評価と待遇はセカンドオピニオンで客観的に見つめなおそう

評価と待遇はセカンドオピニオンで客観的に見つめなおそう



どのような評価をされて、その評価に見合った待遇を受けているか…働くうえで評価と待遇はすべてではないが、多くを占めているのもまた事実である。働いているかぎり、会社員であれフリーランスであれ、そして個人の働き方によって程度により違いこそあれ、評価と待遇から僕らは逃げられない。

僕の経験でいえば、若手だった頃も、中間管理職になっても変わらない。25年間、評価を下され続けてきた。最近、やっと、上からの評価とそれに応じた待遇について、うまく付きあえるようになったと実感している。おそらく、自己評価と周囲からの自分の評価というものが、ほぼほぼ一致してきたからではないだろうか。

「過小評価されている」というムカつきが若い頃はあった

若い頃は、「俺は過小評価されている」とイライラする日々であった。新卒で入った会社の営業部は厳しい職場で、「そんなこともできないのか!」「いつまで新人気分でいる!」と叱咤激励よりは罵声に近いことを毎日ぶつけられる部署であった。

帰りの電車で尾崎豊の「僕が僕であるために」を聴きながら「入社2か月で新人気分なのは当たり前だろハゲ!」と心の中で反論しつつ、「過小評価されているなー」とムカついていた。実際には、過小評価されていたのではなかった。ほぼほぼ実力どおりの評価だった。

当時も、うすうすそのことには気付いていたが、認めてしまったら負けという謎の対抗心が実力不足自覚を「過小評価されているなー」に変えていたのだ。その根底には、自分の実力と可能性が自分でもわからないことへのイラつきがあったのだと思う。

今、振り返れば自分への評価が低いと感じていたことは、前に進むエネルギーになっていたのでよかったのだろう。変わらないことは、今も昔も評価と待遇は働く全人類にとって大きなものであるという事実である。

評価に対する不満を理由に退職した部下がいた

「あいつ、今の職場を辞めるみたいですよ」

部下が声をかけてきた。



「あいつ」とは、数年前に我が社の退職代行サービス利用第一号となって辞めていった男のことである。僕は彼のことを代行君と呼んでいた。もちろんハラスメントになるので自分の心の中だけである。

代行君の存在を忘れていたのと、予想通りの展開に感想はなかったので、「へえ。そうなの」と一言で終わらせようとしたのだけれども、部下が「もしあいつが帰ってきたいと言ってきたらどうしますか?受け入れますか?」と尋ねてきたので、代行君が辞めた当時を思い出してしまった。

代行君(仮)は僕にはっきりとこういったのだ。

「私に対する評価に不満があります」

当時、僕は彼の上司だった。彼の言葉を、なるほど、然り、と冷静に受け止めた。冷静に受け止めすぎているように見えたのだろうね。代行君は「それだけですか」と不満を隠さなかった。

僕としては適正に評価をしたつもりでいたので、それが不満なら仕方ない、退職もやむなし、と考えたまでだった。紳士的に話し合いをした。けれども、歩み寄る兆候はなく、平行線だった話し合いは、段違い平行棒のように、平和的解決に至るのは困難であった。

その過小評価は本当に過小評価ですか?

なぜなら、代行君は僕が彼を過小評価していると主張していたけれども、むしろ逆で、僕自身は彼の仕事ぶりから将来性を感じて、その時点での彼の実力に将来性を加味して評価したからだ。いってみればプチ過大評価。

こちらとして将来性を加味した評価をしているのに、それを過小評価している! と言われてしまっては、お手上げだったのだ。だから、話し合いは決裂するのは仕方のないことであり、代行君の退職は避けられなかったのだ。



彼は相当に頭に来ていたらしく、態度を硬化させて、退職手続きのいっさいを退職代行業者に任せてしまった。僕がくだした将来性を買ってのプチ過大評価より、代行君の自己評価のほうが高いものであった。僕は彼が退職代行をつかってビジネスライクにことを進めたことも評価していた。ヤメていく人間に「次の場所でも頑張って」と声をかけるなんて時間とカロリーの無駄だろう?

代行君は、ビジネスライクに転職エージェントを介して、同業他社に転職した。職種は営業であった。僕は代行君を評価していたので、同じ業界で彼を評価してくれる場所で経験をつめばいい営業マンになるだろうなあと感想を持った。そして彼のことはすっかり忘れていた。

自己評価との乖離が不満につながるけれども、その不満をどう受け入れるかが大事 

自己評価との乖離が不満につながるけれども、その不満をどう受け入れるかが大事



そして、代行君はまた転職を企てている。代行君と仲の良い部下からの情報によれば、今の職場における評価と対応に不満があって退職するとのこと。聞くところによると、代行君の待遇は、ウチの会社にいたときとほとんど変わっていなかった。

