これはハッピーなお話だ。
昨年、家庭の事情で鬱になった。なんとなく「落ち込んでるな?」と思った日から、ガタガタと階段を落ちるように悪化した。そして笑えるくらい動けなくなった。起き上がれない、水を飲めない、トイレへ行けない。
とりあえず天井を見た。天井は真っ白で、学校の保健室みたいだったから、「まあ、休めってことだな」とすべてを諦めて寝た。
嘘です。抗うつ剤は即座にもらった。最低でも効くまで数週間かかると知っていたので。
ここから、1日20時間睡眠の日がはじまる。確か、9月だった。
インターネットが命綱 鬱病慣れした人間の病床
寝込んでいる間は、インターネットが命綱だった。もともとTwitter廃人なので、オンラインでしか私を知らない人から見ると大して変わらない気もするが、現実でも私はTwitter並に騒がしく、週1回はオンライン/リアルを問わず友達と飲んだり会話したりしていた。
そのオンラインがぷっつり途切れたわけである。世界を知るすべはネットにしかなくなってしまった。1日4時間という限られた稼働時間で、Twitterトレンド、はてなブックマーク、Yahoo!ニュース、その他なんやかんやが、私と世界を繋ぐ最後の糸だった。
ツイートできる日のほうが少なかったから、それを目で追っていた。しかし、長らく新型コロナウイルスでネットはどこもかしこも鬱っぽくなっており、怒り、抗議、嘆きと、健康なときは何でもない人の発言が、ちょっと重すぎた。
うーん。困った。
1週間に1度しかお風呂に入れない現状、友達には会えない。友達の近況すらSNSにつながらないと、ネットがないと何も分からない。でもネットがしんどい。
そんなとき、ふっと思いついた。
「そういえば、mixiがあったな……」
2000年代、私の世界を埋め尽くしたmixi
今年Twitter廃人の私は、2000年代にはmixi廃人だった。人間はそこまで大きく変わらない。発信している内容も似たりよったりで、私はジェンダーについてコリコリと日記を書いていた。
さらに、当時はネトウヨだったので、今見たら「うわー!」と脚をベッドでバタバタしたくなるコミュニティにも入っていた。さらにさらに、10代だったので、今見たら「いっそ殺してくれ」と言いたくなるポエムも書いていた。
すべての恥を詰め込んだmixi。就職前にアカウントは消していた。そして、青春時代の終わりと共に、もう二度と登録することもないだろう、と思っていた。
そこに鬱でカムバックしたのだ。mixiの世界は時が止まったように静謐(せいひつ)だった。だれも何も更新していなかった。
それが、鬱にはとてつもなくよかった。
いまのmixiときたら。いっとき消えた「足あと」機能も戻ってきたし、ニュースはダイジェストで画面右に固まっているし、そのわりに配色はシンプルでゴテゴテしていないし、「あのときの大好きだったmixi」がいい感じに残っていた。
そこで私は、自分が受けたい資格のコミュニティを覗いてみた。
うーん、最新の書き込みが2012年6月21日。お、落ち着く……。とはいえ有用な情報が残っているから、ありがたく拝見した。
こういうアーカイブも、mixiがサービス終了してしまえば消えてしまうのだろう。デジタルタトゥーなんていう割に、私達の過去はネットから簡単に消えてしまう。
mixiで昔の友達を探してみても、誰も残っていない。実はmixiを経由して付き合った男性もいたのだが、そのアカウントも消えているようだった。
mixiで愛に溢れたプロフィールを目にする
mixiは実に静かだ。ログインが(3日以上)前になっている人ばかりだから、ウロウロとさまざまな人のプロフィールを見て回る。足あとで気づかれることがない。気楽だ。
何も考えず、コミュニティや名前検索で、知らない人のプロフィールを見る。
「腐女子ですwHNで登録しました\(^o^)/アスランらぶ(笑)種死語りできるマイミクさん募集してます!!」
「※警告※ このプロフにはヲタ要素が大量に含まれます! 用法・容量を守れない方には、ブラウザバックを推奨いたします」
「like* ディカプリオ・ジョニテ*香水*ミントアイス
dislike* 時間を守れないヒト*初回からタメ口のヒト*」
※私が見たプロフィールを元に作った創作です。実在する人物のプロフィールとは関係ありません。
ああっ、あっ、あーーーっ!
