「持続可能な公共交通ネットワークをつくる」熊本の路線バス5社共同経営

2021年4月、全国初のバス事業者5社による共同経営が熊本県で始まった。赤字バス路線の維持や、不足する乗務員の確保など、地方インフラが抱える多くの課題を県内のバス事業者が協力して解決する狙いだ。さらに5社共同でDX(デジタルトランスフォーメーション)にも取り組み、データ活用組織への変革を目指す。共同経営の先駆けとして、2020年よりオープンデータ化を開始。県民に公共交通への理解を深めてほしいとの思いから、バスの運行状況やダイヤのみならず、路線バス事業の収支まで公開している。情報開示をきっかけに、県内外や個人も巻き込んだオープンイノベーションが進行中だという。共同経営推進室の今釜 卓哉さんに話を聞いた。

今釜 卓哉(いまがま たくや)さん プロフィール

1986年生まれ。福岡県出身。2009年九州産交バスに入社。営業所勤務を1年半経験した後、九州産交バス本社で路線バスのマーケティング部門を12年間担当。そのほか、ICカード立ち上げや空港民営化などの事業に従事する。2020年1月より共同経営推進室(現職)。

共通定期の導入で、定期券保持者が約10%増

人口減少やマイカーの普及などにより、地方でのバスや電車の利用者は減少傾向だ。全国的にも公共交通機関を運営する企業の経営悪化は、深刻な社会問題となっている。多くの課題を解決するため、熊本県では2021年4月に県内5つのバス事業者による共同経営がスタート。2020年に施行された独占禁止法の特例を利用した全国初の試みだ。

 

共同経営推進室の今釜 卓哉さんは、共同経営のミッションについて教えてくれた。

 

「熊本のバス路線を未来に残すために、1社でできることには限界がある。以前から各社に危機感があり、一枚岩となってその問題を解決しようと共同経営を開始しました。これまでは自由競争で各社バスを運行していましたが、路線が重複することでバスが過剰なエリアもあれば、赤字路線も存在します。共同経営により、それらを一元化してエリアごとに再調整することが可能となりました。それと同時にデジタルサービスの導入を進め、将来的にも持続可能な公共交通ネットワークをつくること。共同経営推進室はそのために生まれた組織です」

 

共同経営の参加企業は九州産交バス、産交バス、熊本バス、熊本電気鉄道、熊本都市バスの5つの事業者だ。九州産交バスから共同経営推進室に参加する今釜さんは、多くの企業から集まった同僚と過ごすなかで心境の変化を感じたという。

 

「今までは会社の代表として看板を背負う気持ちがどこかにありました。けれども共同経営推進室で5つの事業者がひとつの組織となったことで、地域全体として最適な公共交通の在り方を模索できるようになりました。会社の垣根を超えて動く立場となり、これまでとは視点が大きく変わったと感じます」

 

共同経営の開始後は、重複路線の効率化やダイヤ見直し、各社で不足していた運転手の再配置など、従来の運行管理の集約化と再構成が進められた。

熊本県内各地を走るバス。共同経営でより効率的な運行管理が実現した

2022年4月からは共通定期の導入もおこなった。熊本の中心部「桜町バスターミナル」から「熊本県庁前」へ行く場合、産交バス1社では105便だった路線で153便の利用が可能となり、乗車できる便数が46%アップ。会社の縛りをなくしたことで乗客の利便性が向上した。

 

共通定期の導入により、定期券の保持者は約10%増加。1社の利益より熊本県内全体での効率化を重視する姿勢が、全体の利益に貢献する結果となった。

オープンな情報発信がイノベーションへつながる

2019年4月から県下一斉で運用をスタートしたバスロケーションシステム「バスきたくまさん」も、着々と発展している。バスの位置情報を集約し、バス事業者間での共有に取り組んだ。バスの位置情報をリアルタイムでWebサイトに公開。1日の平均アクセス数は17,000件、利用者の約30%が活用している。

 

2021年4月からはスマートバス停も熊本県内9カ所に登場。「バスきたくまさん」と共通のデータを利用して、デジタルサイネージでバスの運行状況がリアルタイムで表示できるようになった。5つのバス事業者の情報が時間順に表示されるこのシステムは、全国でも珍しい取り組みだという。

