「隣の芝生はいつも青かった」私の転職戦記(1996~2022)

「隣の芝生はいつも青かった」私の転職戦記(1996~2022)

最初に入った会社は安定を求めて巨大企業

先日、このようなツイートをした。

 

最後の「後悔している」はオチだ。オチではあるが、半分本音である。後悔している。ただ納得もしている。良い後悔だ。ひとことでいえば「隣の芝生は青く見える」というヤツだ。「隣の芝生〜」は戒めの言葉だが、あえて隣の青い芝生を見ていくことを提唱したい。ガンガン見て、気に入ったら乗り込んでいくべきである。それがどういうことなのか、僕の会社員生活を速攻で振り返りながらお話したい。

新卒で入った会社は大きな会社だった。100年ほど昔からある運輸系の企業で、子会社をいれた巨大グループはあらゆる業種に展開している。僕が入社したのはグループ本体だった。なぜ入れたのか今でも意味不明だ。人生の運気をすべて使ってしまった気がしてならない。就職活動において受けた企業からは軒並み「今後のご検討をお祈り申し上げます」という無慈悲なお祈りアンサーが送られてきたからだ。

何にもならないお祈りをするくらいなら入社させてくれればよいのに、と思いつつ、僕を落とした企業名はリベンジの機会に備えて今もはっきりと覚えている。そんな調子だったので僕が入社できたのは何かの間違いだったと考えている。

「どんな時代になっても物を動かす、という行為は永遠になくならないと思うんですよね…。大きなものから小さなものまで人間の、社会の、営みは言い換えれば物を動かすことです。私は物を動かすことで人の生き方を揺さぶる、そんな仕事がしてみたいのです」

面接時にこのような戯言を言った記憶がある。きっと面接担当官は安易なロマンチストか、可哀想な若者を見捨てられない偽善者だったのではないか。僕が逆の立場だったら「どんな時代になっても」の時点で「はい。もういいです。お疲れさまでしたー」という気分になって残りの話は聞かずに不採用のハンコを押している。

安定に退屈、将来が予測できることに幻滅

安定に退屈、将来が予測できることに幻滅

 

やりたい仕事や、夢や希望はなかった。「大きな会社に入れば安定と将来が約束されるラッキー!」と漠然と満足していたくらいのもの。仕事に期待していなかったぶん、安定を求めたのだ。大きな会社、歴史のある会社のほうが、小さい、歴史の浅い会社より安定しているだろう。それくらい、安易な考えだった。それが当時の僕の見た隣の青い芝生だった。

入社当時は総務部に配属された。クソ役に立たない研修を終えて総務部に配属。総務マンとしての仕事はまったく記憶にない。なぜなら3か月ほど経過した頃、営業部に異動になったからだ。総務マンとしての仕事ぶりは評価以前の問題だ。だから「総務の新人はなかなかやるじゃないか。気概もありそうだ。では営業に異動させてみよう」的な総務マンとしての働き方から営業マンとしての適正を見出されたのではない。単に人間がいなくなり、その補充だった。

営業部に入った同期の連中が何人かギブアップして穴が空いたのだ。ザ・穴埋め異動。営業は、僕にとっては総務より仕事がシンプルでわかりやすかった。目標とノルマがあってそれを達成すれば良い。単純なゲームだ。

総務は、総務についての経験と知識が圧倒的に不足していたからだけれども、目標というものがなく、仕事をしている実感に乏しかった。もちろん仕事に目標や達成感はいらない。ただ、仕事に対して何の希望も持っていなかった当時の僕を仕事に向けさせるには、目標や達成感をゲットする、分かりやすいゲームに仕立てる必要があったのだ。

そういう経緯で営業部に異動となり、それ以来25年も営業マンとして働いている。総務時代のやる気のない働きぶりと心身を壊した同期たちがいなかったら、僕の人生はまったく違うものになっていた。こんな営業という地獄にはまらずに済んだ。ハマれなかった総務の仕事と、ヤワな同期は恨んでも、恨んでも、恨み切れない。

