副業書評家が思う「面白い文章」の要素3つ

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面白いってなんだろう、とふと考えることがある。

文章を書く仕事をしている。できるだけ「面白い」文章を書きたい。

でも、じゃあその「面白さ」とはいったいどういうものなのか、と具体的に考えると、いろいろと欲望は浮かんでくる。読む人の手を止めさせないようにしたい。ちゃんと読み終わった後も残る言葉にしたい。それによってなにか受け取るもののある文章にしたい。――それは翻って、私が面白いと思う条件、のことである。

 

読者としていろんな人の文章を読んでいても、「これは面白い」と思う文章のなかでも、面白さにグラデーションはある気がする。そしていくつかのベクトルもまた、存在するように思う。

 

面白い文章とは何だろうか。その面白さとは、因数分解すると、何になるんだろう。少し時間のあった年末、ふとそんなことを考えていた。

「面白さ」の3つの要素

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私にとって面白さとは、三つの要素がある。

  1. 新しさ
  2. 共感
  3. 憧れ

この三つのベクトルがあって、その合計値で面白さが決まるのだと思っている。

 

新しさというのは、表現の新しさなどではなく、その情報が新しい、という状態だ。たとえば書評を書くとなると、「こんな本あったんだ」と、読者にとって新しい情報(つまりはその人が読みたい本)を提供できたら、新しさポイントが加算される。読者にとって、知りたい範囲で新しい情報が提供されると、それは面白さに繋がると思っている。

 

そして共感というのは、ようは「あるある」である。これは細かくて的確であるほど、加算されるものだと思っている。既に知っている情報だが、自分が思っていたことや考えていたことを掛け合わせた情報を摂取することに対して、私たちはなぜか快楽を覚える。たぶんそれは、自分以外にもこれを考えている人がいたのだという、孤独じゃなくなる快感なのだと思う。連帯って楽しい、というやつである。自分と同じ文脈を共有している人がいることを知ると、嬉しくなるのだろう。

 

憧れは、いちばん趣味・嗜好によって異なるというか、細分化された世界だろう。好みそのものだから。「この世界にもっと浸っていたい」とか、「この人をずっと見ていたい」とか、恋に近い感情を呼ぶものだと思う。萌え、と言ってもいい。小説でいうと、この世界観が好きとか、このキャラが好きとかいう面白さが、私の中ではここに入ってくる。

 

この世で面白いとされるものは、この合計点なのだと私は思っている。たとえば新しさ50、共感40、憧れ20で合計110点、はい面白い判定出ました、みたいな。

 

これでいうと、どれくらい世の中に対して「面白い」と思ってもらえるかというのは、それぞれの値の出やすさによる。

なぜなら、「憧れ」や「共感」の値は、かなりそのベースとなる人の多さによるからだ。

 

つまり、憧れや共感は、自分と同じ文脈を持っている人がどれくらいいるかによって、「面白い」と思ってもらえる人の多さが変わる。ビジネス用語でいえば、市場がそもそもでかいかどうか、みたいな話である。市場が小さいと、憧れや共感の数値がどれだけ大きくても、その総数は大きくなりづらい。

 

逆に、「新しさ」のほうは、もう少し汎用性が高い気もしている。「情報」の面白さとは、ほとんどが新しさとしての面白さだ。それをいままで知らなかったから、知ると面白いと感じる。驚き、にも近いように思える。小説のそんな展開になると思っていなかった、などの感想もこれだろう。どんでん返しなんかも、これに入ると私は思う。

 

憧れと、共感と、新しさ。たぶん、一つの値だけで合格点まで突っ切るのはかなり難しい。だからこそ、その三つの掛け合わせで、どこを狙うかを考えたらいいのかもしれない。

「面白さ研究」はまだまだ続く

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……と言ってみても、とはいえ、自分の興味は変えられないんだよな~!? とも、思う。

つまり、「よっしじゃあたくさんの人が今興味を持っているトピックで、共感を呼べるような文章を書こう!」と思って、書けるもんでもないよな……ということである。

 

いや、それを書けるプロもたくさんいるだろう。いるんだろうけれど、自分はそういうタイプじゃないのだ。そして、悲しきかな、そういうものを心の奥から、うおお書きたい! と思ったこともないのだった。

どちらかというと、自分にとって面白いもの、面白いと思える文章を、どうしたらみんなに面白いと思ってもらえるように寄せられるか? をずっと考えているフシがある。

 

市場がでかいから、それを好きになるわけじゃないし、面白いと思っているわけでもないのだ、こちとら。例えるならば、転職相談で「こういう仕事が年収上がりますよ!」と言われたところで、「そもそもそういう仕事をしたくて生きてるわけでもなく……」と立ち止まってしまう、みたいな話である。

 

自分が面白いぞこれはと合計点を与えた文章と、他人が合計点を与えた文章が、同じになるわけではない。

だったら、もう少し発明が必要だ。

 

どうしたら、その隙間を埋められるか。ぎりぎりまで、自分の好みの範囲のなかで、他人に手を伸ばすことができるか。

他人の面白いと、自分の面白いのすり合わせは、文章を書き始めた時からずっとずっと続いているテーマだ。

 

しかし、自分のなかの数値が大きくなれば、なんとなく、他人の好みの範囲にも届きやすくなるのでは? という直感もまた、私の中で最近登場している。

だから最近は、とりあえず自分のなかの「面白さ」数値を上げてみることを試行錯誤している。まあ、それが一番難しい気もするが。私のなかの面白さ研究は、まだまだ続いているのだ。

 

■三宅さんの前回の記事はこちら

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