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バーのマスター×作家の二刀流で活躍する林伸次さんに聞く「夢の叶え方」

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渋谷のワインバー『barbossa』のマスターでありながら、作家として何冊もの著書を出版している林伸次さん。数々のお客様と出会ってきた経験を活かした文章が人気を呼び、最新作『結局、人の悩みは人間関係』(産業編集センター)も好評を博しています。
もともと村上春樹に憧れ、「バーをやりながら作家になりたかった」という林さん。しかし実際に小説を書き上げることができたのは、バーのマスターになって20年近くの月日が経ってからでした。
そんな林さんに、2つの夢を追うことと、夢を叶えるまでの道のりについて伺いました。

林 伸次(はやし しんじ)さん プロフィール1969年生まれ。徳島県出身。渋谷のワインバー「bar bossa(バールボッサ)」店主。レコファン(中古レコード店)で2年、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)で2年、フェアグランド(ショット・バー)で2年勤務を経た後、1997年渋谷に「bar bossa」をオープンする。著書に『大人の条件 さまよえるオトナたちへ』(産業編集センター)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)、『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?』(DU BOOKS)、等がある。

大学を辞めてロンドンに行くも挫折。村上春樹に憧れるフリーター時代

――ご出身は徳島県ですよね。

はい、大学進学のために上京しました。でも、大学はすぐに中退したんです。当時はバブル景気で、「フリーター」という言葉が一般化された頃。就職しなくてもバイトで充分に食べていけたし、自分探しが流行っていた時期で、僕も影響を受けてしまって。音楽の仕事をしたいと思い、バイトしてお金を貯めて、しばらく住むつもりでロンドンに行きました。

――すごい行動力ですね!

でも、わずか2か月で日本に帰ってきちゃったんです。バイトしたくておしゃれなクラブに行ったんですけど、英語で一生懸命話しかけても無視されるんですよ。ほかにも人種差別的な出来事がたくさんあって、心が折れてしまって……。

――帰国後はどう過ごしたのでしょう?

大学に行かなくなってからは友達もいなくて、しばらく引きこもっていました。そのとき、小説に救われたんです。

もともと、小説は小さい頃から好きだったんですね。とくに影響を受けたのは村上春樹。僕が高校生のときに『ノルウェイの森』が出版されて、みんな当たり前のように読んでいました。村上春樹の影響でジャズ喫茶やジャズバーを始めたり、彼に人生を変えられた人がたくさんいたんです。

――林さんもその1人?

はい。村上春樹をロールモデルに、「いつかはバーをやりながら作家になりたい」と夢見ていました。だから、自分も小説を書いてみたんです。でも、最後まで書けずに挫折しちゃって……。そういうことを何度か繰り返していました。

――その後のキャリアについて教えてください。

作家になりたい一方で、やっぱり音楽の仕事をしたい気持ちがありました。海外からレコードを買い付けたり、インディーズレーベルをやったりしたかったんです。それで有名なレコード屋で働きはじめたんですけど、そこはお給料が安くて生活できなかったので辞めました。

そのあと、23歳で中古レコード屋に入り、そこでいまの妻と出会いました。出会ってからしばらくは片思いで、どうにかして振り向かせたくて、1か月毎日ラブレターを書いたんです。「僕はいずれ有名な作家になるから、僕と付き合えばあなたは印税生活ができますよ」って。

――でも、その段階では小説を最後まで書き上げられていなかったんですよね……?

そうなんです。小説を一作も完成させたことがないのに、ラブレターでは大口を叩きました。まぁ、若かったんで……。

粘った甲斐あって、無事に彼女と付き合うことになり、「バーをやろう」って話になりました。当時、レゲエバーやロックバー、ジャズバーはあったけど、ボサノババーはなかったんですね。だから「一番最初にやったら絶対ウケるぞ!」と盛り上がって。それから、バー開店に向けて貯金を始めました。

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4年間の修業時代を経て、27歳でバーを開店

――バー開店を志してから、実際にオープンするまでの経緯を教えてください。

最初の2年間はブラジル料理のレストランでバイトして、次の2年間は本格的なバーで修行しました。下北沢のバーだったんですけど、飲食店業界では有名な師匠の元で、たくさんのことを学びましたね。

――修行時代の4年間、小説を書くことはありましたか?

