなる。③客に迷惑をかける。仕事で問題が起きるときはだいたいこの3段階。そのうち客に迷惑をかけ、怒らせてしまうのを恐れて、火消しに走るのだ。なぜか。商品やサービスが提供できないというトラブルが発生しても、客の機嫌を損ねなければ、あるいは、機嫌を損ねるのを最小限に抑えることができれば、仕事を継続できると考えるからだ。
僕は小学生のときイタズラっ子だった。幼稚なイタズラは先生にすぐばれてしまった。たとえば教室の床板を剥がして、給食で誰かが残した玉ねぎのスライスをそこに隠す意味不明なイタズラは、あっという間に担任の先生にばれてしまった。先生は「なぜこんなことをしたの?」と質問して言い訳を聞いたあと「まず謝りなさい」といった。イタズラした床のリカバリについては後回しだった。まず、迷惑をかけたクラスメイトと、床に対して謝ること。今後の対策(といっても繰り返しやらないと決心するしかないけど)よりもまず謝ることを教わった。
担任の先生は間違っていなかった。なぜなら、社会が「まず謝ること」を求めるからだ。担任は処世術を教えてくれていたにすぎない。社会には問題が起きたときに怒り狂う人がいる。その怒りを抑えるのが先決という考え方だ。大魔神が怒ると災いが起こると信じているのとたいして変わらない。問題の解決が目的なのではなく、相手の怒りを抑えるのが目的だと認識しているから、「まず謝罪」という考えになるのだ。
謝罪の効果はない
仕事上でいえば、「まず謝罪」の効果はほとんどない。効果は、せいぜい少し怒りがおさまる程度。僕は相手がミスをしても怒ることはないから、僕のような人間には「まず謝罪」の効果はゼロだ。「まず謝罪」で担当者が駆け付けてくるぶん、対応や対策が後回しになっているため、仕事的にはマイナスのほうが大きい。
謝罪を受ける側も、わざわざ駆け付けてきて、涙をこらえて頭をさげる人間を「そんなことをされても困る!」としかりつけるには相当な気力が必要だ。疲れる。「対策はどうなっているの」と詰問すると相手は「まず謝らなければならなければと思って飛んできました」などと、なぜかやった感バリバリの清々しい表情をしている。呆れて体力と精神力が削がれる。
「まず謝罪」は、ポジティブな効果はないが、受ける側にダメージに「もういいよ……」と怒るパワーを喪失させるネガティブな効果はある。最終的には「謝罪は早いがアホな企業とは付き合うのはヤメよ」という結論になるだろう。「まず謝罪」に頼りすぎるのは禁物だ。
相手が望む謝罪をするのは難しい。
僕は、仕事上のトラブルでの謝罪は不要だと思っている。対応と対策さえしっかりやってくれればいい。僕のように「謝罪はいいから」と考えている人もいる一方で、「なんでもっと早く謝罪に来ないのだ!」と一刻も早い謝罪を望む人もいる。僕の経験では、年齢が高くなるほどトラブル時の謝罪を重視する人が多いように見える。
相手が望んだどおりの謝罪を完璧に履行するのは不可能である。「どんな謝罪がお望みですか?」とヒアリングできればいいが、受け入れられず、火にニトログリセリンを投じる結果になるのは明らかだ。
どのような謝罪をすれば相手に受け入れられるか、想像するほかない。当たるかどうかはわからない。的外れの謝罪になることもある。謝罪をしても望んだ謝罪ではなく「謝罪がなってない」とかえって逆鱗に触れて問題がややこしくなったりする。
謝罪は難しい。「まず謝罪」のように謝罪オンリーだと謝罪そのものだけで判断されてしまう。ところが問題の対応と対策が決まっていれば、謝罪が望むようなものでなくても、対応と対策はこうなっておりますと答えられる。謝罪と対応の二段構えで怒りを抑えることが可能になるのである。これだけでも「まず謝罪」が無謀な方法だとわかるだろう。相手の望む謝罪なんて考えるのは無駄なのでやめよう。
謝罪はあらかじめ定めておく
謝罪はなくしたほうがよい。「まず謝罪」といって駆け付けるのは無意味だ。僕はそう考えているけれど、実際問題、完全に謝罪をなくすのは不可能。世の中には問題が起きたときに謝罪を望む人がいるからである。おそらく謝罪をしてくる相手より上の立場に立てると考えているのだ。しかし、仕事上で、とくに問題が起きているときに、マウントの取り合いをするほど無駄なことはない。昭和や平成の時代ならいざ知らず、仕事のスピードがあがっている現代において、無意味な謝罪をしている余裕はない。なので令和の現代に求められる謝罪はスピード感と簡略化が求められるだろう。
では現代の謝罪はどうすればいいのか。契約の際に謝罪について決めておくのはどうだろう。契約書だと堅苦しいのであれば覚書に定めておく。問題が発生したときに、対応や対策の代わりに菓子折りを持って一刻を争うように駆け付ける謝罪を禁じるなど、やってはいけない謝罪を決めたり、あるいは、問題のパターンによる謝罪の仕方をあらかじめ定めたりしておく。事前に定めておくことによって謝罪を感情から切り離した業務の一部として処理ができるので、大幅に時間と手間の無駄が削減できるだろう。通常なら嫌がられる形だけの謝罪が、事前に定めておくことにより、実効性を持つことになる。
事前に定めておいた謝罪を忠実に実行することで「気持ちが入っていない」と腹を立てる人もいるだろう。また、定められた謝罪をするだけでは気が済まない人もいるだろう。決めごとをしておいたうえで、相手の裏をかいて、「まず謝罪」をすると意外と相手の心を射貫くかもしれない。はっきりいってよくわからない。正解はない。相手と良好な関係性を築いておき、相手がどのようなタイプなのか判断材料を多く持っておくことが大事だろう。
間違いのない謝罪は、まず電話で謝罪を入れ、現状と現時点における問題の対応と対策を相手に伝えて、締め切りを設定して対応と対策の決定版を相手に伝えることだろう。そのうえで必要ならば入手可能な最高の菓子折りを持参して謝罪へ向かうのである。
奥様のようなパートナーへの謝罪は、相手に99%非があってもこちらに1%の非があれば、光の速さで、床に額をすりつけてまず謝罪することが何よりも大事であることはいうまでもない。
執筆
フミコ・フミオ
大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。
食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。
現在は、はてなブログEverything you’ve
ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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