人がAIをサポート。逆転の発想から誕生したBakeryScan

世界初だった。レジの画面には一瞬でパンの値段が表示される。画像識別で培った技術からAIレジは生まれた。今やベーカリーのDXだけにとどまらず、その技術は医療分野をはじめ、さまざまな分野へ活用が広がる。ベーカリーで働く人たちに喜びを提供し、癌細胞発見へ応用する研究も進む。幾多の困難を乗り越え、AIレジを開発した株式会社ブレイン 代表取締役社長の神戸 壽さんに話を聞いた。

 

人がAIをサポート。逆転の発想から誕生したBakeryScan

神戸 壽(かんべ ひさし)さん プロフィール

1950年生まれ。兵庫県西脇市出身。東京農工大学卒業。松下電工を経て家業の材木店を継ぐが「子どもに胸を張っていえるものを残したい」と1982年にソフトウエア開発会社 株式会社ブレイン(以下ブレイン)を設立。

CG(コンピュータグラフィックス)による、世界初のプロ野球速報システムを開発し、NHKに納入。その後、先染織物デザインシステムを開発する。放送、医療、繊維分野を中心に画像処理のシステムを開発、販売。2013年AIレジのBakeryScanを発売。2015年にBakeryScanでグッドデザイン賞Best100、ものづくりデザイン賞、日本ものづくり大賞優秀賞を受賞。2022年旭日單光章を受章。株式会社ブレイン代表取締役社長(現職)。

ベーカリーのDXでイノベーションを起こした

JR上野駅にある大手ベーカリーでは、レジ台数を減らし、レジ担当者も半分近くに減らしたが、お客さまのレジ待ち行列がなくなり売上げが向上した。

社会福祉法人が運営するベーカリーでは、バックヤードでしか働けなかった人が、店頭でも働けるようになった。軽度の知的障がいがあり、素早い計算が苦手な人も、レジに立ち接客ができるようになった。

店舗にとってもメリットは大きい。100種類ほどのパンの名前を覚えるのは、早い人でも1か月かかるそうだ。BakeryScan導入後は、パンの名前を覚えなくてもよい。採用したてのアルバイトやパートの人も初日からレジを打てる。顧客サービスの向上とコストダウンを両立できるのだ。

「パンの画像から一瞬で金額表示ができないだろうか」

ベーカリーのチェーン展開を考える人から相談を受けた。これが、BakeryScan開発のきっかけだ。

「実験店舗で検証したら、30種類のパンを並べるよりも100種類並べるほうが、単位面積あたりの販売効率が1.5倍になるとわかりました。それに包装して売るよりも、裸で売ったほうが3倍売り上げが良い。しかし裸のパンには、バーコードがつけられません。

一番のネックはレジでした。多くのパンの種類と価格を覚えなくてはならず、新人には難しい。少なくとも1か月は教育期間が必要です。レジの処理が遅いとレジ待ち行列ができてしまいます。お客さまを待たせるうえに回転率が低下し、収益に影響する。課題解決が必要でした。それで、画像処理のシステムを手がけていたブレインに相談がきたのです」神戸さんはこう話す。

苦労の連続。AIレジの開発

当時、ブレインでは繊維の配列解析をしていた。神戸さんの出身地、兵庫県西脇市は世界一の先染織物の産地だ。地場産業の織物は、1.8メートルの幅の織物に約8,000本の縦糸が並ぶ。1メートルほど試し織りをして、繊維の設計図通り縦糸がきちんと並んでいるか、目視確認する工程がある。人間が8,000本確認するのは、極めて大変だ。カメラで撮影し、8,000本を解析しようと研究していた。

「『ついでにパンもやってくれ』と研究チームに言いましてね。なんとかできるだろうと思ってスタートしましたが、そうは問屋が卸さなかった」神戸さんは笑いながら話す。

パンは異なる種類でもよく似ている「異種間の類似性」という性質がある。たとえば、こしあんパンとつぶあんパン。違いは、小さなけし粒のありやなしや。加えて「同種間の個体差」もある。同じ種類でも焼き色やトッピングの位置が微妙に異なる。焼く人によっても、同じ豆パンでも豆の位置が違う。

 

異種間の類似性

提供:株式会社ブレイン

同種間の個体差

提供:株式会社ブレイン

 

「異種間の類似性」「同種間の個体差」という相反する性質を識別するためには、新しいAIのアルゴリズムが必要だった。2007年からスタートして2009年の12月頃には、50種類のパンを98%程度まで識別できるようになった。しかし実用化には、まだまだ多くの壁があった。

「30年ほど取引があった大手企業さんへ『一緒に実用化の研究をしませんか』と話を持ち込みました。でも、あっさり断られましてね。基礎研究までは、ついで仕事でなんとかできたのですが、実用化になるとブレインの体力ではしんどい。

困っていたら、ちょうど経済産業省に戦略的基盤技術高度化支援事業があるのを知ったのです。申し込んだら採択されました。それで2010年の6月から経済産業省の支援を受けて、3年計画で実用化の研究がスタートしました」

実用化に向けて一番大きな山があった。画像識別はどうしても100%にならない技術だった。レジはお金を扱う場所。「100%の精度が必要なところに、100%にならない技術を持ってきてはダメだ」と業務システム担当のエンジニアから大反対があった。

「人がAIをサポートする」発想の転換でブレークスルー

「AIが人をサポートするのでなく『人がAIをサポートしよう』と発想を転換しました。パンを画像識別したときに、コンピュータが画像識別に自信があるものはグリーンで囲みます。ないものは黄色、ちょっと怪しい、わからないものは赤で囲うようにしました。黄色で囲まれた部分をタッチすると、類似候補のパンが表示されます。人間が類似候補を選択して、最終的には100%の精度にしていきます」

