「カヌレを探してるの」
友人から一通のメッセージが届いた。カヌレ(Cannelé)とは、フランス・ボルドー地方の伝統的な焼菓子。フランス語で「溝がついた」という意味のカヌレは、その名の通り縦の溝がついた王冠型を用いて作られる。カリッと焼き上げられた表面とは対照的に、内側のもっちりとした食感が特徴。
どうやら大切な客人の訪問があるらしく、カヌレ好きな先方のために最高の逸品を用意したい、という趣旨らしい。しかし友人はスマホやパソコンの操作が不慣れなため、代わりに私が検索システムとなり候補を探すこととなった。
とはいえ、カヌレなど好きでもなければ食べたこともない。もちろん見たことはある。だが特段の魅力を感じることなく、なんの接点も持たぬまま今日まで過ごしてきた。その結果、一切の不自由や不都合もなく現在に至るわけで、それはつまり、今後もカヌレとは相まみえることはない、ということだ。
(…さて、困った)
私を頼って相談してくれた友人を助けるためにも、なんとか「最高のカヌレ」を探し出さなければならない。しかしあいにく私はカヌレ素人だ。うぅむ、どうするべきか…。
その時、とある1人の男性が思い浮かんだ。
カヌレ検索システム「兄さん」
私は彼を「兄さん」と呼んでいる。当然ながら実の兄ではないが、寸胴で筋肉質なフォルムが私と瓜二つ!ということで、兄さんと呼ばせてもらっている。その兄さんは、職業こそ違えど裏の顔は「パティシエ顔負けのパティシエ」と評される人物。
――兄さんしかいない。
そこで私は兄さんへメッセージを送った。
「兄さん、最高のカヌレを教えてください」
数分後、
「それはギフトとして? どんな相手に贈るのかにもよるけど、VIRON(ヴィロン)渋谷店やPAUL(ポール)、ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブションなんかは、間違いのない美味しさだよ。あとは単店で希少性を出すなら、表参道のデュヌ・ラルテや、ラ・メゾン・ジュヴォー広尾店とかがオススメかな」
という返信がサラッと送られてきた。パン屋で有名なPAULくらいしか、私には理解できない内容だ。
そして、カヌレの候補を挙げるにあたって、兄さんから鋭い質問があったことに驚く。たしかに何の目的で「最高のカヌレ」を欲しているのか、用途によっては「最高」が異なる可能性もある。
私に「カヌレを探している」と告げた友人、じつは料理人なのだ。だが本人が甘いものを食べないため、スイーツ好きの私にアドバイスを求めてきたという流れ。そこでとりあえず、
「金額やブランドにこだわらず、味で選ぶとしたらどこがいいかな? ある料理人がカヌレを探しているんだ」
と、追加情報を兄さんへ送る。すると間をあけずに返信が届いた。
誰にとっての美味しさなのか
「好みによるんだよね。料理のプロが何の目的で聞いているのか。たとえば売り物にする参考としてならば、ピエール・エルメ・パリか、尾山台にあるAu Bon Vieux Temps(オーボンヴュータン)あたりがオススメ」
なるほど。言われてみればその通りだ。私はただ単に「美味しいカヌレ」を紹介してもらいたい、ということしか頭になかった。兄さんに聞かれるまでは、その「美味しい」が、いったい誰にとっての美味しさなのかなど、考えもしなかった。
そこで今一度、カヌレを探している友人へ質問をした。そしてその答えが冒頭の内容へとつながる。
さらに付け加えると、友人は大病を患ったせいで内臓が弱い。そのため、加工食品などに含まれる添加物は一切NG。不用意に添加物まみれの食品を食べると、体が受けつけずに戻してしまうのだそう。
そのため、彼女が作る料理は調味料からすべて自家製。食材は自らの足で探し、生産者の元まで会いに行っては五感を頼りに選び抜いているのだ。
(きっとこれも大事なポイントになるだろう)
これらの情報をかいつまんで兄さんへ伝える。すると、
「なるほどね。カヌレはもともと余計なものは入っていないけど、フレーバーとして使うバニラが天然ではなく、化学合成されたバニラエッセンスの場合もあるから、そこだけ注意が必要かな。それを踏まえて、ピエール・エルメかオーボンヴュータンならば安心だと思う」
と補足した上で、最終選考を通過した2ブランドを推薦してくれた。
さっそく私は、兄さんとの会話を友人へ伝えた。現実問題として、約束の日までに店舗へ買いに行けるかどうかの不安もあるため、兄さんが最初に提案してくれた5ブランドを含む、7ブランドのカヌレを紹介することにした。
案の定、店舗まで出向くことができない友人は、インターネットで購入ができる「ロブション」のカヌレを選んだ。
今回の提案が、果たしてAIにもできるのだろうか?
