『閃光のハサウェイ』公開!ブライト・ノアという男の生きざまには今を生きるヒントがあふれている

『閃光のハサウェイ』公開!ブライト・ノアという男の生きざまには今を生きるヒントがあふれている

映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』が大ヒットしている。ガンダムシリーズの映画で興行収入10億円を超えたのは、『逆襲のシャア』以来33年ぶりらしい。僕が『閃光のハサウェイ』小説版を読んだのは、平成のはじめ、高校1年のときである。小説版の鬱エンドを読み終えて「どよ~ん」と気分が落ち込んだのを、今でもよく覚えている。後味が最悪だったので映像化はされない作品と思っていた(実際原作発表から30年以上かかっている)。だから、映像作品として劇場で公開されただけでも驚いているのに、大ヒットには驚愕である。「ξ(クスィー)ガンダムがシドニーで捕獲されて(撃墜ではない)、ハサウェイがアレされるカタルシスのない鬱エンド作品がエンタメとして成立するの?」という疑問からくる驚きである。

いずれにせよ、令和の時代に宇宙世紀の富野由悠季監督直系の機動戦士ガンダムが蘇るのは喜ばしい。『閃光~』劇場公開をきっかけに初代ガンダム、Zガンダム、ZZガンダムといった宇宙世紀ガンダムの魅力と面白さが若い人たちに知られれば、ひとりのガンダムファンとして、これに勝る喜びはない。



さて、ガンダムといえば、主人公がモビルスーツ「ガンダム」に乗って、ジオン公国やティターンズ、ネオ・ジオンといった敵対勢力と戦う戦争アニメである。物語を通じて、少年兵である主人公や仲間たちの成長と、戦闘中における敵味方の死といったハードな戦争が描かれる。『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ、『Zガンダム』のカミーユ・ビダン、『ZZガンダム』のジュドー・アーシタ。歴代主人公たちは「ニュータイプ」と呼ばれる人類の可能性を拓く存在として描かれ、人間離れしたエースパイロットへ戦いを通じて成長していく。

僕らも、アムロたちガンダムの主人公のように、仕事で普通の人間ではなしえない成果を出して、スーパーエリートビジネスマンになりたい。そう思うこともあるだろう。若いときは特にそうだ。バリバリと結果を出して、出世。独立起業。新進気鋭の若手カリスマ経営者に。そんな夢を思い描いたりする。

アムロは「才能×幸運」

だが、現実は厳しい。残念ながら僕らの多くはアムロ・レイのようなスーパービジネスマンにはなれない(確率が高い)。アムロになるためには、特別な才能に恵まれたうえで、幸運にも恵まれなければならない。アムロには運があった。ジオン軍のザクが襲ってきたときにたまたまガンダムに乗る幸運に恵まれたから、ニュータイプとして覚醒しエースパイロットになったのである。



つまりアムロには「才能(資質)× 幸運(ガンダム)」があったのだ。



才能は努力で伸ばせる。だが、幸運は本人の努力ではどうにもならない。ビジネスに置き換えると、アムロ・レイのようなニュータイプはロケットで宇宙に行くようなカリスマ経営者だろう。彼らは持って生まれた才能を人並外れた努力で伸ばしたうえで、幸運に恵まれたからこそ、セレブになり宇宙旅行へ行けるのだ。でも、才能と幸運両方に恵まれる人間がどれだけいるだろう?



もちろん、「アムロのようなニュータイプやカリスマ経営者のようなスターになりたい」「セレブになって宇宙へ行きたい」と憧れを持つことは大事だ。憧れと自分の距離を近づけたいという気持ちがモチベーションになる。言い換えれば、憧れは大きな目標である。夢である。

現実的には、具体性のある、実現可能な目標を持つことが大事だろう。アムロになれない僕らは誰を目指せばいいのか。答えはホワイトベース艦長、ブライト・ノアである。僕らが見習うべきブライト・ノアはアムロをはじめとした主人公たちの母艦の艦長である。「機動戦士ガンダム」「Zガンダム」「ZZガンダム」3作を通じて主人公の上司であるにもかかわらず、主人公やその他敵味方のニュータイプに比べると地味な扱いをされている。だが、あえて言おう。ブライトこそが働く僕らが目指すべき理想像であると。否、ブライト・ノアは組織で働き続けている僕らそのものであると。

ブライト・ノアの生き方は、ほぼほぼ会社員

ブライト・ノアの生き方は、ほぼほぼ会社員



誤解を恐れずにいえば、ブライトは組織で働く会社員である。彼の経歴を振り返ってみると会社員の経歴そのものといっていい。士官候補生で突然、実戦に投じられホワイトベース部隊で敵の要塞まで突撃する姿は、新卒で満足な研修もないまま現場に送り込まれて、ノルマを課せられる入社1年目そのままである。

