そもそも「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉は、スウェーデンにあるウメオ大学教授のエリック・ストルターマン氏が、2004年に提唱したものだと言われている。そして巷では、このDXにより「ビジネスをどう成長させていくか」という視点での議論が展開されがちだが、ストルターマン教授は、
IT(情報技術)の浸透が、人々の生活をあらゆる面で良い方向に変化させる
と考えていた。つまり、ビジネスという狭義的な世界の変化だけでなく、人間の社会生活全体を変化させる概念として、DXという言葉が誕生したわけだ。
しかし、デジタル・トランスフォーメーションということだから、まずはデジタル化が必須となる。そこで構築されたサイバー空間と、我々が生活をする現実世界とがIoTによりシームレスにつながることで、部分的に最適化されていた恩恵を、社会全体へと浸透させることができるのだ。
言葉にすると小難しい表現となり、やはりどこかとっつきにくいイメージである。だが知らず知らずのうちに、私自らがDXを実践していたのではないかと感じる出来事があった。
…どうか肩の力を抜いて、楽な気持ちで読み流してもらいたい。
勘違いで始まった「ブログ」
個人的な話になるが、私はこの2年間、何があろうと毎日欠かさずブログを投稿し続けた。
ブログといっても、朝起きて顔を洗って…といった個人日記の延長ではない。どの1日を切り取っても、読み物として価値のあるコラムとなることをモットーに、気がつけば735本以上を公開してきた。
この「ブログ」という用語は、「Web log(ホームページの履歴の意味)」から派生したといわれる。そして一般的な解釈として、自らの考えや社会的な出来事に対する意見、ある物事に対する論評などを、Webサイトを通じて公開する仕組みを「ブログ」と呼んでいる。*1
本業が社労士である私がブログを活用するならば、労働法や社会保障制度に関する情報提供とか、企業と労働者との間で起こりがちなトラブル事例とその解決策など、専門家としての知識と経験を大々的に発信するのが妥当だろう。
しかし大いなる勘違いをした私は、ブログというものをそんな狭い範疇で活用しようとは思わなかった。そう、「私」という人間の脳内状況を2000字で発信する、「個人的オウンドメディア」として捉えたのだ。
広告もついていない私のブログでは、どれだけ多くの人に読まれようが、カネが生まれることはない。NFT(非代替性トークン)の方向性によっては、いずれハネる可能性を秘めた作品だと信じているが、今のところは何の価値もない、単なる趣味の域。
そんな「趣味レベルのコラム」にもかかわらず、発案から投稿までに最低3時間はかかるため、私の1日は長くても21時間しかない。なんとも非効率的な趣味である。
それでも「継続は力なり」という言葉を支えに、何があろうと毎日、この世に記事を送り出すと決めていた。そんなある日、意外な出来事が起こった。
ブログがもたらした恩恵、その1
「クール便のお届けで~す」
宅配便のお兄さんが大きな段ボール箱を運んできた。いったい誰からだ?と送り主を見ると、なんと、ブログの読者からだった。そう、見ず知らずの読者から私へ、大量の食べ物が届いたのだ。
無論、DMを通じて多少のやり取りはあった。その人は料理が得意らしく、「いつか食糧を届けてあげたい」という趣旨の会話を交わした記憶もある。とはいえ、先方とは会ったこともない見ず知らずの他人。そんな「アカノタニンさん」から、段ボール箱いっぱいの手作り料理が送られてくるとは、想像だにしなかった。
ちなみに、私のブログはグルメブログではない。「食べる」という行為に執念を燃やしていることは否定しないし、そういった内容の記事を投稿しているのも事実。だが、グルメ評論家のように舌が肥えているわけではないので、料理やレストランを評価するコラムは書いていない。
――ではなぜ?
ジップロックに包まれた、立派な流木のような特大チャーシューを手に取りながら、私はハッとした。
(もしや、動物園の動物たちに食べ物が届けられるのと、同じような感覚か??)
きっとそうだ、そうに違いない。アカノタニンさんは、かわいいゴリラにエサを与える感覚で、私に料理をこしらえてくれたのだ。
そう確信した瞬間、目の前のご馳走に対して急に愛着が湧いてきた。そういえばYouTubeで、動物園に送られてきた大量の野菜や果物を、飼育員が分け与える動画をみたことがある。普段のエサよりも豪華で新鮮な食べ物に、動物たちは歓喜し我先にがっついていた。…まるであの時の気分である。
私が発信する記事を読み、アカノタニンさんは何らかの動物を連想したのだろう。その結果、このような極太チャーシューや、何人前ものバターライスを作って配送してくれたに違いない。
見ず知らずのアカノタニンさんに感謝しつつ、彼女の期待に応えるべく、私は大好物のチャーシューに噛りついた。
ブログがもたらした恩恵、その2
「Amazonからお届けもので~す」
ある日、注文していないAmazonから何かが届いた。差出人の欄は仮名で記載されている。そしてその仮名には、見覚えがある。
――そう、こちらもブログの読者だった。
しかし今回は食料品ではない。箱を覗くと、なにやら真っ黒な金属製の器具が見える。なんとそれは、焼き芋メーカーだった!
たしかに私は焼き芋が好きだ。そのため、電子レンジを駆使した焼き芋の調理法や、焼き芋に対する熱い想いを、ブログを通じて何度か発信してきた。それを読んだ読者が、さらに上を行く焼き芋を食べてほしいと、焼き芋メーカーなる調理器具を送ってくれたのだ。
正直、自作の焼き芋の完成度に満足している私は、この焼き芋メーカーの処分に頭を悩ませた。食べ物ならば、仮に苦手なものでも友人らに配ることができる。だが、それなりの重量や存在感のある家電製品の場合、好みに合わなかったときの使い道に困る。
内心、ブツブツと文句をつぶやきながらも、とりあえずはサツマイモをマシンにセット。そして待つこと40分。・・・外はホクホク中はねっとり、甘くて美味しいプロ仕様の焼き芋が出来上がってしまった。
(他人の勧めは素直に受け入れるべきだ…)
あの日以来、毎日、我が家の焼き芋メーカーはフル稼働を続けている。
DXがもたらした恩恵の曲解
DXを提唱した、ストルターマン教授はこう言った。
「ITの浸透が、人々の生活を良い方向へ変化させる」
少なくとも私は、インターネットを使ってブログを開設してから、生活が良い方向に変化している。会ったこともない読者から手作り料理が届いたり、最高の焼き芋が出来上がる調理家電をもらったりと、サイバー空間で出会った見知らぬ「誰か」によって、食生活が豊かに彩られたのだから。
つまりこれは、端くれとはいえ「DXの恩恵にあずかっている」といえるのではなかろうか?…いや、さすがに曲解すぎるか。