30歳で隣の芝生が青く光り輝きだして転職を決意

30歳で隣の芝生が青く光り輝きだして転職を決意

 

30歳まで、新卒で入社した会社で営業マンとして働いた。仕事はツラかった。ツラかったが、もともと期待や希望はなかったので失望することはなかった。退職の理由は仕事がイヤになったからではなかった。

先に述べたとおり、その会社は歴史ある大企業で、完全に組織が出来上がっていた。研修や異動、出世コースまで。そのため、ある程度の年月を会社で過ごしていると、どのような実績をあげれば、どういうコースを通って、最終的なポストはここになる、といった未来をある程度の精度で予想することができた。

無論、そんなうまく行くはずがないし、自分自身が出世コースに乗れるとは思っていなかった。だがある日突然「想像できてしまう」が退屈に変わってどうしようもなくなったのだ。そして他の会社が青い芝生に見えてしまったのだ。

そして、30歳になったのを機に辞めた。本来なら、次の仕事を決めてから退職するのがベストだったが、もともと仕事に求めるものがなかったので、辞めることを優先した。次に何をするのかは決まっていなかった。決めていたことはある。それは、職種か業種のいずれかは変える、ということだ。

同じ業界で働くなら営業職とは別の職種。営業職を続けるならまったく異なる業界。不確定要素マシマシにして将来を予想できないものにしたかったのだ。営業職とは違う職種はよく知らないけれども、営業よりも良いものに見えた。運輸業界以外の業界もそれほど知らないが良いものに見えた。それまでやってきた営業という職種、運輸業界の外の世界に青い芝が生えているように見えたのだ。

僕が選んだのは食品業界だった。食品業界で営業職として働くことにした。実際問題、30歳で、未経験の職種に転じるのはハードルが高かった。「クリエイターになろう!」と決めても、雇用する会社サイドがクリエイティブ未経験の30歳を雇うわけがない。というわけで営業職、営業マンとして違う業界に転じることになったのだ。

繰り返しになるが前職同様に、食品業界に対して憧れや夢や希望を持ってはいなかった。別の業界であればよかった。それと前職よりも小さい会社を選んだ。規模でいったら100分の1くらいの規模の会社だ。歴史は前社比半分くらい。営業職であっても、別業界に移り、さらに会社の規模や歴史もまったく違うところを選ぶことで、未来予想図を描きにくくした。小さい会社に、青い芝生を見たのだ。

小さい会社には小さい会社ならではのルールがあることを思い知らされる

小さい会社には小さい会社ならではのルールがあることを思い知らされる

 

最初の1年半くらいは苦戦したが、売るものは変わっても「売る」という行為や本質は変わらなかった。食品業界において営業としてやっていくことの目途はすぐについた。そして、会社組織が小さくなったぶん、社員1人ひとりの存在感が増していることに満足した。

前職のような巨大な組織では、特別に優秀な人間、目立つことに長けている人間以外の、僕みたいな地味なタイプはどれだけ一生懸命仕事しても交換可能な一部品にすぎなかった(事実、営業に欠員が出たとき穴埋め的な人事異動の対象になった)。新しい職場はその点でエキサイトだった。組織が小さいうえ未成熟で、安定感がなかった。

たとえばオーナーワンマン社長の気分ひとつで、勝ち組にいると思われていた人材が突如失脚したり、僕の上司に当たるクレイジーな人物が理由もなく勝ち馬に乗ったりしていた。

営業の仕事自体は業界が変わって、大変さの質が少々変わったけれども、大変さ自体は変わらなかった。イメージ的には「大きな仕事をコンペで受注したり失注したり」の営業から、中小の案件をコツコツと積み上げてノルマに近づける営業への変化だった。小さい案件を積み上げるのは、根気が必要だった。大型案件で一発逆転は不可能だった。「あの業界の営業は楽そう」というのは完全に僕が考えた青い芝生だったのだ。

