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黒歴史の個人ホームページも無駄ではなかったと気づいた 吉玉サキ

私はフリーのライターで、主にwebメディアで記事を書いている。夫とふたり、郊外の団地で地味な暮らしを営む30代後半だ。

今回、さくマガさんから「インターネットの思い出について書いてください」と依頼され、ほとほと困ってしまった。思い出と呼べるものがあまりないのだ。というのも、私は2018年にwebライターになるまでインターネットに疎く、おもしろフラッシュも2ちゃんねるも魔法のiらんども通ってきていない。「懐かしのインターネット」の引き出しがまったくない。

 

なにか思い出せないかと、同世代の友人に「インターネットの思い出ってある?」とLINEしてみた。

すると、「自分はネットと言えば2chでしたね。テキストサイト見てなかったし、流行ってたmixiもやってなかったし」とのこと。

「そうなんだ。私はmixiやってたよ。自分のホームページも持ってた」
「ホームページ、どんなこと書いてたんですか?」

 

その質問を見たとたん、もうずっと思い出すことのなかった個人ホームページ(ホムペ)の記憶が一気によみがえってきた。顔がカッと熱くなり、心臓がバクバクする。

私はできるだけ何気ないふうを装って「課題で書いた小説とか」と返信した。嘘ではない。たしかにあのホームページには、学校の課題で書いた掌編小説を掲載していた。

しかし、それだけではない。

小説以上に自作の詩を載せていたし、メインコンテンツは毎日更新の赤裸々な日記。「黒歴史」と呼ぶにはインパクトが弱いかもしれないが、充分にこっぱずかしい思い出だ。

自分のホームページを作る

2000年代前半、私は専門学校で文芸創作を学んでいて、小説やシナリオ、詩を書いていた。

二年生の頃だったろうか、私は自分のホームページが欲しくなった。書いたものがある程度溜まったら製本していたのだが、インターネットでも公開したい。今ならnoteやブログで簡単にできるが、当時はホームページが一般的だった。

 

ホームページを通じて「作品を多くの人に読まれたい」「有名になりたい」などの野望はなかった。今はネットで話題になった作品が書籍化したり、ネット上の創作活動が仕事につながることはめずらしくない。しかし、当時はまだ「ネット発」が一般的ではなく、ネットが自己実現の足がかりになるとは考えもしなかった。

私がホームページを欲する理由は、単純に面白そうなのと、学校の友達に作品を読んでほしいからだ。

 

当時の私はインターネットで知らない人と交流した経験がなく、mixiのマイミクもリアル友達限定。ネットで不特定多数に文章を晒すのは怖かった。だけど一般人のホームページなんてたいして読まれないだろう。

 

自分のホームページを作ることにした

 

私は、自分のホームページを作ることにした。

さっそく作り方を検索し、ホームページビルダーを購入。けれど、操作がさっぱりわからない。パソコン音痴には無謀だったようだ。

mixiで助けを求めると、ある友人が協力を申し出てくれた。クラブで知り合った、理系でゲイの男の子だ。ノートパソコンとホームページビルダーを携え、友人の家に泊まり込む。彼は爆音で浜崎あゆみを流しながら、私の要望どおりのホームページを作ってくれた。

ちなみに、作業を終えた友人は私に毛布を貸してくれ、自分はベッドにもぐりこんだ。あ、やっぱり客用布団とかないよね……。床に寝転がると、「ちょっと、メイクくらい落としなさいよ!」と叱られた。

ともあれ、友人が作ってくれたホームページは最高に可愛かった。

テーマはガールズポップ。人形やジェリービーンズのフリー素材を多用し、カラフルでキュートなサイトにした。トップ画面にはクマの人形が2体並び、マウスポインタを合わせるとキスをする。

元気いっぱいで派手で、ちょっとへんてこりん。そんな女の子像をイメージしたデザインだ。

 

テーマはガールズポップ

 

なぜその路線にしたかと言えば、「ポップで可愛いデザイン×シニカルな文章」のかけ合わせがもの珍しくてウケるのでは……という自分なりのブランディングだった。今思えばなにも珍しくない。そんなホームページは掃いて捨てるほどあっただろう。

