「中国DXの見本市」北京冬季五輪で革新は成し遂げられたか?

「中国DXの見本市」北京冬季五輪で革新は成し遂げられたか?

 

「現代の科学技術、とりわけデジタル化、ビッグデータなどの技術を積極的に運用し、大会運営の保障およびサービス効率を高めなければならない!」*1

そんな国家のトップによる号令の下、平和の祭典ならぬ国威発揚の祭典となった北京冬季オリンピック。招致時のアピールポイントは「簡素で安全かつ素晴らしい五輪」というもので、それを支える要素の1つと位置づけられたのが中国の情報技術だ。

オリンピックが終わった今、中国国内の論調としては、国際公約は十二分に達成できたというもの。さらに、IOCバッハ会長をして「北京大会は五輪のデジタルトランスフォーメーションを加速させた」と言わしめている*2

 

しかしながら、国営メディアが連日のように関連ニュースを報じ、バッハ氏のお墨付きがあるからといって、鵜呑みにはできないのが中国である。中国による自画自賛の言葉がこれでもかと飛び交った北京大会で、五輪におけるDX導入は本当に進んだのか?

その検証をおこなうべく、不肖北京在住の筆者がこのたびの冬季五輪におけるDXの虚実について考察を加えてみたい。

 

(筆者撮影)

(筆者撮影)

感動を生んだ開会式の裏に隠されている狙い

北京冬季オリンピックで導入された情報技術については、当局がすでに成果を発表している。具体的にはAI、VR、5G、8K高画質放送、ロボット、スマート医療の導入などである。このように、なんとなく進んでいる感じのする単語の列挙は、中国当局によるアナウンスでしばしば見られる光景だ。

例えば、ロボット技術の導入といっても実際には選手村の食堂で料理が天井から降りてくるといったもの。接触を減らすコロナ対策といえば聞こえはいいが、これは外に見せるためのハイテク活用という意味合いが強く、DXによる五輪の進化に繋がっているかというと疑問符がつく。

そのような表層的事象に惑わされることなく、革新と呼ぶにふさわしい点に注目すべきであり、以下自分が目についたものを挙げてみよう。

ハイテクの見本市「開会式」

まず外せないのは、中国が誇るハイテクの見本市となった開会式だ。

8K超高画質、いや16Kだなどと言われる会場のLED床ディスプレー、AIによるリアルタイムモーションキャプチャー、その他さまざまな技術を駆使した演出。何やら自分も中国当局同様、カタカナ言葉を羅列しているだけという感がしなくもないが、創意の面でも技術面でもイノベーションに満ちた開会式であったことは否定しようのない事実である。

むろんこの開会式には、プロパガンダ要素が多分に含まれている。それでも普段は中国ニュースとなれば辛辣な言葉で溢れるヤフーのコメント欄に称賛の声が集まり、「開始既に5分で東京の開会式を超えた」というネットユーザーの声を報じたメディアもあった*3

 

プロパガンダを広める上で重要なポイントは多々あるが、そのうちのひとつに「相手にプロパガンダと悟られないこと」が挙げられる。中国は対外宣伝に多大な金額を投じつつも、自国の論調が海外で広まるどころか反感ばかり買っているのは、あまりにも狙いが露骨であるせいだ。

ところが今回の開会式は、宣伝要素があからさまであったにも関わらず、テクノロジーによる演出とその感動が上回ったように見える。会場で使われた技術は今後、国家レベルの催しから商業イベント、はたまた街の景観に至るまで中国国内のあらゆる場面で見られるようになるだろう。

そうして新たな付加価値が生まれる一方、負の目的に活用されるケースもまた、現れるに違いない。

DXによる未来は自分たちが正しいと思う方向へ

もう1点、冬季五輪におけるデジタル化で注目に値すると感じた点は、デジタル人民元の事実上の世界初お披露目である。

予想されていた正式発行には至らず、中国国内の銀行口座を持たない海外選手はプリペイド式での使用となった。また、利用額は1日平均で約31.5万ドルと報じられており*4、その多くが中国人によるものと予想される。

