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相手に敬意を払い、自分の言葉に責任を持っていれば、そうそう嫌われることはない

相手に敬意を払い、自分の言葉に責任を持っていれば、そうそう嫌われることはない

Twitterを始めた頃、あの震災が起こった

よく「リアルでは人見知りだけどTwitterでは人と絡める」といった話を見聞きする。

私はと言えばTwitter上でも人見知りで、はじめましての相手に自分からリプライすることがなかなかできない。たとえ相互フォローであっても、だ。

これでもマシになったほうで、昔はもっとTwitterでのコミュニケーションに怯んでいた。今のアカウントではない、もうとっくに削除したアカウントでのことだ。

Twitterを始めた頃、あの震災が起こった

私がTwitterを始めたのは2011年の初め。なぜ覚えているかと言えば、Twitterアカウントを作って少し経ったとき、東日本大震災が起きたからだ。

当時の私はニート4ヶ月目だった。そろそろ生き方を変えようと、働いていた山小屋を辞めて実家に帰ったものの、就活が怖くて踏み出せずにいたのだ。母が留守のとき高齢の祖母をひとりにできないという事情もあり、札幌の実家で暮らしていた。

あの日、母と祖母と居間で『相棒』の再放送を見ていると地震がきた(札幌は震度3)。テレビ画面がニュースに切り替わり、揺れがおさまってもアナウンサーは緊迫した表情を変えない。だんだん「あれ、いつもの地震と違うな」と思い始める。

もしかして、すごく大きな地震なんじゃ……。

地震発生直後、ニュースはまだ被災地の様子を映しておらず、札幌にいる私たちは事態をただしく把握できなかった。

翌日には関東にいる恋人や友人たちの安否が確認されたが、もともとメンタルが弱い私は不安でたまらない。じっとしていると気がおかしくなりそうだ。

少しでも多くの情報を得たくてTwitterを見るが、そこにも錯乱した人が大勢いた。好きな雑誌の編集部アカウントが「メルトダウンです! もうダメだ」などとツイートしていて泣きたくなる。震災から数日後には友人が自ら命を絶ち、私はますます情緒不安定になった。

けれど、私は被災したわけじゃない。「私よりつらい人がたくさんいるんだから」論で自分のつらさに蓋をしていた。

Twitter上の言葉遊びに参加。だけど……

そんなとき、作家の長嶋有さんがTwitterで「それはなんでしょう(以下それなん)」という言葉遊びを開催すると知った。不安を紛らすためみんなで遊ぼう、と。私は長嶋さんのファンだ。

「それなん」は、出題者が質問文の後半部分だけをツイートし、ほかの人たちは質問の全容がわからないまま回答する遊び。

たとえば出題が「どうしますか?」なら、「海へ行きます」「プロポーズします」といった具合。回答には〆切が設けられ、その時刻までにツイートする。回答は誰でも自由にでき、事前の参加表明は不要だ。

そして〆切後、質問の全文発表。「どうしますか?」の全文が「頼んだカレーが辛すぎたとき、あなたはどうしますか?」だったりするのだ。

そのあとは回答を鑑賞し、感想を言ったり解釈したりする。ほとんどの回答は辻褄が合わないし、逆に「妙に辻褄が合ってしまった」回答もあって面白い。正解や勝敗がない遊びだ。

「それなん」

当時「それなん」は頻繁に開催され、私もよく参加した。気を紛らすためという大義名分はあったが、単純に、時間と寂しさを埋めたかったのだ。

「それなん」には常連さんがいた。常連さんたちは本をたくさん読んでいて映画も観ていて、思慮深く、思考を言葉にするのが上手だ。皆さん、自分の好きなものをしっかり持っている。常連さんたちは互いにフォローし合い、「それなん」以外でもTwitterで雑談していた。

私は常連ではなかったが、「それなん」界隈の人を片っ端からフォローした。フォローバックしてくれる人もいたし、片道フォローのままの人もいた。

相互フォローになっても、私は自分からリプライできなかった。会ったことがない人とネットで交流するのは初めてで、勝手がわからないし勇気が出ない。

リプライを何度も推敲したり、書いたものの送信ボタンを押せずに削除したり。そんなことが一度や二度ではなかった。話しかけようとするたび、「私なんかが話しかけたら迷惑かも……」と弱気になるのだ。

その理由は、自分に自信がなかったから。

正社員になったことのない自分。やりたいことも好きなこともなく、面白みのない自分。自立していて、忙しい日々の中にもちゃんと喜びを見出している常連の皆さんとはまるきり違う。

私は常連さんたちに憧れ、同時に劣等感を抱いていた。

自分からはリプライできなかったが、まれに常連さんからリプライしてもらえることがあった。一度やり取りした人には、自分からリプライできるようになる。

私は「それなん」で知り合った人たちと雑談を交わした。小説や漫画の話が多く、お互い心の深いところに踏み込むことはない。踏み込まないよう注意を払っていたし、線を引いている感じは相手にも伝わっただろう。