けれど、当時の私は可愛いホームページを手に入れてご満悦だった。

楽しくて毎日更新! だけど……

ホームページにはごく短い小説や詩を掲載した。

当時の詩のデータが残っていたのでこわごわ見てみたら、本当に、悪い意味で若かった。恥をしのんで一部を載せてみる。

銀河の一部をくりぬいて 鎖骨の間のくぼみに埋めた
女性の魅力を凝縮して放つ場所なんですよと 旅人(商人でもある)は指先でつついて、言った
「はは、一部ですよ あくまで一部でしかない 銀河のすべてを凝縮したとでも思いました?」
(「旅人」より抜粋)

 

十四歳のとき、ひとりぼっちになった。
ひとりぼっちになる前はひとりぼっちではなかったのかというとそんなこともなく
生まれてこのかたずっとひとりぼっちなのだった。
ぱしゃん
とそれに気がついてまわりを見渡すと
まわりには実に大勢の人間がいて
大勢の人間たちはみなそれぞれにひとりぼっちなのだった。
(「榮松堂相鉄ジョイナス店」より抜粋)

……こういうのがかっこいいと思ってたんだろうな。これを現代詩の授業で提出し、全員の前で発表してたんだからすごい。

 

詩や小説を毎日書くのは難しい

さておき、詩や小説を毎日は書けない。代わりに日記を書いた。日常の出来事や思ったことをエッセイ調の文体で書き留める。それが楽しくて、来る日も来る日も夢中になって書いた。気づけば一年以上も、毎日日記を書いていた。

しかし、ホームページを訪れる人数は1日7人くらい。BBSにもめったに書き込み(カキコ)がない。友人たちはみんなmixiに夢中で、ホームページを見てくれないのだ。「たくさん読まれなくてもいい」と思って始めたが、あまりにも読まれないと手応えがない。

 

唯一の手応えは小説ゼミの先輩だった。一度も会話したことがない人だが、なぜか私の日記を読んでいるらしく、頻繁に感想をメールしてきた(私はゼミの連絡係で全員とメールアドレスを交換していた)。独特な人で、誰とも喋らず目を合わせず、ゼミで発言するときもうっすら笑いながらボソボソ攻撃的なことを言う。

先輩には申し訳ないけれど、彼が唯一の熱心な読者である状況を「なんだかなぁ……」と思うようになった。

 

唯一の手応えは小説ゼミの先輩だった

 

一方、mixiの盛り上がりはすごかった。ホームページと同じようなことを書いてもmixiならたくさんコメントがつく。

それに、mixiには「足あと」がある。自分のページを訪れた人がわかる機能だ。恋をしていた私は、毎日のように足あとを確認した。足あと一覧に好きな人の名前を見つけるたび、嬉しさがく~っと込み上げて顔がニヤける。

片思い中の彼が読んでくれるmixiと、謎の先輩からしか反応がないホームページ。そんなの天秤にかけるまでもない。mixiのほうがいいに決まっている。

 

自分の中でmixiの比重が大きくなるにつれて、「もうホームページいらなくない?」と思うようになった。ええい、もうホームページごと削除してしまおう! でも、一年以上も毎日書いた日記が消えるのはもったいないな……。

その逡巡(しゅんじゅん)をホームページに書くと、例の先輩が日記データの保存作業を申し出てくれた(ありがとうございます……!)。

こうして、私の最初で最後の個人ホームページは幕を閉じた。

あのホームページと現在の意外な接点

それから10年以上が経った2018年。私はnoteを毎日更新していたらwebメディアから声がかかり、エッセイを書くことになった。それがきっかけでライターになり、今に至る。

最初に声をかけてくれた編集者さんは、「吉玉さんの強みは毎日書ける馬力です!」と言った。一瞬だけ「あ、感性とか文章力じゃないんだ」と思ったが、そりゃそうだ。私は特別に文章がうまいわけじゃない。編集さんが言うとおり、私の強みは毎日更新ができることだ。

 

私には「毎日更新癖」がある。noteを始める前にも、ブログを毎日更新していた。

その原点は、二十歳のときに作ったあのホームページだ。あのとき毎日書く習慣が身についたから、今の私がいる。あのこっぱずかしいホームページも、けっして無駄ではなかったのだ。

とは言え、やっぱり「ガールズポップ」とか言ってた記憶はできるだけ封印したい。

 

 

執筆

吉玉サキ

エッセイも取材記事も書くライター。 北アルプスの山小屋で10年間働いていた。著書に『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』『方向音痴って、なおるんですか?(交通新聞社)』がある。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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