多様性の現代、SDGsで日本のプロ野球はもっとよくなる

多様性の現代、SDGsで日本のプロ野球はもっとよくなる

 

プロ野球が好きだ。子どものころからかれこれ40年近くはプロ野球を観続けている。最初は、ヤクルト・スワローズとロッテ・オリオンズが好きだった。ロッテが川崎から千葉へ本拠地移転してからはヤクルト・スワローズファンでいる。

ヤクルトにせよ、ロッテにせよ、その2チームを応援するのは異端であった。周囲は巨人ファンが大半だった。当時は、巨人戦しかテレビ中継がなかったからだ。仕方がない。現代を生きる若者には信じられないが、昭和のプロ野球熱はヤバかった。小学校では前の晩のナイターの話題になった。ナイターを見ていなければ話についていけなかった。巨人がらみしかプロ野球中継がなかったので、自然と巨人のファンが増えるというシステムであった。

 

「えー! 巨人ファンじゃないのー! なんでー!」という踏み絵は何回も踏まされた。そういう環境下で巨人以外のファンをやっていくのは、なかなかしんどいものがあった。それでもセ・リーグはまだ、マシである。パ・リーグは幻のような存在で、深夜のスポーツニュースをのぞけば、オールスターや日本シリーズでしか見られない選手たちばかりであった。パ・リーグの選手より、「川口浩探検隊」の猿人バーゴンのほうが動いている姿をみる機会が多かっただろう。

SDGsでプロ野球は新たなステージに向かう

昭和から平成を経て令和まで、かつてのような高視聴率を取る人気はなくなったとはいえ、時をこえてプロ野球は愛されてきた。それは時代にあわせて絶えず変化(トランスフォーム)してきたからだろう(うまくいったものもいかなかったものもある)。

ドラフト制度の変遷や、FA制度(フリーエージェント)、ドーム球場。それらは僕が子どもの頃にはなかった要素だ。お金さえ払えば、推しのチームの試合を試合終了まで中継で見られるようになったのも大きな変化だ。とはいえ、ちっとも安泰ではない。昭和に比べると娯楽も増えて選択の幅が増えているので、今後も時代にあわせて進化しなければ、プロ野球はなくなってしまうだろう。それも超簡単に。

そして今は多様性を認める時代である。SDGsの時代である。プロ野球もそれらに対応していかなければ、時代に置いていかれるのだ。このような話をすると、締め付けや制約のように思われるが、完全な誤解である。SDGsはプロ野球を縛るものではなく、加速させ、化学反応を起こし、新たなステージに向かわせるものである。

「貧困をなくす」と個性的な選手が増える

「貧困をなくす」と個性的な選手が増える

 

たとえば、貧困からの脱却という観点からでも、プロ野球を進化・深化させることができる。ソフトバンクや巨人といった資金力のあるチームと、名誉の問題になるのであえて名前は出さないが資金的に厳しそうなあのチームでは、前者が圧倒的に有利なのは間違いない。なぜならお金があったほうが、中長期的には良い選手を集め優れた設備をつくり強いチームを作れるからだ。

しかし、資金的に厳しい貧困チームを放っておくことがはたして2020年代の世界で許されるだろうか。貧困チームは自前で育ててきた4番バッターやエースピッチャー、ホームランを打ちまくる外国人選手を金持ち球団に持っていかれる。貧困層からの搾取である。かつての主力選手が敵となり、決勝打を打たれるような地獄はもう見たくない。このような暴挙が許されてきたのがプロ野球である。

 

一方で、「給料が良い職場に移りてえ」という悩みは、プロ野球選手もサラリーマンも同じあり、貧乏球団からリッチ球団への優秀な選手のFA移籍は自然の流れである。また「貧乏球団は経営努力が足りない」「選手に選ばれる職場環境を作っている?」という極めて真っ当な意見もあって耳が痛い。

なのでSDGs的な貧困からの脱却という観点と選手の職業選択の自由とを両立させるために、FAで選手を引き抜いた球団は、引き抜いた選手一人当たりシーズン10敗のハンデをもってスタートするという案はどうだろう。

引き抜いたエースがハンデの10敗以上の勝ち星をあげるかどうかは賭けであるし、ハンデをものともせずに優勝したらアンチも黙るしかないだろう。真面目な話になるが、プロ野球球団は貧しい家庭の支援をするべきである(今もしているかもしれないが)。バット、グローブ、ボール、ユニフォームなど、野球はサッカーをはじめとする他のスポーツよりもお金がかかるスポーツだ。

 

野球の競技人口は減っているのは、選ばれるスポーツの多様化もあるが、野球がやりたくてもできない子どもを相当数いるのではないか。そういう子どもをプロ野球が支援すれば、ハングリー精神と素質が融合したプロ野球を盛り上げるスターが出てくるはずだ。

