かつて上司に疎まれて追い出し部屋的な部署へ飛ばされた経験を持つ僕が「異動」について考えてみた

異動とは

3月は異動の季節だと一般的に認識されている。僕自身の会社員人生を振り返っても、たしかに3月がもっとも同僚が異動の辞令を受け取っていた記憶がある。そして時の流れは早いものでございまして、まもなく3月になる……というわけで今回は異動についてです。

 

異動とは、勤務先の上役からの辞令によって、部署や役職の変更がおこなわれることだ。配置転換、転勤、出向、左遷等々の形態がある。異動は、業務の効率化、マンネリ防止を目標におこなわれる、基本的にポジティブなものである。

 

だが、残念ながら職業人生を送っていると、ポジティブなはずの異動に対してネガティブなイメージを持ってしまいがちである。なぜなら、社内の権力争いに敗北した人、任されたプロジェクトでしくじった人、職場の雰囲気を乱す人に出される異動の辞令には、どうしても懲罰的な印象がつきまとうからだ。「あーあの人、失脚したなー」という辞令をこれまで何度目にしてきたことだろう。

 

実際に、職場の雰囲気を乱す人がいると、その人の周囲にいる同僚が気を使ったり、注意力が散漫になったりして、業務の効率が下がってしまうものだ。それを問題視した会社サイドが問題を起こす者を異動させる。つまり、異動によって、職場の雰囲気が改善されて業務効率が上がるという点からみれば、異動はポジティブなものであり、被異動者の立場からみれば「なんで俺が飛ばされなきゃいけないんだよ」となり、ネガティブなものに感じられる。周囲の同僚の中には「雰囲気を乱す人間がいなくなってよかった」と胸をなでおろす者もいる一方、「面倒な人間だったけれど使いみちはあった」と惜しむ者もいるかもしれない。

 

このようにひとつの異動においても、異動の辞令を出す者、異動の辞令を受ける者、周りの同僚、三者三様のとらえかたと個々のとらえ方の差異がある。同じような理由の異動ひとつとっても、被異動者それぞれだ。たとえば業務効率化を理由に総務から営業への異動の辞令を受け取った人間が2人いたとして、一方が、SNS に「来月から営業だー!ヤッター!」と書き込んでいても、他方は「来月からクソ営業部行きだよ。ヤメてー!」と書き込むことだってあるのだ。

 

誤解していただきたくないのは、著しい不利益を被るような異動や、労使で締結している労働契約から外れるような異動は拒否できる。もし、そのような酷い異動の辞令だと思ったなら、相談できるところに駆け込んでもらいたい。生きるために働いているのに、異動で心身の健康を損なうのは、本末転倒だ。

僕の営業人生は異動ではじまった

僕が大学を出て社会人になったのは27年前の春である。それ以来ずっと会社員という立場で働き続けている。公式にはずっと営業職ということになっている。対外的には営業は天職ということにしている。だが実のところは少し違う。僕は最初から営業だったわけではない。僕の営業人生は異動ではじまっている。

 

新卒で入った会社で最初に配属されたのは法務系の部署だった(正式な部署名は忘れた)。約4か月間、夏までその部署に在籍していたから、新卒の研修期間の大半はそこで働いていたことになる。ところが夏のある日、異動の辞令が出されて、営業部に所属することになった。

 

異動は、僕の怠慢な勤務態度や、業務への適正に問題があったからではない。営業部に所属していた同期二人が営業という仕事のストレスで体調を崩し離脱してしまったからである。要するに営業部の欠員補充のための異動であった。

 

これも被異動者の僕からみれば、「自分に非はないのになぜ営業に……」というネガティブな異動になってしまう。しかし、辞令を出す者からみれば、営業部門の新人2人分の穴を埋めて人員構成のバランスを採ることになり、つまりポジティブな異動になる。

 

災い転じて福となるか、災いに順応してしまったのか。それはわからないけれども、結果として僕は、自分の意志と関係のないところで営業職とされ、そして、そこから四半世紀以上も営業職として働き続けている。僕と交代で営業から法務へ異動になった同期2人は、気づいたら退職していた。業務があわなかったらしい。

 

想像するしかないが、あのまま異動せずに働いていたら、今はどうなっていただろうか。四半世紀以上同じ仕事が出来ていただろうか。もしかしたら、営業という仕事にとらわれずに自由に生きていたかもしれないが、とりあえず、営業としてこの歳まで第一線で戦えている現実に感謝しておきたい。ありがとう異動。異動になったときは呪いまくってごめんね、と。

追い出し部屋へ異動になったこともある

異動ではじまった営業人生……30歳を過ぎたときに、僕は人生2度目の異動の辞令を受けることになる。2度目の異動は、表向きは「管理職に必要な経験を積むため」とされていたが、当時の上役とうまくいかなかったことが理由であることは誰の目にも明らかであった。ごく短期間のうちに、たびたび上司に意見したことが「歯向かった」ととらえられての懲罰的な意味合いを持つ異動であった。器の小さい上司である。提示された異動先からも懲罰の意味があることは明らかだった。

 

異動先は現場の倉庫であった。与えられた業務は倉庫の工程管理という名目で、その実は作業員ヘルプであった。新規営業マンから倉庫の作業員への変化である。これより少々後の時代に、従業員をやめさせるために追い込む「追い出し部屋」というものが一時話題になったが、倉庫への異動は「追い出し部屋」への異動そのものであった。

 

親しくしていた同僚たちからは、同情され、しかるべきところに訴えるべきだと言われた。だが、僕は、「営業に飽きが来ていたからちょうどいいタイミングかも」といってこの異動に素直に応じた。異動先でハマらなかったらヤメてしまえば良いと気楽に考えていたし、なにより、上司の思惑どおりに辞めることに抵抗感があったのだ。

