コロナ禍におけるBCPは有名アニメ作品のリーダー達の心意気を参考にしよう

コロナ禍におけるBCPは有名アニメ作品のリーダー達の心意気を参考にしよう

自宅療養は在宅勤務ではない

私事になるが、2022年1月末に新型コロナに感染して、10日間自宅療養をしておりました。症状は軽く、のど痛、発熱、倦怠感程度で済んだのは、不幸中の幸いである。ただし、のど痛については事前に得ていた情報よりもずっとキツいもので、息や唾液がノドを通過するたびに激痛が走り、飲食に不自由するだけでなく会話にも支障がでるレベルのものであった。

皆さまにおかれましては、マスコミやニュースで伝えられる「比較的症状は軽い」という言葉にまどわされずに用心してもらいたい。

BCP(事業継続計画)は、新型コロナの感染者や濃厚接触者による自宅療養に対応したものでなければならない。僕の勤務する会社でも想定される事態への対応策を事前に考えておいたが、自宅療養者が増えてきた現状に対して施行したとき、うまくいったこと/いかなかったこと/物足りなかったことなどが見えてきた。

 

僕は営業部門の責任者を任されていながら、新型コロナに感染して発症し、自宅療養となってしまった。3月末の期末に向けて予算達成の追い込みをかける重要な時期に離脱となったが、事前に定めておいたBCPでダメージを最小限におさえることができた。参考にしたのは、子どものころ愛した、数々の「メンバーが欠けても戦い続けるアニメ作品」である。

機動戦士ガンダムのホワイトベースは、パオロ艦長やリュウさんが亡くなっても戦い続けた。宇宙戦艦ヤマトはテレビと映画で真田さんは何回も死んだ気がするが、ヤマトは大ガミラスに勝利し続けた。彼らがメンバーの離脱を乗り越えてどうやって戦い続けたのかを考えることで、今を生きる僕らにとって大きなヒントを得られるだろう。

 

僕の経験から、まずはっきりさせていただきたいのは、自宅療養と在宅勤務を混同しないように、しっかりと定義することと、その違いの周知を徹底させることだ。僕は本当に苦労した。

というのもウチの会社の上層部の長老たちは、自宅にいるという要素に(都合よく)着目して、「自宅にいるのなら仕事しろ」と執拗に迫ってきたからだ。「軽症なら働ける」という固定概念からの発言だと思われるが、自宅療養と在宅勤務は、はっきり定義させておいたほうが、絶対にいい。

感染症は災害である

語弊があるかもしれないが、新型コロナのような感染症は災害(天災)として認識して「感染=被災」という認識をもつよう徹底させることが大事だ。そうすれば、自宅療養と在宅勤務を混同するバカは出てこなくなる。

もし、「自宅でゴロゴロしているなら働きなさい」と言われても「あなたは災害に遭って大変な思いをしている人間を働かせる悪魔ですか?」と言い返せるだろう。

しかし災害扱いにしても、感染者(軽症)の場合、あるいは、濃厚接触者の場合における自宅療養においては、地震や台風のような明確な命の危険が存在しない点が厄介である。実際問題として、自宅療養者が続発するようになると人手は不足傾向になる。

その一方で、自宅療養者のなかには働くことができる者もいるため、働かせたくなるのも仕方ない。また災害と違って、復帰時期が読みにくいのも厄介さのひとつの要因だろう。

 

僕の実例(神奈川県某市)では、感染して発症した日を0日目として10日間の自宅療養とされた。ただし、10日間の最後3日間は無症状であることを条件に検査等なしで復帰可能というのが保健所の見解であった。ウチの妻は濃厚接触者として、感染者よりマイナス3日間の自宅待機とされた。

僕の場合、症状が出てから5日目までに症状はおさまっていたので、ラスト3日間の条件をクリアできた。だが、症状がおさまらなかったり、再発したりするなどしてラスト3日間無症状条件をクリアできなかったら、あるいは妻が感染発症して僕が濃厚接触者になるなどしたら、復帰がいつになったのかよくわからない。予想するのは難しい。

その点については官公庁の出している方針をベースに職場による復帰パターンを事前に持っておくことが必要になるだろう。たとえば、濃厚接触者の場合でも感染者と同様の自宅療養期間を持つとか、復帰の際には検査結果で陰性が出ることを不可欠とするとか、事業の特性にあわせた復帰プランを持つことがBCPの第一歩になる。

 

さきほどから自宅療養と在宅勤務云々の話を繰り返しているのは、自宅療養中、理解力のない上層部から「働け」と言われていたからである。その反動ではないが、個人的な意見として、感染して自宅療養となった場合は、症状の有無や程度にかかわらず「(原則)業務から外す」方針でいい。

当事者になる前は、症状の有無や程度によって、ケースバイケースで在宅勤務として働いてもらうほうが理にかなっていると考えを持っていた。だが、医療期間による症状の判定が毎日できない現状を鑑みると、「(原則)業務から外す」方針にして対応策を考えたほうがやりやすい。

「あいつは症状がないのに働いていない」とか「なんで症状があるのに働かなければならないんだ」という不満の温床になるくらいなら、スパっと自宅療養として業務から外したほうが後々を考えると良いだろう。

仕組みは作って使って検証して改善するしかない

仕組みは作って使って検証して改善するしかない

 