令和時代の左門豊作を見てみたいものだ。アフリカのような、これまでプロ野球選手のいない国々をサポートするのもありだろう。見たこともない選手が出てくる可能性はおおいにある。貧困対策が新たな魅力をもった選手の発掘につながるのだ。

リアル水原勇気の可能性

リアル水原勇気の可能性

 

同様にジェンダーの観点からでも、プロ野球をまだまだ面白くできる。ひとことでいってしまうと女子選手の参入である。女子プロ野球ではなく、プロ野球でプレイする女子選手である。

先日、スポーツバラエティ番組で東京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボールチームの選手が、プロ野球選手とソフトボールで勝負をしていた。結果は、まったくタイミングがあわず、プロ野球選手側の完敗。異種競技のコラボのてい、であったが、これを本格的に導入するのも面白いのではないか。男子との体力の差を考慮して、ルールそのものを変えてしまえばよい。

 

女子のピッチャーが登板したときは、自動的にノーボールツーストライクから開始するとか、女子選手に配慮した設定にすれば試合に参加することは可能だ。あるいは現在おこなわれているセ・パ交流戦のようなイベントに女子チームを組み込む。

ある程度のハンデをあたえれば、いい勝負になるのではないか。居酒屋のおっさんレベルのアイデアしか出てこなくて申し訳ないが、関係者各位は現場に迷惑をかけないよう検討してもらいたい。「野球狂の詩」の水原勇気のような女子選手が男子選手をきりきり舞いにさせている姿を見てみたい。

弱い球団ほど気候変動に取り組まなければならない

プロ野球は、気候変動に対してもっと真剣に取り組んでもらいたい。昨今、ゲリラ豪雨は頻発して悪化するばかりだ。試合中止や試合の中断はしんどい。ファンにとって、とくに僕のような遠方から球場にかけつけるファンにとって、スタジアムの席に座って生ビールを飲みながら試合開始1時間前に試合中止になってしまうのは、時間とカロリーの無駄である。

ゲリラ豪雨下で試合中断となり、再開されるかわからないまま待たされるのは苦行である。また、雨天中止が続いて秋に代替試合を組むと必然的にスケジュールはきつくなり、その恩恵をうけるのは戦力に余裕のある一部リッチ球団だけである。

 

このまま気候変動がおかしくなり試合中止が相次いだ場合、シーズン終盤でダブルヘッダーを3日連続でおこなわれるようなケースも出てくるかもしれない。選手層の薄い球団は先発投手を揃えられず、三線級のピッチャーを投入してズタボロ負けを喫することになる。そのような悲劇をできるかぎり回避するような活動をプロ野球には期待したい。

だが、見たところ、「雨だからしょうがないねー」感が強すぎる。「人口的に球場上空の雨雲を吹っ飛ばす、「(ゲリラ豪雨の一因といわれる)環境破壊を防ぐ試みに本格的に取り組む」などの対策を期待したい。なお、屋根付き球場は味気ないのでもういいです。ハイ。

古き良き(?)ボールパークを求めて

古き良き(?)ボールパークを求めて

 

ここまで、SDGsの大きなテーマである、貧困をなくそう、ジェンダー平等、気候変動対策をキーワードに語ってきた。最後に多様性を意識した提言をしたい。多様性とは、それぞれの価値観や過去や経験を大切にするということである。

古くなったというだけで切り捨ててしまったものもあるだろう。最近のプロ野球観戦は快適だ。球場は綺麗になったし、食べ物や飲み物は工夫をこらしている。ファンサービスも充実した。女性の観客は本当に増えた。だが、それでも子どもの頃に訪れたプロ野球観戦、球場の雰囲気が懐かしくなるときがある。あの緊張感。ヤバいところに来てしまった感。僕と同年代以上の人ならときどき懐かしくなるのでは? 

具体的にはかつての某球場(あえて匿名)の外野席を占めてキッズたちに凶悪なオーラを放っていた、広域でバイオレンスを行使していそうな強面のオッサンたち。某球場(あえて匿名)で提供されていたトイレの手洗いからホースで水を確保していた謎のうどん、子どもに聞かせられない強烈なヤジ。

 

これらの消えていった球場文化、ほめられたものではない風習を、期間限定で復活させるのはどうか。僕のようなオールドファンは「こんな時代もあったよね」と中島みゆきの歌詞のように懐かしがるし、それ以外のファンは「最悪すぎ。滅びろ。やっぱり今のほうがいい」と今のサービスを支持するだろう。新旧ファンにとって有益ではないか。

以上、SDGsをテーマにプロ野球について語ってみました。偶然だがSDGsは僕の2022年シーズン・セ・リーグの順位予想と一緒である。1位S(スワローズ)2位D(ドラゴンズ)3位GS(ジャイアンツ)。このSDGs順位予想が当たることを祈念しつつ筆をおきたい。