向いている仕事ってなに? 「承認」のありかたから考える

向いている仕事

 

「いまの仕事って、自分に向いていると思いますか?

向いているあるいは向いていないと思うなら、その理由って何ですか?」

……これ。私が仕事をしているすべてのみなさまに聞いてみたい質問である。

 

たとえば就職活動や転職活動を始める時。早い人なら進路を決める時から。みんなどこかで「自分に向いている仕事って何だろう」と考えるんじゃないだろうか。

天職。というとちょっと大げさかもしれないが。向いている職種。合ってそうな業界。自分が得意そうな分野。みんな多かれ少なかれそんなことを考えて仕事を選んだのではないだろうか、と。

もちろん、やりたいことが先にあり、向いているかどうかなんて考えたこともない人もいるだろう。あるいは給料や残業時間などの条件が先に立って、向いているかどうかは二の次、という人も。

しかし一方で、じゃあ実際にその仕事をやっていて、向いていると思うかどうか、を私はちょっと聞いてみたい。単純に、みんなどう思っているんだろう? 気になる。

就職活動の際は、自己分析して向いている職種を見つけましょう、という言葉をしばしば見かけた気がする。でもこれ、けっこう難しい問いだと思うのだ。だって何が向いていて何が向いていないなんて、仕事をちょっとかじってみても、まだよくわからないから。

 

承認のありかた

私はといえば、会社と個人事業主、どちらもやってみて、どちらが向いているかを日々考えている。そしてその差がわりと面白いな、と思っている。

けっこう仕事をしていて、向き不向きを決めるなと私が感じるのは、承認のありかたである。

 

もっと沢山ほめられなさい そして自信をつけなさい 自信のある子だけが次へ行けるの それが一番女の子をきれいにするの 私たちはそのために仕事してるんでしょう?

出展:おかざき真理『サプリ』2巻

 

……とは、広告代理店と漫画家を兼業しながら大ヒットを飛ばした、おかざき真里先生の漫画の御言葉ですが。『サプリ』、いい漫画なのです、大好き。

仕事をしてきれいになるかはともかく、仕事をしてちゃんと承認されたと感じるかどうかって、けっこう大切な話じゃないかと私は思う。

ただでさえ大変な仕事だ。ちゃんとやったぶん、承認を感じられるかどうかは、けっこう死活問題だと思う。

……というと、「会社の人に仕事ほめられたって何とも思わんわ!」と言いたくなるかもしれないけれど。

私は、承認のかたちは、世間で語られているよりもけっこう多様だと思っている。あくまで私の考えるかたちなので、ひとつの考え方、くらいのテンションで読んでほしい。

 

誰に承認されたいか

 

誰に承認されたいか

たとえば一番わかりやすいのは、仕事をして上司あるいは先輩に褒められる。「身近な目上の人からの承認」だ。

しかしたとえば私はこれ、あんまり欲してないタイプの人間なのである。まあ、もちろん褒められればそりゃ嬉しいんだけど、でも褒められるから仕事したいとは思えないというか。褒められて仕事するか、褒められずに寝てるかを選べと言われたら、一瞬も迷わず後者をとる。だってそれ、そこまで欲してないんだもん! 

だからベンチャー企業は向いていなかったな、と今になって思う。これは持論なので違っても怒らないでほしいのだが、ベンチャーって私の中ではすごく「先輩の承認に適応できる人」が重宝される場所だと思うのだ。上司の数が少ないし、ルールもまだ整ってない。だからこそまずは身近な先輩の褒めに対応できる人が強い、という印象(あくまで印象なので、違ってても怒らないでください!)。

 

さらに、(仕事仲間ではない)身近な友達や親、つまりは身内からの承認も、そこまで、まあいいかな、って思う。あれば嬉しいが、マストではない。友達や親から「やったじゃん!」と言われると嬉しいタイプの人は、就活頑張ったほうがいいと思う。なぜなら仕事内容は知らなくても大企業に入っているだけで、なんとなく承認するのが親と友達なので。あと社会人になってから、みんな仕事内容はコンプラ違反で言えない場合は多いが、そんなときも年収があればわりと承認を得られるので、就活を頑張るのがおすすめだと私は思う。

 

じゃあ私が嬉しいタイプの承認は何か。それは「振り返ったときの自分の承認」と、「特定の他者からの承認」、あとは「不特定多数からの承認」である。

 

まず前者は、自分からの承認ですね。はい、私、けっこう「こ、今月なにもできてない……」とか「仕事でなにも結果を残していない……」とかそういうことで悲しくなる人間なんですよ。つまりは自分が自分で納得できるレベルのなにかをしてたい。プライドが高い人間なのである(めんどくせえ! と思ったみなさん、当たってますよ)。