新型コロナにともなうBCPをひとことでいえば「人材リソースの選択と集中を適切なタイミングでおこなうこと」だ。

最近の流行語に「エッセンシャルワーク」という言葉がある。社会を動かすのに必要不可欠な仕事という意味である。医療や介護、教育、それから生活を支えるインフラなどがその代表格である。エッセンシャルワークだけは、最低限の人員を確保して社会活動が止まらないようにするのが世の流れだ。

このエッセンシャルワークを会社レベル、事業レベル、部署レベルごとにあらかじめ定めておく。各レベルごとに「絶対に何があっても止めてはいけない仕事」と「期間限定で止めてもかまわない仕事」を決めておき、あわせて、止めるときの条件と基準を定めておこう。

ある程度、仕事を効率化しておかないと「止める/止めない」の線引きは難しい。「あの人にしか出来ない」という旧態然として属人化した仕事をしていては、特定の人材のいる/いないでしか評価ができないので、エッセンシャルワークを定めることなど土台無理だ。BCPと業務効率化は、切ってもきれない関係にある。この感染拡大でBCPを定めるのをきっかけに、業務効率化をはかって属人化した仕事をあらためていくといい。

 

僕は営業部門の責任者だ。そして営業という職種しか知らない。だから他の職種におけるエッセンシャルワークがどのようなものになるか、想像の域をこえない。だが、営業という仕事におけるエッセンシャルワークが、どのようなものになるかは経験でわかる。実のところ営業におけるBCPは、他の職種よりも比較的簡単である。なぜなら営業という職種は、仕事量を意図的にコントロールできるからだ。

イヤらしい言い方をするなら「仕事を選べる」のだ。僕が営業マンとして四半世紀やってこられたのも、こういった営業の特性に要因がある。イヤな仕事や苦手な客を避け、自分の裁量で仕事をコントロールすることができたからだ。もちろんそこにはノルマを達成するという大前提がある。ノルマ未達の営業マンには仕事を選ぶ権利はない。

入ってくる仕事量をコントロールできる営業部門の特性を活かせば、営業部門のエッセンシャルワークを決めるのは比較的簡単である。新規営業開発を抑えて、進行中の案件に注力すればいい。新規開発 < 進行中案件。案件の重要度やボリューム(売上規模)によって例外を設けるのもありだ。とにかく、期間を限定して新規開発をストップする。

 

そしてチーム内に自宅療養者が発生した場合には、人的リソースを集中的にあらかじめ定めておいたエッセンシャルワークに投入して、ダメージを最低限に抑えて事業を継続していく。チーム内で穴を埋めることを第一に考えて、それがかなわないときは他部署にヘルプを依頼する(新人にあらゆる部署を経験させたことがここで生きた)。

実際、ウチの営業部門では、僕を含めて複数の自宅療養者が発生したが、これらの施策で乗り切ることができた。それが出来たのは、ベテラン営業マンに頼り切った属人化した仕事から脱却し、効率化をはかってきたこと、BCPを早めに策定して問題がおきた際には早めに改善してきたこと、新人研修でユーティリティープレイヤーになれるよう教育してきたこと、などが要因としてあげられる。

特に人材リソースの限られている中小企業は、大企業よりも事業継続について思いきりのいい施策が必要だ。今回の感染で、選択と集中のためには効率化が不可欠であることを僕は思い知らされた。

チームのリーダーが欠けたときも想定しておく

チームのリーダーが欠けたときも想定しておく

 

ここまではうまくいった事例について書いてきた。ここからは失敗談を正直に述べておく。営業部門のBCPの中で抜け落ちていた要素があったのだ。定めておいたBCPは、責任者が自宅療養になったケースが完全に抜け落ちていた。僕自身が感染して、はじめて責任者が欠けたケースの想定が抜けていたことに気が付いた。

おそらく大企業の責任者が自宅療養に入るより、中小企業の部門責任者が自宅療養に入るほうが、管理職兼チームの一員という仕事を兼務しているぶん業務から外れるのは難しいだろう。

実際、僕はイチ営業スタッフとしては自宅療養として業務から外れることができたけれども、部門の長としての管理監督業務や決定決裁といった業務からは外れることができなかった。結果的に熱にうなされながら自宅療養兼在宅勤務のような、中途半端なカタチになってしまった。

このときばかりは、効率化をはかって自宅でも業務がこなせるようになっていたのが災いになってしまった。この文章を読んでいる皆さまには、リーダーが自宅療養に入るケースについても想定してもらいたい。

 

冒頭にあげた機動戦士ガンダムでは、初っ端に死んでしまうホワイトベースのパオロ艦長だが、僕は彼を高く評価している。自分が部門の責任者になって彼の凄さについてはじめて気づいた。

物語には描かれていないが、おそらく自身の死を予測してブライトに艦長代行を任せ、少年兵を中心に欠員を埋めていくBCPを亡くなる前に施行していたはずである(地球連邦軍の規定に沿っただけかもしれないが)。自身が亡くなるまえに、最善策をとっておくことは、現代のBCPを考えるうえでもっとも必要なことだろう。僕にはパオロ艦長のように右腕的な存在に業務を委譲するという考えが完全に欠けていた。反省しかない。

 

僕のなかで評価を落としている艦長もいる。宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長である。部下を無茶な任務を与えて死地にいかせたあげく、任務完了直前に「地球か...なにもかもみな懐かしい」と言って死亡。その後、銅像まで建てさせて英雄になりながらも、部下には戦い続けさせて、後日「誤診だった。死んだのナシ!」という謎理論でしれっと自宅療養を終え、元の立場に戻る無責任な沖田艦長のような上司にはなってはいけない。

心の底からそう思う。以上。