DXは本当に人を幸せにするのか?中国在住の筆者がシェアリング文化を考えてみた

DXは本当に人を幸せにするのか?中国在住の筆者がシェアリング文化を考えてみた

 

中国経済は今や、人民の旺盛な消費が支えている。

断捨離ブームなどもあったように、モノに執着しない方が増えている日本に比べ、中国の人々の所有欲はかなり強め。だが同時に、中国は貯蓄率の高さが世界トップクラス(2020年で45.3%)*1で、人々はお金に関して非常にシビアだ。

現在、中国で暮らす筆者の周囲には「値切っている時が一番幸せ」と語る天性の商売人や、日本円で数百円程度を値切るために小一時間バトルを繰り広げるチャイニーズの方が普通にいる。

消費&浪費志向と金への執着心は大中華の人々の血脈に息づく気質であり、ふたつは一見矛盾するように思えて、彼らの中では上手く溶け合っているから不思議である。

消費はしたいがお金も貯めたい、そのうえ何でも安く済ませたい――。

そんな彼らの複雑な思いに加え、最近のエコブームも相まって、かの地で近年、盛り上がりを見せているものがある。

中国で盛り上がりを見せるシェア&レンタル文化

それは、中国語で「共享服务」(シェアリングサービス)、「共享经济」(シェアリングエコノミー)と呼ばれる、シェア&レンタル文化。シェアや貸し借りをするのはモノに留まらず、各種サービスも含まれており、ITとの融合で発展または変容を遂げたものが多い。

それらの登場で人々の暮らしは便利になっている一方、借りたものが乱暴に扱われがちな問題や、「これって本当にエコなの?」と感じてしまう点も、確かにある。

だが、総じて見れば、固定観念にとらわれず新たなサービスが続々生まれる中国のシェア&レンタル業界は、一定の評価に値する――というのが現地で暮らす身としての感想だ。

では、実際にどのような実例があるのかを、筆者の体験などを交えつつ語ってみたい。

「やったもん勝ち」がしばしば横行する中国のシェアリング業界

中国とは社会主義を奉じていながら、変化がすさまじく速く、同時にイノベーションが盛んな国でもある。その理由を、現地でビジネスをやっている中国人の知人は、かつてこう言った。

 

「中国では、政治がらみのことは別として、極端なことを言えば法律で禁じられていないことは何でもあり、みたいなところがある。新しい商売を始めて、後から法整備がされることは珍しくない。当局に追認されればラッキーだし、規制が敷かれるならその前に稼ぐだけ稼げばいい、それが中国というものだ」

 

実はこの話、最近はお上の目が厳しくなり当てはまらなくなってきているのだが、確かに中国の特性をよく表しているのも事実である。何かしら新たなビジネスやサービスを創出し、ひと山当てたとする。

すると当然、その恩恵を享受する人々がいる反面、やがては負の面も表面化し、社会問題となることもある。そこでようやく当局が動き出し、ルールが作られるというのは、中国のスタートアップでしばしば見られる光景だ。

Mobikeの登場

さて、「共享」がキーワードとなった近年の中国では、それこそ雨後のタケノコのようにシェアとレンタルを売りとするサービスが出現した。最も分かりやすい事例は、日本でも導入が図られつつある自転車シェアリングであろう。

そのさきがけとなったブランドのひとつである「摩拜单车」(Mobike)のサービス開始は2016年。あっという間に中国の主な都市の街角には同社のシェアサイクルが溢れ、スマホでQRコードを読み取るだけで借りられて、目的地に着いたら乗り捨てできる便利な庶民の足となった。

 

シェアサイクル

 

各シェアサイクルにはGPSが埋め込まれていて、スマホアプリを開けば身近にある自転車を探すことができ、利用登録や自転車の解錠、支払いなども全てスマホ上で済ませられる。

同社の創始者である胡瑋煒(フー・ウェイウェイ)女史がかつて言った「世界最大のスマート自転車シェアリング運用プラットフォームであり、世界最大級のモバイルIoT運用プラットフォームでもある」*2という言葉も、あながち間違いではないだろう。

ところが、それほど革新的なサービスを生みながら、同ブランドは身売りされ、街角で見かけることはめったにない。理由は多々あるが、最も大きいのは急速な成長にともなってコントロールできなくなった放置自転車などの問題で、当局に目をつけられたせいである。