一連のやり取りを通じて、私には思うところがある。今回の「最高のカヌレ」の提案について、果たしてAIにも同じクオリティーでの提案ができるのだろうか――。
まずは検索サイトで「カヌレ オススメ」「カヌレ 東京」「カヌレ 美味い」などキーワードを入力してみる。しかし驚くことに、兄さんが挙げてくれた7ブランドは一向に出てこない。無論、「ブランド名+カヌレ」と入力すれば、たくさんのヒットがある。だがインターネットで上位にくるカヌレは、いわゆる人気店・有名店ではあるが、イコール最高のカヌレであるかどうかは別の模様。
各種グルメサイトやグルメブログ、ユーザーの口コミやランキングなどが参考になる場合もあるが、
「あなたのオススメを教えてほしい」
と友人から聞かれた際に、このようなネット情報を鵜呑みにすることは私にはできない。なぜなら、友人は「私」というフィルターを通してオススメ商品の担保をしているからだ。そのため、私自身は不得意分野であるカヌレという洋菓子について、ネット検索ではなく信頼できる友人=兄さんに尋ねたのだ。
さらに兄さんは、私の先にいる見ず知らずの「誰か」のために、限られた情報から即座に最適解を導き出した。――こんな連係プレーがAIにできるのだろうか。
そこで兄さんに、
「美味しい食べ物を紹介することについて、兄さんがAIに負ける日は来ると思う?」
と単刀直入に尋ねた。すると兄さんは、
「負けないでしょ、狭義的には」
と断言した。その根拠はこうだ。
「いわゆる一般的な食べ物のマッチングはAIでもできるけど、深い内容になれば無理。なぜなら、たとえばレストランなんかは7割が接客で左右されるわけで、これは数値化できない。あとはその人に会うか合わないかといった、ニュアンスの判断は難しいものだから」
さらに続ける。
「その人がどれくらい『食べこんでいる人』なのかも重要。さっきのカヌレなら、王道なのか進化系なのか、はたまたブランド好きなのか実直派なのか、加えて、その時の気分や状況によっても勧めたいカヌレは変わるからね」
AIにはできない体験談
たしかにここまで来ると、どれほど莫大なデータを蓄積したとて、AI任せでベストな選択ができるとは思えない。そして最後に、極めつけの体験談を語ってくれた。
「魚肉類が一切ダメな母親の元で育った男の子がいてね。食べ盛りの時期に、その母親から『何か作ってやってほしい』って頼まれたことがあるんだ。それで男子の定番・トンカツを提案したら、『それ、知らない』って言われちゃって。
でもエビフライは食べたことがあるって言うから、エビが豚肉になった感じの…って説明したら、『豚肉って??』ってキョトンとしてるんだ。だから『モリモリ食べるとうめぇ! ってなって、体の中から力が湧いてきて元気になる食い物だよ!』って言ってやった。その時点では伝わっていなかったけど、実際にトンカツを作って食べさせたら『うめぇうめぇ』って、泣きながら食べてたね。これ、AIにできると思う? つまりはそういうことだよ」
*
人間は自らの嗜好について、自覚する以上に知らないことが多い。なぜなら、これまで口にしたことのあるものでしか判断できないからだ。前出の「豚肉を知らない男の子」は、トンカツを食べて初めて豚肉の美味さを知ったわけで、その「体験」をAIが提案できるだろうか。
当事者間の関係性や親密度にもよるが、ヒトだからこそ慮れる想いや願い、期待のようなものは、やはりヒトにしか伝わらない感情ではないかと思う。DXが急速に実現されつつある今、それぞれの棲み分けについて、「ヒト側」がわきまえておくべきだろう。
執筆
URABE(ウラベ)
早稲田卒。学生時代は雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。生業はライターと社労士。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。
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