おそらく選手村などの封鎖管理エリア内で、大会マスコットの氷墩墩(ビンドゥンドゥン)グッズを買うのにでも使われているのではあるまいかーー。

普通に考えればその程度の出来事でしかないが、主要国による中銀デジタル通貨上の競争という視点では、中国が大きなリードを世界に見せつけたということになる。

デジタルドルもデジタル円も誕生の気配すら見えず、現金主義が多くの国でまかり通る中、中国はデジタル人民元の国際化を先んじて推し進め、ルールメーカーとなることを狙っているのである。

それに対してアメリカなどから警戒の声が上がる*5のは当然のことといえるだろうし、この記事*6の著者が指摘するように、冬季五輪は通貨・金融分野での熾烈な覇権争いの起点だったとのちのち評価される日が来るかもしれない。

ネガティブな意見が見られない

また、今回の冬季五輪では、情報技術(+人海戦術)による統制もすさまじい力を発揮した。もしかすると読者の中には、「それ、今に始まったことではないのでは?」と感じる方がいるかもしれない。確かに、2008年北京夏季五輪の時にもインターネットはあり、検閲もおこなわれていた。

だが、現在に比べればまだ緩やかなもので、反骨の気概を持ったメディアも中国国内にわずかとはいえ存在していた。今回のように官製メディアはおろか、国内SNSのコメント欄ですらネガティブな意見がまず見られないという状況は五輪史上、おそらく初めてのことである。

これもまた負の革新といえるだろうが、その代わりに北京冬季五輪では東京五輪のような混乱は一切生じなかった。ギリギリまで開催するかどうかで揉めることもなければ、ロゴデザインが差し替えになったり競技場のデザイン案がボツになることもない、抜群の安定感である。

それがいいわけでは決してないのだが、中国式の強みなるものが一定の説得力を見せたことも事実。結局のところ科学技術とは諸刃の剣、デュアルユースなものであることを肝に命じ、われわれはDXに取り組んでいかねばならない。大会運営側はおそらく意図していないだろうが、このたびの冬季五輪は、そのような気付きを与えてくれている。

アナログな手法でエラー

これらのことをまとめると、北京冬季五輪ではデジタル化による革新があったとはいえ、それが選手たちに寄与するものだったかといえば疑念がある。

例えば、本大会では女子スキージャンプ混合で起きたスーツ規定違反の問題や、スケートショートトラックなどでの「疑惑」の判定が話題となったが、本来こういう案件こそDXの出番であるはずだ。大会運営などでデジタル化を推し進めるのは、確かに大事なことには違いない。

だが、肝心の競技においてアナログな手法でエラーが起き、不公正な結果が生じるようでは、五輪のDX推進は道半ばと言わざるを得ない。少なくとも、バッハ会長が豪語するほどには進んでいないと見るのが自然である。

 

(筆者撮影)

(筆者撮影)

公正で人々に利するデジタル化による革新を期待

何かと裏があると言われるIOCがそう簡単に変化を受け入れるとは思えないが、同時にデジタル化という時代の潮流もまた、抗うことのできないもの。大事なのはひとりひとりが声を上げ、アイデアを出し合うことで、DX推進の原動力とすることだ。そうしてデジタル化を通じ、素晴らしい明日へと進んでいくことである。

北京冬季五輪のスローガンは「一起向未来(共に未来へ)」。

しかし、中国が描く未来なるものに本当について行った日には、どうなるか分かったものではないと日本の多くの方は感じるのではあるまいか。嫌だと感じるならば、自分たちの価値観に即したビジョンを提案し、なおかつ言いっぱなしではなく実行に移す必要がある。

北京冬季五輪は何かと後味の悪さが残ったものの、今年9月には中国におけるハイテク産業の集積地・浙江省杭州市でアジア競技大会が開かれる。eスポーツがメダル種目として初めて採用されるこの大会で、より公正で人々に利するデジタル化による革新が見られることを期待したい。