他社の内部事情は正確にわからないけれども、同じ業界で同じ職種ならだいたい想像はできる。つまり、待遇が同じなら、評価もウチにいて僕が下していたものと変わらないはずである。このことは、僕が下した評価が概ね正しかったことを証明している。

だが、彼は今の評価と待遇に不満を持っている。そして転職を企てている。僕はいろいろと言いたいところをこらえて「『七瀬ふたたび』か…」とダジャレをいったら、部下氏はダジャレ部分をスルーして「彼、ふたたびじゃないですよ」といい、僕の知らなかった代行君のここ数年の情報を教えてくれた。

部下氏の知っているかぎりでは、代行君は弊社の退職代行サービス利用者第一号になってから、これまでに2回業界内での転職をしていたのだ。「そいつは厳しいな」と思わず感想をもらしてしまった。



評価と待遇に対する不満の多くは、自己評価と他人からの評価が乖離しているから生まれる。両者が完全に一致することはほとんどない。ほぼ一致していながらも、一致していない部分を妥協して働いている。自己評価と他人からの評価の乖離、差、ズレに気付いたとき、どう動くか。それが働く人間にとって重要だ。3つのケースがある。

もっとも前向きなのは、このままではダメになるという危機感を発動させて、「①自己評価との差を努力して埋めるようにする」である。あるいは、他人からの評価を、「まあ自分はこんなものだよね」と「②受け入れる」のもある。そこに真摯さがあればいいだろう。それと「③『その評価は間違っている』と自己評価に重きを置いて行動に移す」。

評価を下した側が一方的に間違っていて、被害者だとするところが少々厄介である。もちろん、他人からの評価が間違っているのを証明するために自分の実力を信じて努力する、①の別パターンになる可能性もあるが、多くは己を評価した者にダメ出しするだけで終わってしまうものである。

自己評価にセカンドオピニオンを取り入れよう

どのようなケースであれ、転退職を繰り返して、そのたびに評価されていくことによって、病気の診察を受ける際のセカンドオピニオン、サードオピニオンのように、実力に対する評価も客観的なものになるので、普通の思考回路を持った人間ならば、どんなに当初の自己評価が高くても「あれ、世の中から自分はこういうふうな評価をされているのか。もしかしたら私の自己評価は高かったのかもしれない」と考えるようになる。そして努力して理想に追いつこうとするなり、一旦は真摯に評価を受け入れるのである。

もし、この文章を読んでいる方のなかで、ご自分への評価と待遇が気に入らないようであれば、転職や退職をして、社会的に自分がどのような位置にあるのか、確認してみてほしい。

実際に転退職しなくても、自分の評価を確認する方法は転職サイトに登録してみるなど、いくらでもあるはずである。大切なことは、自分の評価というものをある程度把握して、理想と現実との距離をはかっておくことなのだ。



さて、話は代行君に戻るが、彼の悲劇は、低く評価されていて待遇があっていないという不満を持っているけれども、僕も、おそらく彼が所属した会社の上司も、将来性を加味したプチ過大評価をしていたことである。

通常、退職のきっかけになる評価退職に対する不満は、評価されていない、評価が低いに対するものであるけれども、代行君のケースは、評価した側からみれば「実力以上にすげえ評価しているのに不満があるのか。では仕方がないよね」というものであるから、話し合いが平面の平行線に終わるだけではなく、高さという概念が加わり段違い平行棒となって、終わってしまったのである。

代行君は、ご自分への評価と待遇を不満にまた転職をするようである。自己評価と自身への評価が乖離している現実を見つめられていないので、しばらくは繰り返すのではないかと予想している。自分の実力を信じているのだろう。その頑な信心を、周囲への不満ではなく、向上心にあてられたらいいのだが。



狭い業界内で、評価や待遇にノー!を突き付けていたら、居場所がなくなってしまうのではないか、と割と真剣に僕は心配している。代行君が代行退職した際に、彼を高く評価しながらも、止めなかった理由がある。それは、代行くんが他人や他人の仕事に対しての評価が厳しすぎる、という点である。もし、その点がなければ、多少は引き止めたかもしれない。

部下氏の情報によれば、代行君の今回の転職は難航しているようである。「同じ業界で同じ職種で、顧みることなく評価待遇への不満を爆発させて、転職を繰り返していたら、そうだろうね」と意見を述べたら「違いますよ」と部下氏。

代行君はこれまで使ってきた転職エージェントや退職代行業者の仕事ぶりに満足していないようで、他のエージェントや業者と接触して、適正な評価を下すつもりでいるらしい。その姿勢をなぜ自分にあてはめられないのだろうか。僕にできることは、あえて苦難の道を選ぶ彼が自己評価を見直すときが来るよう、行先がなくなっても出戻りを企図することがないよう、祈ることだけである。



評価待遇から僕らは逃げられない。同時に僕らには自己評価がある。自分への評価と自己評価について、ときどき見直して客観的な自分の位置を知っておくことは、転退職をするかどうかに関係なく、日々働くうえで大切なことだと思う。以上。

 

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