熊本駅前のスマートバス停。バスの通過状況も一目瞭然だ

さらに、外部へ向けた情報発信も積極的におこなっている。バスの運行状況を国際標準形式(GTFS)で無償公開。それらのデータをGoogleにもアップすることで、Google経路検索にもバスの運行状況がリアルタイムで反映されるようになった。現在地から路線バスを使った最適なルートを表示するシステムが実現。日本語はもちろん、英語やフランス語など多言語での案内も可能となり、世界中の人にバスの運行状況を共有できることもGoogle対応のメリットだ。

 

バス事業者間の垣根をなくし、さらには世界中の人が自由に見られる形で情報発信する。公開データを国際標準形式にしたことで、新たなイノベーションも生まれたと今釜さんはいう。

 

「私たちが公開したオープンデータは、個人の方にも活用されています。個人開発の温泉マップ『ゆる~と』では、目的の温泉地までの経路に私たちのバス路線も組み込んでもらえました。観光客にも路線バスを活用してもらえるのではと、潜在需要に期待しています。ほかにも、自分の部屋で次のバスが来るまでの時間を表示できる『ミニサイネージ』というユニークなものを個人で開発した方もいます。Twitterで約7,000“いいね”されネットで話題となりました。

個人開発のミニサイネージ

 

どのサービスも自分たちではイメージもできなかったイノベーションです。私たちがやりたかったのは正しい情報発信であまねくサービスを展開していくこと。開発者側に『これいいな』と思ってもらえる工夫は、これからも追及したいですね」

 

共同経営推進室のホームページでは、路線バス事業の収支も公開している。経営状況を明らかにするスタイルは型破りともいえるが、厳しい経営状況も含めて県民の理解を得たいと今釜さんは話す。

 

「熊本のバス事業の現状を県民に理解してもらい、公共交通をもっと利用してもらうきっかけになればとの思いから、5社合計での収支を公開しています」

 

交通インフラを通じて熊本全体を盛り上げていきたい。地元への思いが、どこまでもオープンな情報発信となり、県内外の人が公共交通のデータを活用する動きにつながっている。

目指すのはデータ活用組織への変革

バスとデータを組み合わせて、新たな価値を創造したい。日々蓄積するバスのデータを活用する組織への変革を目指し、彼ら自身も奮闘中だ。今まで現場の「勘」に頼っていたことも、データによって明確になると今釜さんは話す。

 

「データ活用とひとことで言っても、急にみんなの意識や社内風土が変わるわけではありません。けれども、社内で改善すべきこと、聞くべき現場の意見はこれまでもたくさんあったはず。私たちの扱うデータが、現場の人たちの『体感』を数値化できるツールになると思っています。

データや数字といった明確な根拠をもとに、意思決定や合意形成を進める癖をみんなの習慣にする。データ活用が当たり前の組織になるよう、社内の風土改善も少しずつ進めています。ひとりの力では難しい問題ですから、共同経営推進室全員の組織戦でやっていかなければいけません」

 

乗客の利便性向上を目指して導入された、ICカードやバスロケーションシステム。運用する事業者側には、膨大なデータが毎日蓄積されている。乗客の残すログデータや、実際にバスが走った記録が残っている。

 

「ICカードのデータを分析ツールで可視化すると、ピーク時の混雑状況が見えてきました。このデータをもとにバスの運行を最適化して、コロナ禍での混雑を抑え、さらにコストも削減できました。次はバスロケーションシステムで蓄積したデータを、遅延改善につなげようと分析しています」

 

2019年には、熊本市中心部の商業施設「サクラマチクマモト」がオープン。開業時に実施した“バス電車無料日”の人流データを分析した結果、当日25万人が来場し、公共交通の利用者も普段の2.5倍増えたと明かしてくれた。渋滞を15.6%解消しつつ、約5億円の経済効果を生み出した試算だというから驚きだ。バスの利用推進を渋滞解消や経済効果につなげようと、今後もバス運賃100円の日などのイベントを予定しているという。

 

「データを眺めること自体が面白い」という今釜さん。デジタル導入を決めた当初はここまでの広がりは予想していなかったが、次のアクションにつなげる努力を続けたいと意欲を見せてくれた。