ありませんでした。とにかく「バーを開店する」という目標に向かって必死だったので。だけど、いつか村上春樹みたいになりたい、という夢は諦めていませんでした

――こちらの物件はどのように探したのでしょうか?

はじめは下北沢で物件を探したんですけど、なかなか見つかりませんでした。当時はまだ27歳だったので、不動産屋で「27歳? お父さんがお金持ちなの?」みたいな嫌味を言われることもありましたね。

そんなとき、「渋谷にこういう物件があるよ」と教えてもらったんです。僕、渋谷は詳しいつもりだったんですけど、こんな場所があるのは知らなかったんですね。ということは、恋人たちがお店を探しているときに偶然ここを見つけたら、最高のデートになるんじゃないかと思って。それで、この場所に決めました。

――開店にはどのくらいお金がかかったのでしょう?

僕が200万円、彼女が200万円出して、合わせて400万円。それに国民生活金融公庫(現:日本政策金融公庫)で300万円借りて、700万円の資金を用意しました

ここは家賃が22万円なんです。保証金や、大家さん・不動産屋さんに払うお金が全部で300万円くらいでした。

――内装にもお金がかかりますよね。

内装は、カウンターと水道だけ業者に作ってもらって100万円くらい。あとは自分で壁を塗ったりテーブルを作ったりして、費用を抑えました。今使っているこのテーブルも、開店当時に僕が作ったもの。だからガタガタなんです(笑)。

あとは、冷蔵庫やお酒の仕入れに100万円くらい使ったので、開店にかかった費用はトータルで500万円くらい。あとの200万円はダメになったときのために残しておきました。

――バーを始めるにあたって、「ダメになったらどうしよう」という不安はありましたか?

いや、若かったのもあって、「バーを始めたらすごい儲かるに違いない」と思い込んでいました(笑)。

――そうして、念願叶って barbossa を開店したんですね。経営は順調でしたか?

最初は「すぐに雑誌の取材が来るだろう」と甘く考えていたんですけど、なかなか声がかかりませんでした。そしたら先輩に「商売人は先に頭下げとかないと」と言われて。それで、いろんな雑誌にご挨拶のお手紙を出したら、取材に来てくれるようになりました。

当時は今ほどインターネットが普及していない時期だったから、雑誌の情報が売り上げに直結するんですね。それで、あっという間に忙しくなりました

――バーを始めて、ご自身の心境に変化はありましたか?

フリーターと個人事業主では、周囲からの扱われ方がまったく違うので、「やっと何者かになれた」という気持ちがありましたね。あと、人生で初めてお金に余裕ができました。彼女にプレゼントを買うことができて、それが本当に嬉しかったです。

順風満帆のはずが……リーマンショックで経営がピンチに

――バーを開店する夢は叶いましたが、音楽の仕事をする夢は諦めたのでしょうか?

諦めきれませんでした。当時、友達が海外でレコードを買い付けて日本で売る仕事をしていたんですね。僕もそれをやりたくて、「お店で売れないならインターネットで売ろう!」と思いつきました。2001年で、まだ ECサイトがめずらしかったからか、レコードを紹介して販売するサイトを作ったらものすごく売れました

さらに、サイトにレコードの解説を長文で書いていたら、音楽ライターの仕事が入ってくるようになりました。CD のライナーや、音楽雑誌の記事を書く仕事です。じつは村上春樹も小説を書く前、レコードのライナーを書いていたんですよ。だから、ちょっと近づけて嬉しかったです。

――まさに順風満帆ですね。

そうですね。お店の経営が軌道に乗ったことで、プライベートでは妻と結婚することができました。

――お店はずっと順調だったのでしょうか?

しばらくは順調でしたが、2008年にリーマンショックが起きて、売り上げがガタっと落ちました。それまでは朝4時まで営業していて、毎日のように出版社や広告代理店の領収書を書いていたんですね。それがリーマンショック以降、経費で飲むお客さんが減ってしまって……。

周りの友人たちも、立ち行かなくなって次々にお店を閉めました。うちはギリギリ赤字にはならなかったけど、プライベートで使えるお金もかなり減りましたね。

――その頃も、音楽ライターのお仕事は来ていたのでしょうか?

