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「足腰が立つ間は働き続ける」79歳でも現役で働く元監査役の歴史

さくらインターネットの中の人を知ってもらうため、さくマガではさまざまな社員にインタビューをしています。

今回は、長年さくらインターネットの社内監査役として従事し、2021年6月より嘱託社員となった野崎国弘に話を聞きました。長く働く秘訣や、創業時代のさくらインターネット、当時の代表・田中の印象などについて語ってもらいました。

プロフィール

野崎 国弘(のざき くにひろ)

1942年生まれ、長崎県出身。1964年大阪大学卒。さまざまな企業の役員や株式上場支援などに取り組んだ後、2005年よりさくらインターネットの社内監査役として従事。2021年6月に嘱託社員となる。

さくらインターネットの上場を支援

ーー野崎さんの経歴について教えてください。

私は長崎県で生まれ、高校卒業後に大阪大学に入学しました。1964年に卒業し、同時に大学院へ進みました。

専攻は法律だったのですが、興味があったのは都市問題でした。大学ではあまりそういった問題について学ぶことができませんでしたので、議員さんが集まる勉強会に参加していました。

昭和38年に大阪府議会議員になった方々が、三八(さんぱち)会という政策研究会をやっていて、たまたま私の下宿先の親父さんがそのメンバーと知り合いだったんです。

それで、大学院に籍を置きながら、府庁の事務局に頻繁に出入りしていました。

府議会事務局内の机を拠点に、都市問題の現場で各部門の担当責任者からヒアリングをおこない、最新の現場資料をもとに、議員会館に泊り込んで多数のレポートを書き、議会や知事部局の審議などに利用していただきました。

  • 「都市化する中での中小河川の姿」(昭和42年7月大阪大水害)
  • 「公害規制条例の大阪型試案」(規制申立権、調査報告義務などの条例化)
  • 「拡大する航空需要と大都市内に国際空港が立地することの是非」
  • 「環状大量輸送手段(大阪モノレール)整備の必要性」 など

大学に行かず府庁にばかり顔を出していたもので(笑)、結局、大学院は途中で退学しました。大阪府庁だけでなく、豊中市役所や茨木市役所などで委託を受けたものについても研究・報告しましたね。

 

30代に入ったころ、大阪知事が変わったこともあり、地元の有力な企業が何社か集まって事務所をつくるから、そこの手伝いをしてくれと頼まれました。

豊中に事務所を置き、地域の百数社の会員を相手に、事務所長として経営相談に従事しました。地方出身者の独立自営による建築業、鉄工業、飲食店などがおもな業種です。私の人生の中で、いちばん親密な人間関係を築けた時代でしたが、この団体は後継者に譲りました。

40代から50代にかけては、同級生の某都市銀行支店長から、「資金調達法としては、当面政府の数10億円規模の制度融資などを利用するべきだ。そのためには、企業が新規性のある事業に取り組み、株式公開へ向けた準備を進めることが必要で、経営管理組織の整備や上場申請書類・開示書類作成能力を高めるのが資金調達の王道である」というご意見をいただいたんです。それで、中堅企業などの役員をしたり、数多くの株式上場準備中の会社でお手伝いをさせていただきました。

同時に2~3社を担当し、ロードサイド量販店からバイオ企業まで、さまざまな業界の内部に入って仕事をさせていただき、私にとっては発見の連続でした。

資金調達や企業のガバナンス整備の面では、大いに貢献したと思いますが、実際の株式上場に漕ぎつけた企業はわずかでしたね。当時の上場の壁は、今よりはるかに高かったんです。

神戸のロードサイド量販店の上場に成功し、証券会社の紹介で大阪のIT企業の上場準備をおこなっていた際に、證券会社の紹介で、さくらインターネットの上場準備を兼務で手伝うことになりました。

当時のさくらインターネットは、社員数20~30人ぐらいで、みなさん汗だくになってデータセンターを作っているような状況でしたね。

2005年に上場申請をするにあたり、東証では監査役への質問や審査があることが判明したので、そのときに急遽、社内監査役を拝命することになりました。

それ以来、さくらインターネットにいるので、ずいぶん長い間になりますね。私の人生においてはイレギュラーなのがさくらインターネットの監査役です。だいたい、3年ぐらい経ったら違う会社に移ったりしていたのですが(笑)。

 

この十数年間、困難な時期もありましたが、業績はほぼ順調に推移していますし、社員一同忍耐強く難関を乗り越えて今日に至っています。

新たな長所を作っていく

リモートでインタビューをおこないました

新たな長所を作っていく

ーー野崎さんから見て、さくらインターネットの印象について教えてください。

私が社内監査役になったころのさくらインターネットは、まだまだ無名の企業でした。若い社員たちが、冷房の効きにくい事務所に泊まり込んで仕事をしていましたね。若者たちの真摯な姿を見て、応援する価値があると判断したんです。

いままでは、会社の内側で目指す方向性を考えて取り組んでいたと思います。しかし、これからは、外側(ユーザや投資家をはじめとした一般社会)からどう見られているかについても考えていく必要があると思います。

ーー田中さん(さくらインターネット代表)について、どのような印象をお持ちですか。

私が出会ったころの田中さんはまだ20歳代で、脇目も振らず仕事をしていました。集中力が非常に高いですし、感情表現にごまかしのない、情感豊かな好青年だと思いました。私の子どもとだいたい同じ年ごろですから、とても親しみを感じました。