数年のキャリアで実績を積んだことで目をつけられてティターンズからハラスメントを受ける姿は、意見のあわない上司から嫌がらせを受けたり、無理難題を押し付けられたりする入社数年経過した中堅社員である。



ブライトがティターンズからエゥーゴへ移ったのは、よりよい職場環境を求めての同業他社への転職と同じだし、アムロ、カミーユ、ジュドーといったエキセントリックな性格をしたニュータイプ部隊を率いて戦うのは、意識高めの若手の扱いに苦戦する中間管理職そのものである。そして家庭のために戦っているのに、ごくつぶしの息子ハサウェイが…。

このようにブライトの人生は、家庭を守るために組織で働く会社員そのものなのだ。そして彼は優秀な士官ではあるものの、ニュータイプのようなスペシャルな才能を持ちあわせていない。

ブライトがニュータイプより優れていた点

組織で生きて働いている僕らは、ガンダム世界の宇宙戦争を生き抜いたブライトに僕らは学ぶべきだろう。ニュータイプのような強い個性も圧倒的な能力のないブライトが、どうやって戦争を戦いぬき、前線指揮官として実績を積み上げられたのか。そこに学びがある。ブライトはニュータイプという特別な才能を活かすことに徹した。つまりニュータイプを組織に組み込み運用し、戦い抜いたのだ。ブライトは、他人の才能を認識して理解することに長けていた。



「才能×認識(理解)」=ブライト・ノア



つまり人の能力を見極め、適材適所に配置している。優れた人材、ニュータイプを最前線に配置して敵のエースパイロットに当てている。性格に難のあるアムロを「面倒くさくて使いにくい」という理由でガンダムから降ろしていたら、シャアやランバラルといった難敵を打ち破れたとは思えない。

ムカつくことをいうカミーユをフリーに扱わなければ、エゥーゴはシロッコを破れなかったかもしれない。それが出来たのはブライトが部下の才能を正確に認識していたからだろう。

人間は自分の理解の範疇をこえたものを避けてしまいがちだ。会社などでも尖がった才能を持った若手は、扱いにくい人材として疎まれることが多々ある。優秀な部下を潰して保身を図るダメな上司は多い。ブライトは違う。意味がわからない存在であるニュータイプを、わからないなりに凄さを「なんとなく」理解している。わからないものをわからないなりに凄さを理解して、避けずに評価して活用することの大切さをブライトは教えてくれている。

他人の才能を活かすことは自分を殺すことではない

ではブライトは己を殺していたのだろうか。「ブライトのように自分を殺してまで、他人に奉仕することはできない」という意見もあるだろう。だがそれは間違っている。組織の中で他者を活かすこと。それがブライトの能力であり個性なのだ。

自分を抑えていたのではなく、自分の能力と個性を正しく認識して艦長というペルソナを演じることに徹したのがブライトという人物だ。いいかえれば、ブライトは、自分の個性と能力を正確に認識して自分自身を適材適所に配置し続けた人物なのだ。


働いているうえで、自分よりも優れた人を使うときは、嫉妬を覚えてしまうことがある。優れた才能を前にすると、「自分が劣っている」と思い知らされてしまうからだ。「違い」を「差」と受け取ってしまうのだ。そういうときは、ブライトのように構えて、「あいつが才能を活かせるのはオレのおかげ」という気構えを持つようにする。そうすれば、才能の違いを役割の違いに置き換えて、ストレスを感じずに仕事をすすめられるようになるだろう。

ただ、仕事をすすめるうえで、才能や個性を正確に認識するのは難しい。ガンダムシリーズでは、才能や個性にあふれたニュータイプが自分を見失って身を亡ぼすさまが繰り返し描かれるのは、ブライトとは対照的だ。ブライトはニュータイプにはない、才能と個性を活かすという才能に恵まれていたのである。

「すまんがみんなの命をくれ」と言えるか?

意地悪な見方をすればブライトはニュータイプを最前線で使い捨てながら実績を積み重ねた人ともいえる。『逆襲のシャア』では最終決戦に臨む際に、モビルスーツパイロット部隊に「すまんがみんなの命をくれ」という発言をしている。組織で生き残るためには、ドライに同僚を道具扱いする冷酷さと「したたかさ」を持っていなければならないだろう。

ブライトという人間の生きざまは、「特別な才能がない普通の人間が特別な結果を出すためにはどうすればいいのか」という示唆にあふれている。まだまだ先行きがみえない令和の時代を生き抜くためにはブライトのように持っていない人間のタフな生き方から学ぶことは多いはずだ。大切なのは、学ぶ姿勢と準備。それさえあれば僕らも何があってもブライトのように生き残れるだろう。 「身構えている時には、死神は来ないものだ。ハサウェイ」とアムロ・レイも言っているようにね。以上。

 

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