もう二度と戻らない、ポケベルのちょっとイイ話

ここ数年で市民権を得た言葉といえば、「コロナ」と「DX」だろう。

コロナはさておきDX(デジタルトランスフォーメーション)は、新たな価値の創出やこれからの社会のありかたを、デジタルによって実現する改革である。

 

文字にすると抽象的で難しい取り組みに聞こえるが、DXのための第一歩ともいえる「デジタル化」に着目すると分かりやすい。

 

まずは定義として、

「既存の紙のプロセスを自動化するなど、物質的な情報をデジタル形式に変換すること*1

を、Digitization(デジタイゼーション)と呼んでいる。

 

さすがに最近では耳にしないが、かつては、デジタイゼーションこそがDXである、と息巻くアナログ世代の社長も多くみられた。

 

FAXを廃止してメールに切り替えたことで、

「わが社もついにDXが完了した!」

と、誇らしげに語る姿を思い出す。

 

そもそも、社会現象としてデジタル化が主流となったのは、いまから25年ほど前だろうか。インターネットの普及に伴い、携帯電話やパソコンなど、さまざまなデジタル商品が世に現れはじめた。

 

たとえば携帯電話には、スマホとガラケーの2種類が存在する。両方とも、通話機能のついたモバイル端末という点では同じだが、スマホはいわば小型パソコンなので、SNSやアプリの利用が可能。

対するガラケーは無線方式で通信をおこなうため、インターネット接続ができるとはいえ、時間がかかったりフルブラウザのために見にくかったりするので、ネットサーフィンには不向き。

 

しかしガラケー発売当初、「端末同士で通話やメッセージの送受信ができる」という画期的な機能により、ビジネスパーソンにとっては”持っているだけでステータス”だった。当時の携帯電話はビジネス向けに開発されたもので、学生たちが携帯するものではなかったのだ。

 

そして携帯電話が登場する以前、じつはもう1つの「モバイル端末」が存在していた。

ビジネスパーソンはもちろんのこと、学生も必携の歴史的IT機器――。そう、ポケットベルだ。

 

いまでこそポケベルを知らない世代が増えた。だが、デジタル時代到来前の1990年代、日本中の公衆電話で争奪戦をくり広げたデバイスといえば、ポケベル以外にないだろう。

 

そんな、いまは幻となったモバイル端末について、ちょっと笑える逸話とともに振り返ってみたい。

ポケベルをゲット

リモート授業がおこなわれる現代とは違い、私が中高生のころは、登校して友達と顔を合わせるのが当たり前だった。

さらに当時は、携帯電話もパソコンも普及していないため、家で電話をかける以外は対面でやり取りをするのが一般的。

 

そこへ突如、ポケットベルという四角いオモチャが登場した。

 

――ポケットベル、略してポケベル。

中学校時代、ポケベルの必要性は感じなかったが、おませな同級生が誰かからメッセージを受信する姿を見て、

「カッコいい!!」

と、思った記憶がある。

 

実際に彼女らが、どんな内容のやり取りをしていたのかというと、

「おはよう」

「なにしてる?」

「おやすみ」

この程度のことで、緊急性があるわけでも重要な用件でもない。ただ単に暇つぶしの延長で、メッセージを送り合っては楽しんでいたのだ。

 

そんな中、高校生になった私はとうとうポケベルを手にすることとなった。

 

ポケベルを持つということは、同時にテレホンカードを持つことでもある。

ポケベルはいわゆる「小型受信機」のため、メッセージを受け取ることしかできない。

その代わりに、電話機からメッセージを送るのだ。

 

文字の入力方法や通信の仕組みは割愛するが、当時、街中の公衆電話は女子高生によって占領されていた。

 

友人のヒトミなど、まさにお手本といえる女だった。綺麗なネイルを載せた細い指を、まるで蜘蛛の化け物のようにカタカタと動かしながら、瞬く間に文字を送信してしまう。

そんな彼女は、当時の女子高生の中でも断トツのスピードを誇っていた。

 

さらに、ヒトミのメッセージにはタイポ(タイプミス、誤字脱字)が見られない。あれだけの速度で数字を連打しているにもかかわらず、だ。

 

(恐るべし、女子高生のかがみ・・)

 

そんな畏怖の念を抱きながら、ヒトミから送られてきた超高速メッセージを見つめる。

 

(サーティーワンイコウ!アタラシイアイスデタ)