自分で振り返ったときに「おお、いいじゃないか」と思えると嬉しい。逆に、自分からの承認がうまくいかないと、テンション下がる。だから自分の承認を得られるあたりまで頑張る。

そういう意味で、個人事業主はけっこう向いているなと思う。なぜなら成果物が目に見えやすく、自分からの承認を得やすいからだ。本を出せるととりあえず今年は頑張ったと思える。とくに誰かに褒められなくとも、過去の自分が書いたものを読み返して面白いと、嬉しい。自己承認欲求高まる瞬間である。

 

そして特定の他者からの承認。これは最初の「目上の人からの承認」と近しい話なのだが。私には、「この人に褒められると嬉しい」ひとびとが一定数存在する。それは目上の場合もあるし、友達の場合もあるが、一定数、褒められると嬉しい人が決まっているのである。だから大学院のときの先生が承認してくれると嬉しかったし、今も自分が信頼している人から本よかったよと言われると、とても承認欲求が満たされる。

こういう人は、自分が好きな業界や好きな業種にいることがとても大切なんだろうなと感じる。あと、目上の人が尊敬できないとストレスがたまることも多い気がする。なぜなら自分の信頼できる人とそうでない人、という区切りがはっきりしていることが多いので。そういう意味でも、好きな業界にいることがすごく有効そうだ。

 

最後は不特定多数承認欲求ですね。これは一番世間のいう「承認欲求」に近しいのかなと思う。承認の「量」が大切なタイプだ。

たとえば私の場合、本を出すと、人が読んでくれたら読んでくれるほど嬉しい。もちろんそれは仕事の結果として本が売れて嬉しい、みたいな感覚もあるけれど。でもやっぱり同時に、自分の仕事がたくさんの人に認知されると嬉しい、と思っているのだ、私は。読んでくれたら誰でもええんかい! と言われそうだが、まあまあ誰でもいい。とりあえずたくさん読んでもらえたらそりゃ嬉しい、といつも思う。

このタイプはSNSが出てきて欲を満たしやすくなったのではないだろうか。趣味であっても、昨日より多くの人に絵を見てもらった! とか、そういうことで嬉しくなるのは、今の時代のいいところだ。

 

書く作業は孤独な営み

 

まとめ

というわけで。

承認にも、「目上からが嬉しい」「身内からが嬉しい」「自分からが嬉しい」「(自分が認めた)特定の相手からが嬉しい」「不特定多数からが嬉しい」タイプがあるよ~そしてそれぞれに向いている職場があるのでは~という話だった。

ちなみに私は後者三個。うーん、こう言うとどれだけ自分好きなんだよ承認欲求強いんだよとツッコミを受けそうだが。まあ、はい、自分好きじゃないとこんな文章なんて書いてないです……。書く作業、孤独な営みなのでね……。

 

もちろん、承認される仕事ばかりじゃないし、どんな仕事にも承認を受けられない瞬間は山ほどある。でも、私は仕事してお金をもらう以上、「お金を稼ぐことで身内に喜んでもらえる」とか「お金を稼ぐことで自分をいいと思える」とか、どちらでもいいけれど、どんなかたちでもいいから、みんなに承認の瞬間があるといいなと思う。だって社会とつながるって、つまりは承認をやりとりすることだと思うから。

そしてお金稼ぎじゃなくとも、たとえば介護や家事であっても、なにかしらの承認(それが自分からであっても!)が満たせる社会であるといいなと私は思っている。ちゃんと、自分が社会とつながっている、他者とつながっていることを実感できる社会になってくれたらいい。なかなか難しいのだろうけれど。

承認欲求というと悪いものだと思われがちだが、私はそんなことはないと思う。なにかを頑張って、それを誰かに喜んでもらいたい、認めてもらいたいという欲求の何が悪いのだろうか。その認めてもらいたい相手が、誰であるかは人によるだろうけど。ちゃんと認めてもらうこと、あるいは自分で認めることは、存在を無視されていないということだ(ていうか承認欲求を否定する人のほうがよっぽど承認されたがっているよ!)。

 

冒頭でも言ったが、とくに何かを参照しているわけでもないし私の一意見なので、「ちがうよー!」「そもそも承認欲求っていうのは」など、つっこみどころもたくさんあるかもしれない。それはぜひ、私に直接言ってきてもらえたら嬉しいです……。出直してきます。

 

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三宅香帆さんの前回の記事はこちら

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