なぜ、ネットで人は狂うのか 炎上商法の真実

2021年の炎上件数は、1,766件。シエンプレ デジタル・クライシス総合研究所の「デジタル・クライシス白書2021」が発表したデータだ。1日に5件ほど炎上が起きていることになり、ネットにズブズブの私でも、追いきれている自信がない。

ネットの炎上は、1日5件起きている

そう、炎上はとても身近なものだ。そして、ほとんどの炎上はネットで起きている。テレビのバラエティ番組は、SNSで燃えた話題のごく一部を取り扱うに過ぎない。それ以上に、私達の視界には大量の炎上が流れていく。

 

ネット炎上黎明期の2000年代と比べて、炎上件数は爆発的に伸びた。それは、インターネットを使っている人口が増えたから、当然のこととも言える。ただ、これほどまでに増えてしまった炎上を、私たちは確認しきれない。たとえば「一週間前に炎上したネタ、思い出せる?」と言われても、答えられない人の方が多いのではないだろうか。

 

たとえば、2022年11月27日現在、Twitterでは「子宮移植」について盛んに議論が交わされている。慶應義塾大学が生まれつき子宮のない女性に対し、子宮移植手術をおこなう承認を学内の倫理委員会へ申請した。

 

それに対して、Twitterでは

「産む必要がない女性が、無理やり『産む機械』にさせられる」

「女性は妊孕性(にんようせい)がなければ価値がないとみなされる」

と反対の声も挙がり、喧々囂々の議論となった。

 

ただ、この議論を1ヶ月後まで覚えていられる方は、今Twitterへ投稿している方のごく一部ではないだろうか。さらに、今日だけで4件もの炎上が追加で起こったと言われても、私は認識すらしていない。

ネット・SNSの普及で炎上の定義がゆるくなった

そこで感じるのは、「ネットにおける炎上の定義がゆるくなった」変化である。炎上件数が少なかったころは、あからさまな法律違反レベルの炎上が多かった。

 

かつての主たる炎上を振り返ると、

  • 2000年の「まっちゃん事件」芸能人の携帯電話番号と称して、無関係な一般人の携帯電話番号をネットに晒した“まっちゃん”の個人情報が逆に公表されてしまった事件。
  • 2000年の「雪印集団食中毒」雪印乳業(現:雪印メグミルク)の集団食中毒が発生した際に、記者会見で「黄色人種には牛乳を飲んで具合が悪くなる人間が一定数いる」などと対応したことを受け、不買運動にまで発展した事件。
  • 2005年の「ウォークマン体験記」ソニーの企画。明らかにプロと思しき人が、まるでウォークマン初心者の女性を装って使用体験ブログを書いたところ、批判が殺到してPRキャンペーンが3日で終了。

といったように、現在の法律ではグレーから黒扱いになる個人情報保護、ヘイトスピーチ、ステルスマーケティングに真っ向から違反したものが多い。

 

これらに比べて、現在「炎上」と呼ばれるものは、倫理的な是非を問うものや、単なる賛否両論に収まるものも少なくない。ずいぶんと炎上のハードルが下がった印象である。

 

私はよく、講演にお招きいただくと「炎上といっても、多くは批判が大量に来ている状態に過ぎない。あまり気にしすぎるよりも、現状分析と改善策を書いた謝罪文を出すなど、対処法を冷静に考えたほうがいい」とお話する。

これは、炎上経由で仕事が奪われたり、命に関わるケースが減ったりしたからでもある。

ネットの「炎上商法」は存在するのだろうか

そして、昨今炎上した(≒批判が集まった)インフルエンサーに対し、よく言われることが

「炎上商法」

「嘘松」(※真偽不明の話を指すインターネット・ミーム)

といった、自作自演の炎上ではないか? という疑惑である。

 

