機械に愛を。モノを愛せない中国人とそこに何かを感じる日本人

まだスマホもなければ「デジタルトランスフォーメーション、何それ?」といった感じのはるか昔、アキバに壊れたMACを修理しに行ったときのこと。

とあるラボのお兄さんが自分の愛機を「この子」と呼び、まるで患者に接する医者のごとく丁寧に扱っているのを見て、感銘を受けたことがある。

 

その一方、当時筆者が勤めていた出版社では、表紙などでグラドルを起用することが多かった。

そのため、毎週のようにモデル事務所から営業攻勢を受けていたのだが、マネージャーの中には自社が抱える女の子を血の通った人間ではなく、商品としか見ていない人もいた。

 

たいがいその手の輩はモデルのプロフィールを広げつつ、

「最近だと、これなんか売れてますね。あとこれと、これもいいっすよ、あーでもこれはいま整形入ってるんでちょっと待ちっすね」

といった具合でモノ呼ばわりするのであった。

 

かたや機械を「この子」と言い、かたや人間を「これ」と呼ぶ。

そこには対象への愛情の差が間違いなく存在するが、もともと日本人は物を大事にし、万物に魂が宿ると考える傾向にある。

その点ではPCを我が子のように可愛がり、機械を愛しく思う人がいても、ぶっちゃけそこまで不思議ではない。

 

では、お隣の中国はどうかというと、すがすがしいまでにモノに対する愛がない。

文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、この点においては日本の方に美しさであったり、強みのようなものを感じるのである。

 

では、なぜそう思うのかということについて、ここでは筆者が見聞きした話をベースに語ってみたい。

愛着が生まれる前に壊れるメイド・イン・チャイナ

最初に前置きをしておくと、「中国人」「日本人」という主語が大きすぎることは承知の上。

とりわけ中国人とひと口に言っても、ガジェットをバリバリに使いこなす都市部の若者から携帯の電波が入らない僻地で暮らす方まで幅広く、決して一様ではない。

 

14億人以上の人口を有する国の人々をひとくくりにして語るのは、往々にして間違いの元となるが、それを言っていたら何も書けないし、話が進まない。

そのため以下は、あくまで筆者の目に映る範囲の中国についての話という前提でお読みいただければ幸いだ。

 

そこでさっそく持論を展開させていただくと、中国の人々は金にすさまじい執着を見せる反面、モノに対しては淡白である。

中国といえば、長い歴史と文化を持つ国。

そのせいか、日本人の中には中国全土に貴重な文化財が溢れているに違いないと考える方もいるが、実際に名所を訪れてみると、お目当ての品物は文革時に叩き壊されていて残っていないケースが多い。

 

これは特殊な事情と言えるが、そうでなくても中国の人々は一般的に新しいものを好み、そこに価値を見出す(書画や家具などの骨董品は除く)。

今でこそレトロ家電やクラシックカーなどを愛する人も増えつつあるとはいえ、それは中国が豊かになったここ最近の話である。

 

実際、金銭的にゆとりのある中国人が家の内装や引っ越しをする際、彼らは日本人の感覚からすると驚くほど物を捨てるし、新たに家具や電化製品を買えば古いものは容赦なく家の前に放り出す。

ただ、捨てても誰かが拾っていくので必ずしも無駄にならないのだが、物を大事に使おうという意識は日本人に比べて確実に希薄である。

 

なんでそんなことになったのか、これまた筆者の持論だが、一つには物がすぐ壊れるという問題があったからだと考える。

 

近年、メイド・イン・チャイナの信頼性が上がってきていると言われるものの、かつては本当にひどい有様で、家電やガジェットの購入にはバクチ要素が存在した。

大事にしようがしまいが壊れるときには壊れる上に、駄目になるのが早すぎて愛着の生まれようがないのである。

そういう中で育ってきた人々が、物とは用途のためのツールでしかないという意識を持ちがちなのは、ある意味自然なこと。

 

また、中国特有のメンツの問題も、少なからず影響している。

スマホを例にとってみれば、これもお金に余裕がある人に限られるが、使っている機種が新しく高性能であればあるほど、こちらの人にとっては自尊心が満たされる。

日本でも同様のマウントの取り合いがないわけではないが、同時に「いかにも金持ってますアピール」は恥ずかしいという思いもある。

 

対して、中国の人々はそこで赤面するほどハートの弱い人々ではない。

むしろ会社経営者などステータスのある人にとって、金を誇示することは相手に舐められないために必要であったりする。

 

また、いまどきの若者は上の世代ほどメンツにこだわらないとはいえ、それでも友達や彼氏彼女の前ではできることなら最新機種を持っていたいもの。

そんなわけで、スマホだけでなく家や車などあらゆる「モノ」で、このメンツ合戦が繰り広げられる。

型落ちのスマホや中古車に愛情を注いだり、ましてや10年以上前のPCを我が子のごとく可愛がるといったメンタリティーとは遠い世界なのである。

機械は道具か、友達か

日本人から見て、中国では物が大事にされていないという印象を受ける要因はほかにもある。

それは、景気が悪くなったと言われつつもまだまだ日本より消費が旺盛な割に、中古市場が小さい点。

 

これも中国ならではの事情があり、まずこちらで高い中古価値があるものを購入するのは往々にして富裕層なのだが、彼らの元から品物が出てきにくい。

中国で中古ブランド品事業をしている方にかつて聞いた話によると、売って得られる金額が富裕層にとってはそもそもはした金で、中古ショップに売るモチベーションにつながらないのだという。

 

というか、街のあちこちに中古買い取り店がある日本に比べると、中国では実店舗が極めて少なく、ようやくオンラインプラットフォームが伸びてきた状態。

しかも、市場が成長途中であるため買い取り価格もまちまちで、下手な電化製品やガジェットよりはむしろ贈答品(賄賂とも言う)処分でマーケットが成熟している高級酒などの方が、相場に安定感がある。

 

そういうお国柄でありながら、ハイテクだけはやたらと進んでおり、駅や公共施設などに行くと本当かどうかは別としてAI搭載などと謳う案内ロボットが普通に設置されている。

ところが、これこそ「機械への愛がないな」と思う瞬間なのだけども、近づいて見てみると壊れていたり、利用者が少ないせいか電源が落とされていることが珍しくない。

そんなとき、「このロボット君もきっとすぐ新型が出て、このまま使われずにスクラップになるのだろうな……」と物悲しい気持ちになってしまうのである。

中国とはすさまじく変化の早い国であり、人々の意識とて今後大きく変わっていく可能性はもちろんある。

とはいえ、国民性が一朝一夕に改まるとも思えず、物を粗雑に扱う中国、物を大事にする日本という構図はそう簡単には崩れないだろう。

 

製品を単なる道具と見るのではなく、そこに何がしかの愛情を注ぐ。

これは一歩間違えるとフェチズムに入り込む可能性があるけども、自分は素晴らしい精神性だと考える。

環境面は言うまでもなく、「職人の国」である日本のモノ作りにおいても、その思いはプラスに働いてきたし、これからも変わることはないだろう。

 

自分が生きている間に実現するかはわからないが、いつか身の回りのあらゆる電化製品がAI搭載となり、もしかしたら意識を持つものだって現れるかもしれない。

そんな時代を迎えたとき、日本人はきっと機械を親しい存在と捉え、良好な関係を築けるのではあるまいか。

 

その日を夢見て、筆者も普段こき使っているPCやガジェットに、もう少しいつくしみの心を持てるよう襟を正したいと考える次第である。