ChatGPT によって真っ先に奪われるのは僕らの仕事ではなく、老害・お局・必要悪といった謎の立場

「ターミネーター」史観に毒されると AI は人類の敵に見えてしまう

対話型AI のひとつである ChatGPT が大ブームだ。ChatGPT によって「社会や働き方がどう変わるのか」「人間の仕事が奪われるのではないか」という議論が出てきている。過激な意見として人間が AI によって滅ぼされるというものもある。

 

AI への警戒心は映画「ターミネーター」シリーズの影響が大きいのではないか。ターミネーターは「1997年の未来(!)に、スカイネットという AI が人類に対して核ミサイル攻撃を仕掛けてから、人類との生存をかけて戦争が勃発する」という設定の SF映画だ。シリーズ第2作目『ターミネーター2』は名作で、大ブームを起こした。僕のように、ボンクラな少年期にターミネーターの洗礼を受けた者は、入浴する前に未来からやってきたシュワルツェネッガーのように、全裸で片膝をつくポーズを取る癖が治らず(僕がそうだ)、「AI は人類の敵」と条件反射的にとらえてしまいがちだ。全部ターミネーターのせい。

 

「人類 対 AI」のターミネーター史観から、「AI こわい」「AI は敵」という先入観をもって不安になりすぎるのは冷静さに欠け、どうかと思われる。だが、多少の危機感は必要だ。逆に、僕が務めている会社の上層部の1人のように、「AI に仕事を奪われると世の中は騒いでいるが、ChatGPT に私がやってきたゴルフ接待やハンコ押しができるか?」などと謎めいた強気の姿勢を見せるばかりでは、新しい時代の変化にはついていけなくなるだけである。なお、当該上層部がゴルフ接待で獲得した顧客はここ数年間ゼロである。哀しい。

AI に奪われる仕事もあれば奪われない仕事もある

「仕事が奪われる」。その覚悟は持っておこう。現在、対話型AI で仕事のやり方は変わりつつあるし、今後、そう遠くない近未来のうちに AI によって奪われたり、なくなったりする仕事は出てくる。一方で、AI に奪われる仕事もあれば、奪われにくい仕事もある。そして、どんな仕事であっても、上位1% トップの実力があれば生き残れる可能性はある。

 

「こんな仕事があるの?」「どうやって生計を立てているのか見当もつかない!」と驚かれるような、ニッチで、誰もやらない仕事はデータが蓄積されていない(だいたいアナログだから)。さらに、そのようなニッチな仕事は、風変りな人間がやっているという点においてのみ価値があるので、AI に奪われることはない。たとえば仮に、毎日3食カレーパンを食べるのを仕事にしている人間がいたとして、その仕事を奪って「ワタシは毎日3食カレーパンを食べている人間の言動を完全コピーした AI です」と合成音声で言われても何も面白くないからだ。

 

はっきりいってしまえば、AI によってもっと仕事(タスクの意味)はなくなればよい。近現代史は技術によって仕事が奪われてきた歴史である。新たな技術革新が起きるたびに、人間は仕事や職業を失ってきた。蒸気機関が発明されて工場制機械工業が成立したときにも相当数の仕事や職業が技術によって奪われた。技術の発展とは、仕事を楽にする=仕事をなくすことでもあった。そして技術の発展は止まらない。安泰な仕事はないという覚悟を決めておくべきである。

「近い将来なくなる職業・仕事」は聞き流せばよい

僕が社会人になってから四半世紀経つが、その間に「10年以内になくなる職業」みたいなつまらない話は何度も出てきた。耳にタコができるほどだ。Windows が爆裂ヒットしたとき、IT革命が起きたとき、そのときどきの有識者というよくわからない立場の人が「数年後にこの仕事はなくなる」と話をしていた。

 

いま振り返ってみると、有識者たちが指摘していたことは半分も当たっていない気がする。僕が新卒で採用された会社では、20世紀の終わり頃、総務の人が「パソコンが発達することによってオフィス紙は滅びる」という言説を信じて、翌年度のオフィス紙予算を大幅に削減した。残念ながら、パソコンを使うことによってオフィス紙の使用量は大幅に増大して、立場を追われてしまったという悲劇があった。このように未来を正確に予測するのは難しい。そういえば「あなたの仕事はなくなる」と危機感を煽っていた有識者の方、見かけなくなってしまったな……。

 

僕は営業という仕事しかやってこなかったので営業しか語れない。営業という仕事は、近い将来なくなると言われることはあまりなかった職業だ。だが、営業のやり方は大きく変わると言われてきた。確かに、技術の発達で変わった部分はあるが、仕事のやり方はほとんど変わっていない。営業の現場に四半世紀立ち続けているけれど、1996年と2023年とで大きな変化はない。だからこそ、僕のような人間でも営業という仕事を続けてこられた。顧客管理が少々楽になったくらいで、いまでもつらく、しんどいことばかりなので、もっと変革を起こして楽にして欲しかった。いまだに平成一桁台から存在するアポ電やチラシ配りや飛び込み営業が生き残っているなんて驚いてしまう。

AI に置き換えられる仕事は速攻で替わってもらったほうがよい

面倒な仕事、かったるい業務、肉体的にきつい作業。それらがなくなってほしいというのは多くの働く人の願いだ。それらのうち、AI に代替できる仕事は AI に任せてしまうべきである。そして浮いた労力と時間で新しい仕事を見つけていく。新たに見つかった仕事をさらに発達した AI に任せ、そこでまた浮いた労力と時間でさらに新しい仕事を見つけていく。この繰り返しがこれからの仕事のルーティーンになるはず。変な人間プライドは捨てて、AI に任せてしまおう。