全部かつて、自分が書いてきたタイプのプロフィールだ!
こういう愛の強いプロフィール、最近のSNSでは文字数制限があるから書けなくなったんだった。もっと好きな作品を大量に並べたり、自分の価値観を書きなぐったりしたいのに。
それが許されるのは、今やマッチングアプリくらいか。「出会い」という目的がないと長文激アツなプロフィールも書けないなんて……。
mixiで愛にさらされて、鬱から戻ってくる
mixiのプロフィールは、反◯◯をアピールするプロフィールが少ない。文字制限がないと、人は愛をたくさん語りたくなるのか、単にインターネットの世界が平和だったのか。
「カラオケで好きな歌100曲」
「これまでハマってきたアニメ一覧」
「大好きなお洋服たち」
それぞれが、愛するものについて、熱を込めプロフィールで語っている。
「私もそういうの、好き!」
と思って、ニコニコしてしまう。
気付けば、Twitterへ投稿する元気を得ていた。
うつ病になってから流動食しか食べられないからって麻婆豆腐とインドカレーばっかり飲んでたらアホみたいに太ったんですが、うつで太るとか理不尽すぎない???
おかげで近隣店舗の美味しい麻婆豆腐とインドカレーは大体マスターしたよ。
うつ病になってから流動食しか食べられないからって麻婆豆腐とインドカレーばっかり飲んでたらアホみたいに太ったんですが、うつで太るとか理不尽すぎない???
おかげで近隣店舗の美味しい麻婆豆腐とインドカレーは大体マスターしたよ。— トイアンナ (@10anj10) 2020年11月30日
と、鬱を客観的にタラタラ語れるくらいには戻ってこられたのだ。
mixiはいま、心を取り戻す「愛のプール」
その後も、体調は良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら坂道を登っていく。やっぱりだめだ、と思ったときは何度もmixiへ戻ってきた。
そして、ハマったアニメ、彼氏のノロケ、文学作品への熱情、大好きなマイミク一覧と、愛をたくさん浴びてきた。ログインしている人は少ないけれど、まるで愛が溜まったプールのように、言葉を浴びて、私は元気を取り戻していった。
いま、Twitterを始めとするSNSが暗い話題に偏るのは仕方がない。ウイルスという、目に見えない脅威のせいでリアルのコミュニケーションを絶たれた経験を、ほとんどの人は人生で経験していないのだから。
「誰のせいだ?」と思いたくのは当然で、トゲトゲするのも自然で。もう抗うつ剤を飲んでいない私だって、鬱屈している。
外に出れば出ただけストレスが溜まる。もし感染したらどうしよう、人に感染させてしまったらどうしよう。そんなこと、2年前まで考えたこともなかった。趣味のカラオケと外食は新型コロナウイルスと相性が悪い。私は数年間、趣味をほとんど諦めるしかなさそうだ。いやいや無理無理、ありえない。
こんな状況で「今のSNSをもっと明るくしよう!」「mixiを思い出して! コミュニティで愛を語り合ったよね!」……なあんて、全く思っていない。
むしろ疲れた時には、mixiへの登録を勧めたいだけだ。そこにかつての友達はいないかもしれない。新規IDで探すことすら、難しいだろう。
しかし、「◯◯好きに100の質問」「◯◯が好きすぎる」といった、愛が溢れているコミュニケーションが残っている、静かなるデータベースがそこにはある。
かつてのコミュニティで、昔書き込んだ自分のログだって見つかるかもしれない。(ちょっと恥ずかしいと思うけれど)
さあ、懐かしいmixiのプールへ。あなたもいかがでしょう。
※この記事は専門医監修によるものではなく、あくまでも当事者目線で語っている内容になります。本人、もしくはご家族やご友人にうつ病の兆候がある場合、または患っている場合、専門医に相談するようにしてください。