その会社で10数年働いた。最終的には営業の責任者になった。ボンクラすぎた前任者と比べれば、まあまあの成果は出していたのではないかと自負している。だが「大きな会社から小さな会社に移ることで、会社のパーツになることなく、個を出せるのではないか」「こうすればこうなるという分かりやすいルート/未来予想図が見えなくて退屈さが減少するのではないか」という僕の考えの浅はかさを思い知らされた。

営業部門の責任者として仕事に当たったが、実態は、会社の経営方針や上司の失態の尻拭いに使われることが多かった。使い勝手のいいパーツとして使われた。「こうすればこうなる」という未来予想図は、会社の規模や歴史や組織の成熟度とは関係がなかった。組織がしっかりしているところは出世ルートの予想が付きやすかったが、組織のないワンマンな会社も同じだった。ワンマンなボスの意向がある程度読めるようになってしまえば、ボスに気に入られポイントがたまった人間が重要なポストにつくというくだらないゲームにすぎなかった。青い芝生に見えていただけだった。

40歳を越えて隣の芝生がふたたび青く光り出して転職を決意

新しい環境で勝負したい、というもっともらしい理由から、転職を決意した。前回の転職と違う点は、求めたものが、自分の能力と経験をある程度の裁量をもって活かせる環境だった。自分本位だった。だから、会社の規模とか業績は考慮しなかった。極論をいえば町の寂れかかった個人商店でも良かった。また、自分を活かすことを第一にしたので、業種と職種は食品業界、営業職一択になった。40代半ばに差し掛かっていたので、まったくの新しい挑戦は現実的ではなかったのだ。

今勤めている会社に入るとき「こういう仕事をやりたい」と最終面接で社長に主張した。今も関わっている仕事なので詳細は言えないが、ざっくりといえば、「属人性を排除した営業チームを作って安定した売り上げを毎年たたき出せる仕組みをつくりたい」だった。営業という仕事で苦労した経験を活かしたかった。それしか自分には出来ないと考えていた。それから5年経った。やりたい仕事の進捗率は5割といったところだ。営業の責任者も任されるようになって、やりたい仕事=理想を追いつつも、チームをマネジメントしながらノルマと目標を追いかける仕事が主になっている。

隣の芝生が青く見えるのは当たり前。青さを知って自分の芝生を青く育てよう

隣の芝生が青く見えるのは当たり前。青さを知って自分の芝生を青く育てよう

 

ふと、新卒で入った会社のことが気になった。ネットで調べてみた。あいかわらず大きな会社で、外から見るかぎり、良くも悪くも変わっていなかった。同期の人間と同姓同名の人間が役員に名を連ねていた。給料や待遇は今の僕よりもずっと上だろう。

ふと、30歳のときに転職をしなかったらどうなっただろうと想像してみた。同期と同じように歩めただろうか。それはわからない。瞬間的には条件反射で後悔している。大企業の凄さというのは、大企業にいるうちにはわからない。外から見ればこそわかる。またしても隣りの芝生は青く見えてしまっている。だが、足元の芝もまあまあ青かったりするものだ。青色の種類が少し違うだけなのだ。

僕は隣りの青い芝生を見て転職してきた。今でも新卒で入った会社に青い芝生を見て、「あのボケーっとした同期が役員になって大金をゲットできたのなら僕にも出来たのではないか!」と思うことはある。青い芝生だ。でも若い頃のように青い芝生を見て転職はしない。

長年サラリーマン生活を続けてきてわかったことは、自分なりの青い芝生を自分で育成するのが大事だということだ。そして隣りに青い芝生を認めることは働くうえで必要なことなのだ。隣りの青い芝生に移るのも、それを見て自分に生えている芝の手入れをするのも、隣りの青い芝生が見えてこそ、なのである。

「隣の芝生は青く見える」の青は青信号の青なのだ。今いる環境について考えてみるきっかけにすればいい。