副業作家が思う「自主制作」の意味。いつもの路線から外れることで得られるもの

いつもの路線から外れることで得られるもの

先日、関西へ旅行に行った際、立ち寄った場所があった。

兵庫県宝塚市にある「手塚治虫記念館」。宝塚のミュージカルを観に行くのが旅行のメインイベントで、手塚治虫は時間あれば立ち寄れたらいいな~くらいに考えていたのに、実際行ってみるととても面白い場所だった。

私も知らなかったのだが、24歳まで手塚治虫は宝塚市に住んでいたらしい。かなり自然豊かな場所で漫画家デビューを果たし、そして医学部に合格し、あれよあれよという間にベストセラー作家になった手塚治虫。40万部を超えるベストセラー『新寶島』は、19歳のときに描いたというのだから驚きだ。

手塚治虫記念館には、彼の年表やインタビュー動画、作品を展示していたのだが。なんせ、彼の年表を見るだけでも面白い。興味のある人は、ぜひ調べてみてほしいのだが、彼の年表を見ると、それはもうたくさんの連載を同時並行で描いているのである。

いや、私だって手塚先生が働き者であることくらいは知っていた。なんなら手塚先生がいかに働いていたかを綴った伝記漫画も読んだ。しかし、これまでぼんやりと「アトムとジャングル大帝とブラック・ジャックと火の鳥とブッダの作者」「とにかく漫画の神様」「なんかやたら長時間労働していた」くらいのイメージしかなかった手塚治虫、私の想像をはるかに超えた仕事量であることに驚愕したのである。

なんせ彼のデビューははやい。18歳でデビューして、そして60歳で亡くなるまで、1年たりとも休まず働き続けていたのだ。

記念館で流れていた、手塚治虫についての著名人インタビューした動画には、こんなコメントもあった。「手塚さんは本当にいつ寝ているのかわからなかった、あんな仕事の仕方を見ていたら、自分が仕事したなんてとても言えない」。……なんだそれ! 昭和の働き方、こわい! なんだそれは! と、令和の働き方改革に慣れた20代は戦慄していた。

自主制作をする意味

しかし個人的に作品年表の中でとても面白かったのが、手塚治虫が、意外にも自主制作でかなり作品をつくっていたことだった。

手塚治虫のアニメといえば、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』であり、押しも押されぬ元祖アニメーターだと思っていた。しかもあんなに漫画連載を進めていたのだ、商業媒体だけで精一杯なはずだ。

それでも、すでに漫画家として売れているのに、アニメで自主制作を続けていたらしい。しかも一作品だけじゃなくて、いくつも作っていた。

驚いた。そんな時間がどこにあったのか、と思ったが、考え直した。

いや、たぶん時間がないのに、それでも時間をこじ開けて作るくらい、「自主制作」には意味があったのだろう、と。

また別の話になるのだが、私が好きな脚本家に渡辺あやさんという、朝ドラ『カーネーション』や映画『メゾン・ド・ヒミコ』や『天然コケッコー』といった作品の脚本を担当している方がいる。渡辺さんが脚本を書いた映画がこの夏、公開されるのだが、これも基本的にはクラウドファンディングで始めた企画なのだ。

『逆光』という映画についての記事では、「自主制作じゃないと作れない物語があるから、若いころから今に至るまで何度か自主制作で映画をつくっている」というエピソードが語られていた。*1

 

私は手塚治虫記念館で、年表を見ながら、その言葉を思い出していた。

モノづくりにおいて、自主制作って、けっこう、大切なんじゃないだろうか、と。

仕事としてなにかを書いたり作ったりしていると、どうしても、いつのまにか「今、求められる方向性」に自分が寄っていく。

たとえば手塚治虫なら(って想像するのもおこがましい存在なのだが)、あんな人気漫画家なのだ、「アニメなんて作らなくていいよ!」と周囲に言われることは容易に想像できる。