バブル崩壊したあとに青年時代を過ごしてこられて、非常に厳しい時代だったかと思います。そういった時代の方は、しっかりしていますよね。

その後の成長具合を見ても、人の数倍の速度・密度で成熟して、頼もしい経営者になられたと思います。東証の審査官に田中さんについて質問された際には、そのように述べました。

株式上場して、さらに責任を強く感じられるようになったと思います。上場してから十数年、非常に成長されて、社長らしくなってきました。

最近は、事業の転換が必要だとおっしゃっていますが、700人くらい乗っている船を方向転換するのは、非常にリスクも高いし摩擦も多いことでしょう。がんばってほしいですね。

ーーさくらの取締役会、取締役の印象はいかがでしょうか。

取締役会の議論を聞いていると、昔と比べて会議における議論も活発になり、取締役会機能の実効性が高まってきていると思います。社外取締役の方も入ってこられて、さまざまな専門分野を持っている方がいますし、パワフルな方が多いですね。いい方向へ向かっているのではないかなと思っています。

ーー野崎さんが考えるさくらインターネットの長所は何でしょうか。

これまでは、データセンターをもっていて、一気通貫でできる点をアピールしてきました。いまはそれだけでは通用しなくなってきていていて、方向転換が必要な時期なのではないかと思います。

過去に「これが長所ですよ」と打ち出してきたことは一旦忘れて、新しい長所を作っていかなければならないですね。この転機を上手に乗り切り、新しく生まれ変わったさくらインターネットの姿を実現する必要があると思います。

個々のお客さまに対するサービスをやっていくノウハウは持っていますし、新たなプラットフォーム、サービスを充実させることができるでしょう。お客さまのデジタルトランスフォーメーション(DX)を成功させるためには、「迅速な予見システム」を作り、「顧客にとって最適なサービス(商品・ソリューションなど)を提供すること」が必要です。これが、さくらの成長を維持するキーポイントだと思います。

先ほども外側からどう見られるかが大事だと話しましたが、お客さまから見ても社内からみても「これが長所だ」と言えるようにすること。さくらインターネットが今まで培ってきたノウハウや人材を活かして、これからそういったものを作っていく段階だと思います。

生涯現役。新しいこともはじめたい

生涯現役。新しいこともはじめたい

ーー監査役としての役割について教えてください。

当初は、ベンチャー企業であるさくらインターネットを、いろいろなお手伝いをしながら育てていくという立場でした。時間が経つにしたがって、ステークホルダーの目からみて問題ないかについて、目を光らせるという立場に変わっていきましたね。なにかあったら、すぐにほかの監査役にも知らせて相談し、調査が必要なら調査すること。これがメインの役割になります。

監査役として、取締役の方々がきちんと議論しているか、問題点については検討して問題がないようにしていただいているか、不祥事が起きそうな兆候がないか。そういったことを見ています。

監(=Watchして)査(=何かあれば調査)するということです。企業経営の中に、黄色信号が点滅していないかに目を配り、必要に応じて調査し、監査役として意見を述べるのが仕事です。

ーー今回、嘱託社員としてさくらインターネットで働き続けることを決めた理由を教えてください。

私は、九州の片田舎にある「ぽつんと10軒家」状態の農家で、長男として、戦前に生まれましたので、「足腰が立つ間は働くもの」と教えられてきました。その思いは今でも変わりません。

今後の役割としては、どういうことがこれから必要なのか、どういうことが私に求められているのかを考えて、新しいことをはじめていきたいと思っています。

ただ、とりあえず、いままで監査役でやってきたことについて、過去におこなったことを説明する義務がありますし、責任をもって対応していかないといけません。

それ以外に、新しい監査役が2人入ってこられたので、私からなにか教えに行くということはないですが、なにかできることがあれば連絡してほしいとお伝えしています。

やってみないとわからないこともありますし、前任者から聞いたほうが早いということもありますから。

ーー長く働く秘訣について教えてください。

大企業に就職すると定年があるでしょう? そうすると「早く退職金もらいたい」とか「定年で辞めよう」という発想になりそうだなと思うんです。定年を迎えて会社を辞めてから何をしているかといったら、結局大したことをしていない人もいます。「そんな人生は嫌だな」とは思っていますね。

私の場合、流れるままに生きてきましたので、意図して今のようになったわけではないです(笑)。自分ができることと時代に求められていることは違ってきていると感じることもありますが、なにかできることを見つけていければと思っています。

ーーさくらインターネットへの叱咤激励をいただけますでしょうか。

忍耐強くかつ大胆に転機を乗り越えて、立派な花を咲かせてください。

さくらインターネットのさらなるDXを、全力を挙げてきっちりやることですね。もちろん、いままでもさまざまなことについて取り組んでいると思いますが、このままではGAFAを始めとした外資の勢力から遅れてしまいます。さらなるDXに取り組むことが、これから伸びていくかどうかのわかれ目だと思います。

ーーさくマガのコンセプトが「やりたいことをできるに変える」なのですが、野崎さんが今後やりたいと思っていることと、それをできるに変えるために努力していることを教えてください。

どういうことが私に求められているのか、どういう可能性があるのかを時間をかけて考えることです。親の年齢から考えると、あと15,6年は生きると思います。最期に「いままで何をやってきたんだろう」って思わないように、これからがんばっていきたいです。かっこよく言えば、「生涯現役」ですね(笑)。

ーー野崎さん、貴重なお話をしていただきありがとうございました!

 

 

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執筆

武田 伸子

2014年に中途でさくらインターネットに入社。「さくらのユーザ通信」(メルマガ)やさくマガの編集を担当している。1児の母。おいしいごはんとお酒が好き。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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