しかし、実際に炎上を経験した方々へお話を伺うと、ほぼ100%の人が「燃やすつもりなんてなかった」とショックを受けている。歴戦のインターネットユーザーでも、ストレスでご飯が食べられなくなったり、不眠症に陥ったりする。

 

「こんなことを言うのは、悪意があるからに違いない」というのは、視聴者側の期待に過ぎない。ほとんどは、うっかりと漏らした言葉が、想像以上に拡散されてしまうだけだ。私自身も批判をいただいた執筆記事はいくつかあるが、どれも「炎上させてやろう」などという意図はなかった。

 

たとえば、過去に週刊少年ジャンプに登場する漫画の名セリフを、英訳して英語学習に活かそうとする記事を書いたことがある。その中で、臨場感を増すために漫画のコマを切り抜いた画像を貼り付けた。

 

もちろん出典を記載し、著作権法を遵守した記事作成をしたつもりだ。だが、それでも「集英社は版権に厳しいから、これはNGなのではないか」と批判が殺到したため、記事中の引用を削除した。

 

こういったものを「炎上」とカウントすれば、炎上件数は数限りない。「思わぬところで批判をあびた」が、炎上商法の真実ではないだろうか。

ネットで狂う有名アカウントたち

とはいえ、ネットで「狂う」人がいないわけではない。炎上商法をする方はいないが、「より炎上しやすいほうへと、どんどん発言が狂ってしまう」人は多数いるのだ。大量の批判が届くことで、メンタルはズタズタになる。

 

少しでも反論しようものなら、たった一言に100の批判が届く。「この人のこと、前から嫌いだったんだよね」と無関係な悪口が飛び交い、「もうSNSを辞めろ」と罵声が飛んでくる。とはいえ沈黙を貫いても「逃げた」と笑われ、メールボックスにまで批判が届く。この状態で、正気を保つほうが難しいのも事実だ。

 

そういった誹謗中傷に対して、法的措置を取る人もいる。ただ、そこで目に入るのは中傷と批判のミックスだ。どれが違法で、どれが「許容すべき批判」なのか、本人の目にはもうわからない。そこで、大量の裁判を提起することになる。周囲からはそれが、スラップ訴訟(いやがらせを目的とした訴訟)に映る。

 

誰もかれもを訴える、あるいは報復を宣言したり、心身を壊したりしてしまう。どれも周りから見れば、ただの「狂った」成れの果てだ。一部の人からは、その姿が炎上商法にすら見えてしまうかもしれない。しかし、実際には防御一辺倒を強いられた有名人が、心や体を守るためにやむを得ず取っている、防御姿勢であることも少なくないのだ。

炎上を恐れるあまりに発言しづらい社会

そして、狂いゆく人を見たネットユーザーたちは、こう思う。

「炎上が怖いから、発言したくない」

 

ライターになりたい、インフルエンサーになりたい。そんな相談をしてくれる方が、私へよくおっしゃる言葉だ。知名度は上げたいし、集客もしたい。だが、ぽろりとこぼした言葉のせいで、批判が殺到することは怖い。仮に炎上などしてしまったら、自分がメンタルを病まず、生きていける自信がない。

 

だが、1日に炎上が5件も起きているのだ。その炎上は、ほとんどの人が知らない話かもしれない。私など、自分がフォローしていた方の炎上すら気づかなかったことがある。自分には通知が殺到するから、恐ろしく見える。だが、流れ行く情報量の多さからすると、炎上に注目している人のほうがマイノリティなのだ。

 

確かに、炎上は怖い。しなくてすむならそれがいい。ただ、発言まで自粛するようになるのは、あまりにももったいない。あなたを批判した人は、翌日あなたのことを忘れているのだ。

 

あなたも同じだろう。今日ムッとしたSNSの投稿を、明日まで覚えているだろうか。お互い様で、そういうふうにして、今のネットは動いているのである。だからこそ、「お互い様」精神で、ゆるやかに発信し続けていけるのが一番よいだろう。