ちょうどその頃、CD が売れなくなってきて、CD屋さんもどんどん潰れていきました。CD のライナーの仕事もみるみる減ってきましたね。

そんなとき、追い打ちをかけるように東日本大震災が起きました。売り上げはますます打撃を受け、一時は「もう店を閉めるしかない」と思いつめました。

大ピンチを救ったのは、夢だった作家への道

――作家になったきっかけは?

踏ん切りがつかずにバーを続けていたとき、お客さんからすすめられて、お店の宣伝のために Facebook を始めました。最初は音楽やワインの話を書いていたんですが、まったく「いいね」がつかなくて……。そこで恋愛の話を書いてみたらすごくバズって、たくさんの人に読まれたんです。それ以来、Facebook に恋愛コラムを書くようになりました。

そうしたら、常連だった note社の加藤貞顕社長に「cakes(note社で運営されていた Webメディア)でコラムを連載しませんか?」と声をかけられたんです。

――それで、cakes での連載が始まったんですね。

cakes って PV数によって原稿料が決まるシステムなんです。当時はお金に困っていたので、どうしたら cakes の PV数を上げられるか、毎日そればかり考えていました。

僕は本当は、村上春樹っぽいおしゃれな文章を書きたかったんです。だけど、不倫といった生々しい内容のコラムを書くとわかりやすくPVが跳ね上がるので、お金のために読まれるネタを書くようにしました。おかげで収入が安定し、お店も持ちこたえられましたね。

――メディアで目にする林さんは常に余裕があるように見えたので、生活のために必死で書いていたのは意外です。

修行していたバーの師匠がよく「本当は余裕がなくても、人には余裕があるように見せろ」と言っていたんです。生活のために必死でやっている姿を見せると、バーって貧乏くさくなっちゃうから。だから、人には余裕がない姿を見せないようにしていました。

bar bossa のカウンターに立つ林さん

――コラムのお仕事が安定してきたことで、今度は小説を書こうとは思わなかったんですか?

じつは、何度も挑戦しては途中で挫折していたんです。短い話なら書けると思って、週に1回、Facebook に小説を書くようにしました。しばらくそれを続けて、評判がよかった話をくっつけて加藤さんに見せたら、「これは小説じゃないな」って言われてしまって(笑)。

加藤さんのアドバイスを受けて、何度も何度も原稿を直しました。やがて幻冬舎の編集者さんと出会って、そこからまたブラッシュアップして……。2年かけてようやく、初めての小説を完成させることができました。それが2018年に出版した『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』です。

――挑戦を続けて、ようやく小説を書き上げることができたんですね。完成したときの気持ちはいかがでしたか?

「なんとかして売れて認められたい!」と思っていました。もう、それしか頭になかったです。

2023年1月には新刊『結局、人の悩みは人間関係』(産業編集センター)を発売。

――バーと作家業、現在の収入はどんな割合になっているのでしょうか?

今は作家業のほうが多いです。僕は有料で note をやっていて、それが大きいんですよ。加藤さんが note のサービスを始めるとき、「CD や本が売れない時代、クリエイターがインターネットで食べていける仕組みを作りたい」と言っていたんですが、まさにその仕組みに助けられています。

――バーのマスターと作家業、二足のわらじだからこそのメリットはありますか?

人脈が広がることでしょうか。僕は出不精だから、バーに立っていないと人との出会いがないんですよ。バーでの出会いが、書く仕事を運んできてくれることもあります。加藤さんとの出会いもそうだし、お店に来た編集者さんからライター仕事をもらうことも多いです。

――最後に、夢を持つ若者へのメッセージをお願いします。

とにかく、たくさん打席に立つしかないと思います。とある美大で、A のグループには「最高の作品をひとつだけ作れ」、B のグループには「いい作品を作ろうと思わなくていいから、毎日たくさんの作品を作れ」と指示をする実験をしたんですね。すると、B のグループのほうがいい作品を生み出したそうです。たくさん作れば駄作もできるけど、たまにものすごい作品が生まれるんですよ。

自分の能力には限界があるけど、毎日続けていると、いつか限界を突破できる瞬間が来ます。だから僕は毎日バーに立ちつづけるし、毎日書きつづけています。

bar bossa

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(撮影:ナカムラヨシノーブ)

執筆

吉玉サキ

エッセイも取材記事も書くライター。 北アルプスの山小屋で10年間働いていた。著書に『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』『方向音痴って、なおるんですか?(交通新聞社)』がある。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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