ただ、胡女史は同社を負債と相殺して27億ドルで売り抜けることに成功した。*3

情報技術とその応用が人々の生活様式を変えた

また、彼女が広めたと言っていい中国の自転車シェアリングは、今も人々の通勤やお出かけの重要なツールとなっている。情報技術とその応用が人々の生活様式を変えた好例として、その業績は今後も称えられていくだろう――

と、きれいな話で済ませたいのだが、現地に住んで毎日使っていると、やはり問題も見えてくる。

まず、シェアリングは本来、資源の浪費を抑えるものであってしかるべきだが、路上に打ち捨てられている壊れたシェア自転車の山を見てしまうと、一抹の疑問が残る。中国の人々は自分のものは大事に使うが、共有財となるととたんに扱いがひどくなる。

なかにはシェアサイクルのQRコード部分をスマホで撮った後、他の者が使えないようにコードを削って、自分だけはスマホ内の画像を読み取り使えるようにする輩、はたまたサドルを外して持ち帰る人もいる。

これは言わば自分専用シェアサイクルであり、発想はすごいが他者に迷惑を及ぼす負のアイデア。そういう事例を目にするたびに、中国の人々は便利さを享受するものの、シェアリングが持つ理念はまだまだ共有されていないのかも……と思ってしまうのだ。

人は合理性のみに生きるにあらず

人は合理性のみに生きるにあらず

 

シェアサイクルの後を追うように、中国ではさまざまな「共享」サービスが生まれた。電動バイクやスマホのバッテリーシェア、カーシェア、そして駐車場シェア。これらはオンラインとオフライン方式が共存しており、プラットフォーム化されている場合もあれば、昔ながらの口コミに頼った貸し借りも残っている。日本なら一発アウトの事例も珍しくなく、その代表格は車のナンバーのシェア&レンタルだ。

例えば、地方から上がってきた人が地元ナンバーの車に乗っていたとしよう。中国では他の省・自治区・直轄市のナンバーだと、大都市では走れるエリアが制限されるケースもある。そこで、北京や上海ナンバーを借りてしまおうというわけだ。

この辺りまではまだ日本人である自分もギリギリついていけるのだが、「日租男友」(レンタル彼氏)、「共享养老」(シェアリング介護)といったものなると、いやちょっと待てと言いたくなる。「日租男友」とは、字面のごとく1日彼氏。*4

これを「共享男友」(シェアリング彼氏)と言ってしまうと全く意味が変わり、不義の愛の世界になってくるので、一応レンタルとしているようだ。

目的は、意外にも不純なものとは限らない。

本当に重要なのは「人を幸せにするかどうか」

イケメンと楽しい時間を過ごしたいという方もいるようだが、中国では自分のメンツを保つためにも、レンタル彼氏は利用される。

故郷から両親や旧友が上京してきた時、彼氏のひとりも紹介しなければ合わせる顔がない――そういう中国女子ならではの意識を突いたニッチビジネスと言えるだろう。

一方、シェアリング介護とは、ごく簡単に言ってしまえば自分だけでは養えない老いた家族を、同じ境遇の知人、はたまた全くの赤の他人同士で3人、4人とまとめて面倒を見るというもの(他にも形態はいろいろあるがここではややこしくなるので略)。

これは一見、『楢山節考』の世界のように思えてしまうが、そうではない。限られた経済条件の中で、自分を育ててくれた両親に少しでもすこやかな老後を過ごさせたいという思いが一応、根底にある。

 

中国の老人ホームはサービスが悪い、でも自宅介護は仕事や何やらで難しい……

だったらご近所さん(または他人)同士でマンションをひと部屋借りてお年寄りに共同生活をしてもらい、付添人を雇いつつみんなでサポートすればいいよねという、彼らにとっては合理的な判断なのだ。

さすがにシェアリング介護専用アプリというのはまだ存在しないが、このようなシェアの形態もやはりオンラインでのマッチングが増えている。

いずれもITが後押しした新たな動きと言ってよく、中国では今後もさまざまな情報技術とシェア&レンタル文化の融合例が生まれていくことだろう。それが暮らしを便利にするのは間違いない。

だが、本当に重要なのは利便性ではなく、突き詰めれば「人を幸せにするかどうか」。もしかすると、中国の人々はそのような原点に立ち返り、少し歩みを止めて考えることが必要なのかもしれない。