 

先日、ニュース番組を観ていたら、とあるクリエイティブっぽい会社の人がインタビューに答えていた。その企業はクリエイティブでありながら、安全性や倫理性を考慮することなく、対話型AI を導入して「アイデア出し作業は人間がやると 10本出すのにものすごく時間がかかってしまうのですけれど、対話型AI なら短い時間で 100本出してくれるので助かります」とインタビューに応じていた。その中から採用されるアイデアを人間が決めるらしい。

 

なぜ、アイデアを決めるまで AI に任せてしまわないのか不思議でならない。中途半端に人間を介在させるくらいなら決定まで AI に頼ってしまったほうが正確で、何より楽だ。間違いがない。「やっぱり最後は人間が決めないとねー」という人間のプライドやクリエイティブへの信頼を捨ててしまったほうがいい。僕らは発想に全集中するべきだ。その発想を具体的なアイデアへ変換するのを AI に任せるようにすれば、人間と AI は共存できる。

人間は AI によって己の業と向き合うことになる

これまでの技術革新で大きな変化のなかった営業という仕事が AI、とりあえず対話型AI によって大きく変化することを僕は期待している。マーケティング戦略に乗って新規顧客を発掘し、顧客のニーズを正確に読み取り、的確なプランや商品を提示する。これら営業の仕事の大半は AI に任せてしまえるようになる。

 

この分野で人間の営業マンが AI に勝つ可能性はゼロだ。なぜなら人間は扱えるデータが少ないうえ、主観をもってデータに当たるからである。提案についても、思い込みや、ノルマを達成するために多少の無理をしてゴリ押ししなきゃ的な邪念が混じるからである。取り扱えるデータの量。そこから読み出すデータの質。人間の主観と邪念。それらによって人間は AI に勝てない。顧客ファーストを掲げるのなら AI に任せたほうが顧客のためである。

 

こういうことを書くと「営業の仕事が奪われる!」「全営業マン失業!」という悲観的な方向へ走り勝ちである。だが、現実的に営業という仕事はなくならない。少なくとも僕が定年退職するまでは延命できると見ている(希望的観測)。

 

そのかわり、営業職には新しい仕事が増える。営業用AI の育成だ。人気ゲーム「ポケットモンスター」のようにポケモンマスター(営業マン)がポケモン(AI)を育成するのである。自社製品やサービスに特化したうえで、営業としての目標やノルマ達成に向けて動く、会社独自の特徴をもった AI を育てるのだ。具体的には顧客ファーストになりすぎず、会社上層部への配慮のできる、AI を育てることになる。

 

顧客のデータなどを蓄積して分析することによって、顧客に最適な提案や商品を提示すること、顧客の利になるサービスを提供するのは AI にとってたやすい。しかしそれが営業の仕事の全部ではない。営業にはノルマ数値を達成し続けて会社に貢献するという仕事もある。そのために「納期を早めてもらう(あるいは遅くしてもらう)」とか「顧客が望むグレードよりも一段階上のグレードをすすめる」とか「(ここには書けない)」などの、決して顧客ファーストとはいえない提案をしていく必要もある。つまり顧客のデータだけではなく、薄汚い企業の闇というか人間の業のようなものを AI に教えていくことがこれからの営業の仕事になると思われる。

 

目標達成のために鬼になるときもあった営業マンは、これからは素直で純粋な AI を鬼に育てるという新たな業を背負うことになるのである。AI に人間の薄汚さを教えていくことによって僕らの魂は浄化されることはない。ただ己の業に向き合って疲弊するのみ。きっつー。

対話型AI が真っ先に滅ぼすもの

ここまで AI と仕事について書いてきた。奪われる仕事も奪われない仕事もある。奪われても新しい仕事があらわれる。という内容だ。ひとことでいえば「人間の仕事はよくも悪くもなかなかなくならない」になる。

 

もやもやした結論で申し訳ない。

 

一方で、最近の対話型AI によってまもなく滅ぼされるものがある。会社内で責任感もなく、立場もなくポジション外から、過去の経験と謎の影響力を行使する「老害」「お局」「必要悪」といった存在だ。彼らは長年会社にいる存在感から、ポジションをもたない気楽さをもって「こうしたほうがよい」「それは感心しないな」といった助言で存在感を主張する。彼らは無駄に経験を重ねているから無視できない。会社や業務のことは知り尽くしているというポジティブな価値はある。だが彼らに嫌われると仕事がうまく進まなくなるというネガティブな面が大きい。実に面倒くさい存在なのである。

 

だが、そんな彼らを対話型AI なら駆逐できる。過去のデータから的確な助言を得られるようになるからだ。「ChatGPT に聞きましたので助言は不要です。AI は先輩が知らない古い時代と他県の支社や営業所におけるすべてのデータからはじき出した的確かつ私情を挟まない完璧な助言をくれますので、その気持ちだけで結構です」を合言葉に「老害」「お局」「必要悪」といった謎ポジション勢を滅ぼそう。それだけで会社内の空気は改善するし、AI を速攻で導入する価値があるというものである。

 

真面目に日々の仕事に対して向き合っていれば時代の大きな変化についていける。必要なのは新しいものを受け入れる思い切りである。以上。