でも、その周囲の言葉に従っていれば、きっと『鉄腕アトム』がアニメになり、ここまで世界中に広がることはなかった。

周囲からしたら、そんなものに手を出さなくてもいいのでは……と思うようなことに、手を出してみることの大切さ。そして、それをまずは売れるようなものに、誰かに求められるようなものを作るのではなく。あえて、自主制作で、自分が面白いものに寄せていく。

というか、むしろ「今、求められる方向性」から、あえて外れる。

その作業が、意外と、働いてなにかを作るうえでは、大切なのではないかと思うのだ。

新しい方向性

「いつもの路線から外れる」ことで得られるもの 

なにかを作って流通させて売る人間が、自主制作をするタイミングは、たぶん二段階ある。

一段階目は、世の中に出る前だ。

たとえば作家だったら一冊目の本や一つ目の(依頼を受けて報酬をもらって書く)記事を出す前。漫画家だったら雑誌に漫画を載せてもらう前。映画だったら商業ベースに乗る前かもしれない。

「自分の作品を知ってくれ!」と世の中に対して声をあげるタイミング。それが一段階目の自主制作だ。

インターネットのおかげで、昔に比べてここの発表媒体はとても増えた。今は無料で自主制作できる場がたくさんある。

もちろん、たとえば同人誌販売やYouTube動画での広告収入など、自主制作と流通と稼ぎの境目がほとんどない媒体も存在する(つまり自主制作してたら勝手に稼げていた、という場合のことです)。その場合は、ずっと自主制作を続けているような状態かもしれない。

でももし、そこから媒体を変えて売るような状況になったら。

ものを作って売るプロになって、自主制作するタイミングはどんどん減っていく。

しかしそれでも、そこで、「売れる方向」だけを見定めてものを作っていると、どこかで限界がやってくるのではないだろうか……と私は思うのだ。

もちろん、作るからには売れないと、採算があわない。資金回収できない。売れないとどこかに迷惑がかかる。

しかし一方で、じゃあ売れるものだけ作っていたら、売れ続けるのか? というと、まったくそういうわけではないと思うのだ。

そこで第二段階の自主制作タイムがやってくる。自分なりに、求められはしないけれど、やりたいことをやってみる、作ってみる、のである。

求められることだけやっていくと、いつのまにか、自分が書きたいものや作りたいものの指標を失う。それを取り戻すための、いわば、ガス抜きのような自主制作だ。

手塚治虫の場合は、まあさすがにアニメ作らず漫画を描き続けていても売れただろうけれど! でも、もしかしたら『鉄腕アトム』がこんなにも長期間、いろんな国で売れるものになったのは、アニメを作ったからかもしれない。そして、手塚治虫の作るアニメが面白いものになったのは、アニメの自主制作を彼が続けていたからかもしれない。

自主制作というか、「習作」のような、ある種、売れる方向と外れた、自分だけにしかわからない、自分がいちばん面白いと思える、理解はされなくてもいいと思えるものをつくることは、意外に大切なのだと思う。

たとえばあまり知られてないのだけど、世界的に有名な作家である村上春樹は、ダジャレを駆使した短編集を出したりもしている。読んでいると、くだらなくてちょっと笑えるし、「これを書いていったい何をしようとしたのか……」と思ったりもするのだが。しかしメタファーを駆使して長編文学を書く大作家もまた、そうやって、いつもの方向からすこし外れたガス抜きのような作品をつくっていたのだ。

大作家ではなくとも、たまにいつもの路線から外れて、自主制作や習作をつくってみることが、自分なりの「ガス抜き」になるのかもしれない。

そしてそのガス抜きはもしかしたら、今の自分にはない、新しい方向性を見つけるきっかけになるかもしれないのだ。

 

 

■前回の三宅さんの記事はこちら

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*1:参照ページ

「「脚本家の頭の中②」(渡辺あや①)【連載/逆光の乱反射vol.10】」
https://note.com/gyakkofilm/n/na07277732300

「自分たちでお金を出し「企画会議を通る要素がひとつもない」映画を作る。 脚本家・渡辺あやインタビュー(3)」
https://qjweb.jp/feature/54160/