 

倉庫業務に就いた当初は面食らった。営業職との違いに戸惑った。失敗もあったし、迷惑もかけた。一方で光もあった。前任のオッサンは、 PC の素人で倉庫の工程管理のシステムを使いこなせていなかったようだが、僕は多少 PC が使えたので、数日で工程管理の問題は解消したのだ。

 

倉庫作業員のヘルプ業務はハードであったが、大学時代に港湾関係のアルバイトをしていて、その際に実務的な技能講習をいくつか受けており、フォークリフトの基本的な操作と玉掛け作業が出来た。習熟してしまえば、あとは現場特有のルールを覚えることでなんとか形にはなった。

 

異動から1か月で、倉庫業務の PC で工程管理をしつつ、いち作業員として、フォークリフトを運転してコンテナやトラックから、パレット積みされた貨物を下ろして入れて上げて積み込むという作業をこなせるようになった。現場で働いているうちに、営業という仕事で見えなかった納品や出入庫の事情がわかって貴重な経験になった。営業時代に、無理な納品をお願いした過去を棚上げして、「現場は一生懸命やっているんだから、そんなの無理ですよー」と言い返したりしていた。

 

そして、僕は半年で営業に戻ることになった。これも異動だった。追い出し部屋で音を上げなかったことが評価されたわけではなく、営業部門の中間管理職がつぶれて僕に白羽の矢が立っただけである。当初の「管理職に必要な経験を積ませるため」という異動の名目が「ふっかつのじゅもん」を唱えたかのごとく蘇ったのだ。

 

半年間の倉庫業務時代で得られた経験と人脈は、その後の営業の仕事に役立った。現場で働いて築いた人間関係は、多少無理な納品を聞いてもらえる特権になった。現場の実態を知っていることは、営業の同僚に対しての大きなアドバンテージとなった。このように僕の26年間の営業職人生は、正確には4か月の法務時代と、半年間の倉庫時代が含まれているのである。

異動はポジティブなものではありえない

僕の異動経験からいわせてもらうと、異動の辞令は、受け取った時点では前向きに捉えることはできなかった。明確にキャリアアップやスキルアップに繋がる異動なら問題はない。素直に「ありがとうございます」と頭を垂れて辞令を受け取ればよい。

 

だが明確に自分をアップさせるものだとわかる異動ばかりではない。欠員補充や業務効率化を目的におこなわれるものがほとんどではないか。そのとき、異動はポジティブなものなのだと理屈ではわかっていても、「なんで僕俺私が!」「どうしてアイツじゃないのだ」という感情が沸き起こるのは、人間だから仕方がない。異動に期待をするから頭に来るのだ。諦めてしまえばよい。異動はネガティブなものだと。

 

かつて異動になったとき、それをネガティブにとらえていた。同時に、新たな環境になじめなかったら辞めよう、と気楽に考えていた。諦めていた。それが良かった。たまたま、うまくいって営業職という仕事にハマって、49歳になった現在でも続けており、順調にいけば一生の仕事になる予定である。すべて、予想できなかった。たまたまである。

 

だから、異動になったときはネガティブに受け止め、新たな環境で出来ることをすればよい。良い結果が出れば御の字くらいに考えればいい。うまくいかなかったときは、ついていなかった、自分のせいではない、異動を出した者の見る目がなかったのだ、と責任を全部投げてしまおう。それから、新たな環境を求めて動いてもいいし、そこで自分を活かす術をみつけてもいい。自由だ。

 

もちろん、異動になってラッキー! とポジティブにとらえるのも個人の自由だ。ただし、新しい環境でうまくいくかどうかはわからない。努力が報われるとはかぎらないし、才能が発揮できないかもしれない。また運が味方しないことだってあるだろう。そういうダメな事態に陥ったときに、異動になってラッキー! からの落差で回復不能な大ダメージを受けてしまうので気をつけて欲しい。

 

先にお話しした新人時代の僕と入れ替わりで法務系の部署に異動になった同期は、きっつい営業から解放されてラッキー! と考えていたところ、異動先に馴染めなかった。そして回復不能の大ダメージを負って残念ながら新卒1年以内の退職となってしまった。ポジティブがもてはやされるけれども、ときにはネガティブになって様子見をしてみるのも職業人生では大事だ。とくに異動のような大きなイベントのときは。

異動の未来

このように、異動において、ポジティブやネガティブな感情を持ってしまうのは、辞令を出す者、被異動者、周辺の者それぞれに納得できる意図と目的が共有されないからだろう。被異動者の能力や適性に応じて、適正に異動がなされれば感情的なしこりはなくなる。

 

残念ながら、「その人に営業の仕事が向いているのか?」みたいな、首をかしげたくなるような異動はある。それをなくすためには、精確な査定や評価が必要だ。上司の偏見に満ちた査定、好き嫌いを反映した評価は論外だ。

 

たとえば DXツールで異動までをサポートすることができないだろうか(勉強不足でそういった部署を越えた異動までサポートしているツールがあるのか知らない)と期待している。いま勤務している会社で導入している業務サポートツールは、営業チームの効率化とバックアップ、それらを向上させるための機能が満載だ。一方で、「営業に適性がないのではないか?」というスタッフに対して「コノ人ハ総務ノホウガ向イテイマス。総務ヘノ異動ヲカンガエテミテハイカガ?」などと、精確な評価をもとに異動の助言をしてくれる機能は現システムにはない。

 

正しく異動ができれば、組織にとってだけではなく、被異動者や同僚など関わる人間すべてにとってプラスになるはずだ。100年くらい人間が携わって異動の問題は解決できなかったので、これからは DX をはじめとした技術で異動をサポートするしかないのではないかと考えている。システム開発者のみなさん、がんばってください。以上。