自信のないコンピュータの画像認識を人間がサポートしている。

 

コンピュータの画像認識

提供:株式会社ブレイン

 

「訂正されたデータは、学習データとして蓄えられる仕組みにしました。AIにはディープラーニングという手法がありますが、教師データ(データとラベルをセットにした学習データのこと)が500個、600個も必要です。パンの場合、それでは使いものになりません。そこで、新しい機械学習を開発しました。

新商品が発売される際に3個か4個を登録すると、最初から約90%の識別率になります。あとは20回ほどレジ精算時に自動的に学習をおこなうことで午前中には約99%の識別率になります」

加えて難しい課題が照明、外光だった。実験室の中では一定の環境で識別できる。しかし実際の店舗では、レジ周りの環境光は季節、天候、時間によって刻々と変化する。ハードウェアとソフトウェアを工夫し、問題ない状態まで仕上げた。

トレイの上で接触したパンも課題だった。パンのような非定型のものが接触した場合、どこからどこまでが1個か認識が難しかったが、自動的に分離するアルゴリズムを考えた。

撮影装置もトレイの中心から真上から撮るのがベストだ。しかし店頭では違和感があった。試行錯誤を繰り返し、最終的にはトレイの端から斜め下に撮影するようにした。斜めからの撮影は画像が歪むため、画像補正の仕組みを組み込んだ。洗練されたデザインは、グッドデザイン賞(公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞した。

 

ものづくりデザイン賞

提供:株式会社ブレイン

 

次から次へと発生する課題を、神戸さんはクリアしていく。

「最近コロナで個包装するようになりましたね。ビニールの乱反射が厄介だったんですが、この課題も解決しました」

「パンに救われた」BakeryScan誕生のバックストーリー

「兵庫の片田舎で創業し、偶然が重なって創業1年でNHKさんにプロ野球の画像システムを採用いただきました。3年後には先染デザインシステムで三菱商事さんと一緒にビジネスもできました。創業して10年間は非常に調子がよかったです。でも、バブルが弾けてえらいめにあったのです。

そのときは、富士通さんから手を差し伸べていただきました。しかし2008年のリーマンショックのときは富士通さんも厳しい経営状態でした。一緒にやっていたプロジェクトはほとんど延期か中止、凍結。生き残るためには自社の商品がないとダメだと。そんなとき、パンの話がきたんです。失敗したら会社を畳むしかない。覚悟を決めました」

当時、日本国内にパン屋は1万3000社あった。ケーキ、和菓子店は5万社。繊維のマーケットよりは大きい。成功すれば、なんとか苦境を乗り切れるかもしれない。特許を調べると、パンの画像識別は世界中どこもやっていなかった。「やってみよう」困難に挑む火事場の馬鹿力が、発想の転換と数多の課題をクリアした。

その後、BakeryScanの技術はパンだけにとどまらず、思わぬところへと広がった。

あるとき神戸さんへ突然電話がかかってきた。BakeryScan紹介のテレビを見ていた京都のルイ・パストゥール医学研究センターのドクターからだった。パンが癌細胞に見えたそうだ。

癌の細胞診断は、病理医が顕微鏡を覗きながら検体を調べて診断している。非常に根気がいる作業で、専門医でも1日2時間、50症例をおこなうのが限界だそうだ。人材不足や早期発見・早期治療の推進で、検体の診断件数は増加している。

「原理はパンの画像識別と同じです。細胞1つひとつの形状や大きさを計測して診断します。AIのディープラーニングによる診断システムもありますが、これだと診断の根拠が検証困難なのです。一方、私たちのシステムでは、判定の元となる核腫の大小やクロマチンの濃染度で診断の根拠を示せます」

このシステムではコンピュータが癌と診断した細胞を一覧表示したり、サンプル中の分布も表示できる。

 

エリア画像

提供:株式会社ブレイン

 

BakeryScanの画像識別技術は、落石予知システムにも応用されることになった。リニア新幹線のトンネル工事では、掘削面をレーザーで測定した波形を読み、振動によってどのように岩面が変化するのか、落石リスクをAIで判定する。2022年にリリースされた最新事例だ。 

「やりたいことをできるに変える」過去から未来へつながるライフワーク

パンに救われた神戸さんは、人とのご縁が今につながっていると話す。

「2016年に体調を崩したのです。幸いにして入院は短期間ですみ、現代医学に本当に救われました。その1年後、2017年にルイ・パストゥール医学研究センターからお声がけがありました。

癌細胞診断支援のプロジェクトに関わるようになって、何か運命的なものを感じます。そろそろ引退しようかと思っていましたが、そうもいかなくなりました。このプロジェクトは自分にとってライフワークです。創業間もない小さな会社のシステムを採用してくれた、当時のNHKのチーフディレクターもプロジェクトのメンバーです」

創業間もないブレインのシステムを採用してくれたチーフディレクター。リスクを負いながら抜擢してくれたその人に、まだ若かった神戸さんは当時聞いたそうだ。「なぜ、先輩後輩でもない、親戚でもないのに応援してくれるのですか」

開口一番こたえてくれた。「ご縁だよ。他社の人間はできないと言っている。でも君はできると言っている。できたらすごいじゃないか。ダメだったら去年のシステムを使えばいい」

「そのときの『ご縁』は僕のキーワード。一番の基盤です」神戸さんは、格別の笑顔で答えてくれた。

 

株式会社ブレイン