このとき交流した皆さんのアカウント名とアイコンは今でも思い出せる。中でも印象に残っているのは少佐だ。アカウント名は違うが、アイコンが『機動戦士ガンダム』のシャア少佐(詳しく言うと、シャア少佐のコスプレをした外国人男性)なのでそう呼ばれていた。

少佐は礼儀ただしく優しい人柄で、「それなん」仲間から人気があった。目立たない私にもたまにリプライをくれて、それがとても嬉しい。

ちなみに、2013年に刊行された長嶋有さんの長編小説『問いのない答え』は「それなん」がモチーフになっていて、少佐も登場する。複数の登場人物の視点がパタパタ切り替わる特殊な小説だが、中でも少佐視点のシーンはとてもいい。他の参加者とあまり交流しない女性が、ひそかに少佐のツイートに救われる描写があり、まるで私みたいだと思った。

「それなん」から離れた理由

震災から数ヶ月が経ち、「それなん」の開催頻度は減った。

しかし、常連さんたちの絆はどんどん深まっているように見える。しょっちゅうTwitterで雑談しているし、リアルでも遊んでいるらしい。「それなん」以外の遊びも派生した。

その輪に入っていない私は、疎外感を覚えるようになった。

誤解のないよう言うが、決して仲間はずれにされたわけではない。皆さん大人で、誰かを疎外するような態度は見られなかった。

ただ、私が距離を縮めようとしなかったのだ。私の癖なのだが、傷つくのが怖いから先回りして距離を置いてしまう。なのに勝手に寂しさを感じていじけるなんて、我ながら面倒くさい。

私は少しずつ「それなん」界隈から離れた。理由は距離感だけではなく、精神が安定してきて気を紛らす必要がなくなったことや、働きはじめて忙しくなったこともある。

震災から2年

震災から2年が経った。

私は結婚し、夫が当時住んでいた栃木県に移住した。Twitterで報告すると、「それなん」で出会った人たちがたくさんお祝いの言葉をくれた。

ふだんやり取りしてない私にも、祝福の言葉をくれるんだ……!

会ったことのない皆さんからの言葉が、リアルの友人たちからの言葉と同じくらい嬉しい。そう感じることが自分でも意外だ。その翌日には「それなん」メンバー同士が入籍し、私もお祝いの言葉を送った。

その年の秋、夫と伊勢神宮に行った。初めて来た三重県を歩きながら、私は少佐を思い出していた。少佐は三重県出身なのだ。

ここが少佐の育った街かぁ。

しみじみそう思うことが可笑しい。会ったこともない少佐の出身地に、なんの感慨があると言うんだ。

現在の私、私の答え

2018年、私は吉玉サキとして文章を書くようになった。吉玉名義の新しいTwitterアカウントを作り、前のアカウントは削除した。

相変わらず人見知りではあるものの、「それなん」の頃に比べたらTwitterでのコミュニケーションに緊張しなくなった。ネットに慣れたこともあるし、昔に比べて「人からどう思われるか」を気にしなくなったこともある。

そのうち、Twitterで出会った人たちと頻繁にやり取りしたり、リアルで遊んだりするようになった。昔は「それなん」の人たちがこうして仲良くしてるのを遠巻きに眺めて羨ましがってたっけ。

今回このエッセイを書くにあたり、「それなん」の常連をひとりくらいはちゃんと描写したいと思った。

ここはやはり少佐だろう。アカウント名を出すわけじゃないけれど、念のため書いていいか許可を取りたい。少佐とは、やり取りしたことはないもののインスタも相互フォローなので、そっちからDMしてみた。

「突然すみません。以前、Twitterでやり取りさせていただいた者です。当時のアカウント名は○○でした。実は今ライターをしておりまして……」

そんなDMを送る。

少佐が私のことを覚えている確証はない。けれど、まったく躊躇うことなくスッと送信できた。昔の私は、リプライを送るだけでとても勇気がいったのに。

そして、気づいた。今の私は「私なんかが話しかけたら迷惑かも……」と思っていないのだ。

人見知りではあるけれど、それは単に話しかけるのが苦手なだけで、昔のように自分を卑下してはいない。年齢を重ねて図太くなったのか、それとも少しは自分に自信を持てるようになったのか。

少佐からの返信はうんと短く、あっさり快諾してくれた。私のことを覚えているのかどうかは、わからないままだ。まぁいいや。

「なんて言いますか?」

「なんて言いますか?」

その質問に、私は「『あまり考えすぎず、もっと肩の力を抜いて話しかけてごらん』と言います」と回答しよう。

質問全文はもちろん、「Twitterで自分からリプライできない人に、あなたはなんて言いますか?」だ。

あまり考えすぎず、もっと肩の力を抜いて話しかけてごらん。相手に敬意を払い、自分の言葉に責任を持っていれば、そうそう嫌われることはないから。あなたが心配するほど、あなたは迷惑なんかじゃないから。

誰かに問われたわけでもないのに、私は答える。この文章は私の答えだ。

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執筆

吉玉サキ

エッセイも取材記事も書くライター。 北アルプスの山小屋で10年間働いていた。著書に『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』『方向音痴って、なおるんですか?(交通新聞社)』がある。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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