私はいま、太平洋の上空11,000メートルを、時速832キロのスピードで航行中だ。
にもかかわらず、こうやってインターネットに接続できる贅沢を味わえるのは、通信衛星を使った技術革新の賜物といえるだろう。
国際線の機内Wi-Fiサービスは有料だが、およそ半日を軟禁状態で過ごすとなれば、仕事や SNS を利用するためにもインターネットは必須となる。
よって、今回のフライトでも22ドルを払い、Wi-Fiサービスを使い倒しているところだ。
しかし、昨年フェリーで北海道へ行った際、分厚い鉄でできた客室内は完全に圏外となり、スマホ類は一切使用できなかった。辛うじて陸に近い西側の甲板へ出ると、たまにアンテナのマーク(電波の表示)が現れることもあったが、青森から北海道へわたる間は、どの方向へスマホを向けようが「圏外」の一点張りで、非常に焦った記憶がある。
船の上から空を見上げれば、美しい月とたくさんの星が輝いている。ということは、静止衛星も密かに浮かんでいるはずなのに、なぜ、私のスマホは圏外なのだろうか――。
漠然とそんなことを考えながら、乗船直後から悶々としていたわけだ。
同じ鉄の塊とはいえ、鋼鉄をまとった飛行機では電波の受信ができて、船の上部がオープンになっているフェリーでできないはずがない。
ところが数年前、日本企業が所有する大型貨物船が、アフリカ南東部のモーリシャス沖で座礁した事故について、
「Wi-Fi に接続するために島に近づいた」
という乗務員の発言を、地元メディアが報じた。
もしもこれが事実だとすると、その大型貨物船に Wi-Fi は完備されていなかったのだから、船上で仕事をする人々はインターネットから遮断された生活を送っていたことになる。
いまでこそ Wi-Fi 完備の船舶が増えたと聞くが、現代人からインターネットを取り上げたら、不便というよりも、世間から孤立した疎外感で押しつぶされてしまうのではなかろうか。
庶民の憂鬱
半年前、私はアメリカへ向かう機内で、Wi-Fi 利用に関する「痛い失敗」をした。
離陸後に安定した高度へ到達した頃、航空会社のポータルサイトへアクセスし、フルフライトで Wi-Fi が使えるプランをクリックした。
ほかのオプションとして、「1時間のみ」と「2時間のみ」があるが、こちらはあまりオススメできない。なぜなら航行中、常に安定した状態で Wi-Fi が利用できるとは限らず、ときには10分くらい「読み込めません」の通知と格闘するからだ。
そのため、短時間のインターネット利用以外は、万が一に備えてフルフライトにしておくほうが無難なのである。
このような考えからも、私は22ドルを可能な限り活用するべく、離陸後なるべく早い段階でフルフライトのプランを購入することにしているのだ。
(よしよし、さっそく SNS でもチェックするか)
インターネットに接続した私は、手始めに SNS のチェックを始めた。どうせ繋ぎ放題ならば、なるべく無駄遣いするのがある意味正しい利用方法だろう。
こうして、30分ほど SNS を散策したあとに、いよいよ仕事にとりかかることにした。
――事件はここで発覚したのだ。
SNS はスマホで閲覧するのが一般的。しかし、仕事となると大きな画面のほうが見やすい上に、10本の指を使ってタイピングするほうが速い。
そこで、いつものごとくパソコンを取り出すと、ブラウザを開いて仕事を開始した。
いや、正確には「仕事を開始しようとした」ところで手が止まったのだ。
勘の鋭い人ならばすでにお気づきだろう。そう、私はスマホで Wi-Fi を購入していたのだ。
機内Wi-Fi はデバイス(ブラウザ)ごとに購入するため、スマホの画面から購入した場合はスマホでしか接続できない。航空会社によってはデバイスを切り替えることができるが、今回はそれができなかった。
しかし諦めがつかない私は、スマホのテザリング機能を使ってどうにかパソコンに接続できないかを試みた。だが結果は予想通り、パソコンのブラウザが開くことはなかった。
(マズイぞ。これじゃ仕事ができない)
インターネットを介した電子申請や、業務ソフトを起動させての作業には、どうしてもパソコンを使う必要がある。ところがいま、スマホだけが Wi-Fi をキャッチしており、SNS は見放題だが仕事に関しては1ミリも進まない。
かといって、追加で22ドルの課金をする勇気もない。なぜなら、トータル44ドルの電波をポンと買えるほどの資金的な余裕はないからだ。
決断できないままグズグズしていると、ついに仕事絡みのメールが届いてしまった。これはもはや待ったなし――。
こうして庶民の私は、泣く泣く Wi-Fiサービスをダブル購入したわけだ。
こうなればなおさら、インターネットの無駄遣いを徹底するしかない。パソコンでの作業はパソコンで、スマホでもできることはスマホを使い、2台のデバイスを無駄に駆使することで、空の旅を強引に満喫したのである。
エリートの憂鬱
今回の渡米は、私1人ではなく友人も同行していた。「持つべき友は優秀な人物」を象徴するかのように、頭脳明晰で性格も温厚、私とは正反対の完璧な男である。
そんな心強いパートナーとともに、さっそく仕事を開始した私。前回の失敗から学んだことを活かすべく、パソコンを開き Wi-Fiサービスを購入し、見事インターネットへの接続を果たした。
実際のところ、パソコンへも SNS のアプリをインストールしているので、スマホと同様の操作は可能。ただ、利用する度にフタを開閉するのが面倒というだけで。
「あれ? これってもしかして、テザリングできない?」
優秀な友人が私に向かって呟く。
「もしかして、スマホで接続しちゃった?」
半年前の自分を思い出すかのように、哀れな目で友人を見る。いくら優秀とはいえ、一度購入してしまった Wi-Fiサービスを無効にする術は、さすがに持ち合わせていないのだ。
そんな彼を見ながら、可哀そうではあるがなんだかちょっと嬉しい気分になる。そうだ、誰にだって失敗はある。痛い思いをしてこそ、ヒトは成長するものなのだ――。
とそこへ、友人から指示があった。
「USB にデータが入っているから、それを LINE で送ってくれないかな?」
突如、USBメモリを手渡された私。なるほど、ここに保存してあるデータを LINE で共有することで、友人の仕事は足りるというわけか。
要するに、「USBメモリ」と「私」というアナログ媒体を介して、最終的にデジタルに乗せるという荒業をやってのけたのだ。
私は、言われたとおりに USB からパソコンへデータを移すと、LINE を通じて友人へそれを転送した。
大したことではないのだが、なんとなく「敗北」を感じる瞬間であった。
世界中どこにいても日本
海外からリアルタイムで対応をするには、どうしても「時差の壁」を無視できない。そのため、私がアメリカにいることなど知る由もないクライアントから、深夜というか早朝というか微妙な時間帯に連絡がくるのは仕方がないことだ。
だがこれを除けば、24時間インターネットの利用もできるため、まるで日本にいるかのようにスムーズに仕事が捗る。
それにしても、太平洋の上だろうがどこだろうが、「電波さえ受信できれば仕事が可能」というのは、もはやデジタルの世界で仕事をしているのと同義ではないか? と感じる、今日この頃であった。