タイポこそが、人間に深みを与える

「ポケベルといえば女子高生」といわれるくらい、女子高に通う友人らのタイピング速度は驚異的であった。

 

街中の公衆電話には、さまざまな女子高の制服がずらりと並んでいる。どの生徒も左手で受話器を持ち、右手をフルに使って、もの凄い勢いでメッセージを入力していた。

 

黙々と打ち込むその姿は、戦いそのもの。

 

隣り合う公衆電話のブースに入り、テレホンカードを挿入したら試合開始。彼女たちの暗黙のルールで、「どれだけ速く、鮮やかに入力できるか」の勝負が始まるのだ。

 

その証拠に、ヒトミが公衆電話の前に立つと、周囲の女子高生らが一斉にヒトミの手元へと注目する。

それを当然のごとく承知しているヒトミは、顔色一つ変えず、猛スピードでカタカタとメッセージを打ち抜くのだ。

 

(カレシトケンカシタ!ミスドデマッテル)

 

こうしてミスドで落ち合った私は、延々とヒトミの彼氏の悪口を聞かされるのであった。

 

・・・だがこれは、無事にミスドで合流できたのだから結果オーライである。

中には「どこへ行ってしまったんだ?」と、ツッコミたくなるようなメッセージを送ってくる友人もいた。

 

「イマヘブン」

 

この一文が飛び込んできた時、私は呆然と立ち尽くした。

 

友人のサツキと待ち合わせをしていたが、約束の時間に遅れそうな彼女は、公衆電話から現在地を送ってきたのだ。「近くにいるから、もう少しで着くよ!」と伝えたいがために。

 

ところがどうだ、ヘブンとは。天国へ行ってしまったのか?!待ち合わせどころの話ではないじゃないか!

 

・・・なんていうのは冗談。彼女がどこにいるのかはわかっている。

これは「セブン」のタイポ。つまり、ここから近い距離にあるセブンイレブンの公衆電話から、メッセージを送信してきたのだ。

 

急いでいるという事情もあるだろうが、そうでなくてもサツキはタイポが多かった。

 

いまではあまり耳にしないが、当時、彼女が頻発していた言葉で「超ブルー」というものがある。憂鬱な気分、落ち込んでいる…このような場面で使うセリフである。

 

当人は決して明るい気持ちではないし、むしろ泣きたいくらいに落ち込んでいるはず。にもかかわらずサツキは、

 

「チョウベルー」

 

と、タイポをかましてくるのだ。

 

たかが一文字の誤り。ブがベになっただけのこと。されど、この間抜けな感じはいかがなものか。

まったくブルーな様子はうかがえないほど、ほのぼのとした雰囲気が漂う。

 

同様に、「わからない」と伝えたいサツキは、

 

「ワカンマイ」

 

と送ってくるので、「彼女に聞いても、決してわかることはないだろう」と、間接的にあきらめがつくのであった。

 

 

サツキのタイポは、ポケベルがスマホになった現代でも健在。ゆえに、これは性格的なものであることは間違いない。

 

とはいえあの当時、数字のボタンを睨みつけながら連打し、メッセージを作っていたわけで、一文字でも間違えればおかしな文章になること必至。

ましてや、入力後の文字の確認ができないとなれば、テレホンカード一回分を慎重に使おう、と考えるのが一般的だろう。

 

にもかかわらず、ヒトミが披露するタイピングのスピードと正確さは、

「ポケベル選手権があれば、優勝間違いなし!」

と称されるほどに神がかっていた。

 

これについては、サツキのタイポも相まって、心の底からウンウン頷けるのであった。

時代は変われど、思い出は永遠

古き良きポケベル時代を経て、ガラケーからスマホへと、モバイル端末の変遷は続く。

そしてこの先もまた、新たなモバイル端末が登場するだろう。

 

ポケベルは、

「電話機がなければメッセージを送れない」

という圧倒的な不便さに加えて、

「20文字程度しか作文できない」

という、低スペックの極み。

 

だが、そんな不便さをもってしても、ポケベルほど思い出に残る通信機器は、この先も現れないのではないか。

 

――ここは真冬の長野市。横殴りの雪が吹きつける、駅前の公衆電話。

手袋を外し、かじかむ手でボタンをカチカチと連打したあの時、私は誰に何を伝えたのだろうか。

 

送信者の手元には残らないメッセージ、それこそがポケベルの醍醐味だったのかもしれない。

 

*1:デジタル・トランスフォーメーションの定義 令和3年版情報通信白書/総務省