「魔が差した」としか思えない瞬間があります。
後になってみれば、どうしてそんなことをしたのか、自分でもさっぱりわからない。気がついてみると、とんでもないことを始めてしまっている。筆者にはそんな瞬間が時折、訪れます。
あの時もそうでした。はっと我にかえったら、始めてしまっていたのです。
よりによってインターネットの勉強を!
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コンプレックスほど恐ろしいものはありません。
ふだんは意識の奥底にひっそり潜んでいるくせに、あるときにわかに立ち現れたかと思ったら、いきなりとんでもないものを突きつけてくる。インターネットの勉強だなんて……。
インターネット以前に、コンピュータにはずっと苦手意識を抱いていました。敗因はMS-DOS。筆者がコンピュータを使い始めたのは、30代後半、Windows95 が登場する4、5年前でした。
いちいちキーボードからコマンドを入力しなければならないMS-DOSは、パソコン初心者の筆者を大いに手こずらせました。
でも、一方で、当時MS-DOSを立派に使いこなしていた方々もいて、彼らは今でもMS-DOSのほうが使い勝手がいいと主張しているとか。それで、わざわざ Windows からMS-DOS画面を出してコマンドを入力しているらしい。
MS-DOSが悪いわけではなくて、要は資質、能力、センスの問題なのでしょう。
筆者を決定的に打ちのめしたのは、大学院時代のコンピュータの授業でした。
当時はまだパソコンが普及していない時代で、コンピュータ初心者の文系大学院生を対象にエクストラのコンピュータ講座が提供されていました。ちょうど Windows95 が出まわり始めた頃です。
「Windows なんて、勉強するまでもないでしょう? せっかくですから、授業では面倒なほうをやったほうがいいですよね? MS-DOSでいきましょう! プログラミングを中心に、ね?」
パソコン操作の基本が学べると思っていた筆者は焦りました(いえいえ、先生、そんなご配慮は無用です! プログラミングなんてご大層なこと、このわたしにできるとは微塵も思えません。Windows がふつうに使いこなせれば、もうそれだけで御の字ですから!)。
声に出さずに懇願したところで、そんな思いが届くわけもありません。見よう見まねでようやく Windows95 になじんできたところだったのに、MS-DOSに逆もどり? しかも、プログラミングだなんて! 理不尽…。
そして、案の定、
「あのー、すみません、なぜか動かなくて……」
「どれどれ? あ、ほら、ここ、全角になってるでしょ? だから半角でって、さっきから何度も言ってるじゃない!」
「……私、ついていくので精一杯なんです! 必死すぎて、先生が何をおっしゃってもぜーーーんぜん、耳に入ってきません!」
「えっ? それはどうも申し訳ない」
超初歩的なミスで逆ギレし、先生を謝らせてしまう始末。申し訳ないのはこちらです。
人様より何でも20年遅れでやっている筆者は、当時すでにアラフォー。アラフォーといってもパソコンを使い慣れた今のアラフォーとは全くの別モノです。
こともなげにマスターしていく若いクラスメイトたちを横目に、ついていくのがやっとの筆者がコンプレックスの塊と化すのには、ひと月もあれば十分でした。
*
それから20年――
コンピュータは目覚ましい変化を遂げ、便利なアプリが次々に開発されました。インターネットもいつしか日常生活に欠かせないインフラに。
筆者もなんとか時代の流れをキャッチアップして、日常的にコンピュータを使い、インターネットを利用してきました。
でも、あの時、魔が差したようにインターネットの勉強を始めたのは、コンピュータに対する根強いコンプレックスをなんとか解消したい、どうにも侮れないインターネットというものを体系的に捉え直してみたい――
そんな願望が意識下で働いていたからに違いありません。
いずれにせよ、始めてしまったものは仕方がない。気を取り直し気合を入れてパソコンに向かいました。
アクセスしたのは、公開オンライン講座 「gacco」。登録すれば誰でも無料で大学レベルの講義が受けられるサービスです。
面白くなってきた
科目名はそのものずばりの「インターネット」。
後でわかったことですが、約1万8,000名が受講登録し、受講者の満足度が97%という人気科目でした。その質の高さから、大学の正規授業にも取り入れられています。
オンライン講座は次のようなものでした。
4週間にわたって全40回分配信される10~15分の動画を観て、週の終わりとコースの中間時点、終了時にそれぞれ選択式のテストを受け、70%以上の得点なら修了が認められる。
筆者は毎日1、2回分を観て、週末に復習をかねて理解を深め、テストに取り組んでいました。
講師の村井純教授は、「日本のインターネットの父」と呼ばれるオーソリティ。明るく、巧みな話術で、わかりやすい。
講義内容はインターネットの構造から社会的意義、未来の展望にいたるまで多岐にわたりました。そもそもインターネットとはいかなるものか。その設計理念、技術的な仕組みとは?
インターネットはコンピュータとどう関っているか。インターネットは世界をどう変え、世界にどのように貢献しているか。デジタルデータと、産業、教育、健康、エネルギー、環境などの各分野における新しい発展との関係は?
「アフターインターネット」社会において、国や文化の多様性と尊厳をいかに築いていくべきか。
専門性の高い内容で、これでもかといわんばかりに、毎回、多数の専門用語が出現します。1回観ただけでは理解できないときは、動画を観直し、ネットで調べ、専用の掲示板で受講仲間の説明をみつけては参考にしました。
受講生の中には高度な専門性をもつ人たちもいて、ずいぶん助けられたものです。
そうこうするうちに、インターネットの奥深さ、面白さに目覚めた筆者は、次第にのめり込んでいきました。予想もしていなかった展開です。
そして、受講開始から2か月後にめでたく修了。
“The Internet”の意味
講座「インターネット」の講師を務めた村井純教授は、欧米が先導していたコンピュータサイエンスの重要性を早くから説き、1990年に慶應大学藤沢キャンパスができたとき、世界に先がけてキャンパス生活のすべてがインターネットで動くように設計、整備したことで知られています。
インターネットが一般社会に普及し始めたのは1995年頃ですから、それに先んじること5年。村井教授が「日本のインターネットの父」と呼ばれる所以です。
しかし、村井教授は、そう呼ばれることを躊躇します。それはなぜでしょうか。
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下の絵をご覧ください。これは、誰がいつ何を描いたものかおわかりでしょうか。
これは1866年(慶應2年)に出版された福沢諭吉著『西洋事情』に掲載されているものです。世界地図を取り巻いているのは電柱と電線。その上を飛脚が走っているという構図です。
「この絵はインターネットのコンセプトを表している」と村井教授は言います。
「福沢先生は150年以上前にインターネットの構想を抱いていました。先生こそパイオニアです」と。
福沢諭吉は幕府使節団の一員として1860年にアメリカを訪れ、さらに1862年からはヨーロッパに渡りました。さらに1867年にも再度、アメリカに渡っています。その時々に欧米で見聞きしたことを紹介しているのが、『西洋事情』です。
上の左図は先ほどの絵の全体図、右図は一言でいうと、「人類、皆兄弟」を表しています。つまり、「人類は皆兄弟、世界はインターネットで1つに結ばれている」というわけです。
150年以上前に示されていたこうした考え方を私たちは今どう捉えるべきでしょうか。
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ここで、 “The Internet”について考えてみましょう。
まず、“The” という定冠詞がついていること、そして、“Internet”の1字目が “I” と大文字になっていること―それは、インターネットが世界でたった1つのものであることを意味しています。
インターネットはこの世界で1つだけのサイバー空間を作っているのです。この空間では、国境の壁がなく、すべてがグローバルにつながっています。
一方、リアル空間は国や地域に分かれて、異なる政治や法律、文化、言語が存在し、それぞれの政府がそれらを統括しています。それらの間で、今も昔も衝突や軋轢、争いが絶えません。
1つのサイバー空間は、今後、多様なリアル空間を包摂しつつ、こうした課題解決に貢献できるのでしょうか。そのために、私たちは何をすべきでしょうか。
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思いがけず深い世界へと筆者をいざなってくれたインターネットの勉強。魔が差すのも、そうそう悪いものではありません。
歳がバレても構いません。「村井純君は大学の後輩です!」(大声)
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