1999年、5月1日。そのウェブサイトは生まれました。
「境界例と自己愛の障害からの回復」と名づけられた、ほとんど文字だけのウェブサイト。ブログや、SNSの登場よりはるか前に、そのサイトは生まれ、この原稿を書いている2021年1月までに383万回アクセスされました。
トップページには、衝撃的な言葉が引用されています。
「両親の目の前で死ぬんだと言い、窓から飛び降りようとした。母は頭をたたいて「いいかげんにしなさい」とB子を抱きしめた。
しかし、引っかく、噛む、蹴るなどの暴力行為は両親から治療者にまでおよび、「なんで生きなきゃならないのか教えろ」と大声で怒鳴り続け、言語レベルではどうにもならないため、仕方なく Haloperidol 10mg を静注し、鎮静させた」
―『境界例の精神療法』 金剛出版 福島章編より
(引用:境界例と自己愛の障害からの回復)
メンヘラ・ブームと、治療現場との乖離
1999年は、「メンヘラ・ブーム」と言えるくらい、病むことがトレンドになった時期でした。1年前に浜崎あゆみ、椎名林檎、宇多田ヒカルがデビュー。街中はメインストリームからサブカルまで、ちょっと病んだ言葉で溢れていました。
大手掲示板「2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)」で使われ始めたメンタル・ヘルスを略した言葉……メンヘルから派生して生まれた、メンタルを病んだ人の総称 “メンヘラ” は、2010年代までに一般用語として成長していきます。
しかし、一般的にメンタルを病むといっても、統合失調症からうつ病まで、症状も経緯もさまざまです。その中でも突出して「メンヘラらしい振る舞い」として認識されていたのは、冒頭の事例に出てきた、境界性パーソナリティ障害でしょう。
境界性パーソナリティ障害の人は、見捨てられる不安を強く抱き、捨てられないために死に物狂いの努力をします。向こう見ずなセックス、薬物乱用、自殺未遂、浪費やリストカットをはじめとする自傷行為。
今日は大好きと抱きついてきた彼女が、明日は自分を敵視して殴りかかってくる。その不安定さが目立つことからも、メンヘラ的振る舞い=境界性パーソナリティ障害として、ライトノベルからネットの掲示板まで、広く登場しました。
一方、境界性パーソナリティ障害の治療には精神療法(心理療法)が必要とされており、なかなか対応できる医師がいない状況です。医師もコロコロ変わる患者に振り回されるのに疲れ果て、「パーソナリティ障害は診ません」とお断りされる事例も少なくありません。
本人も死にたいほど苦しいのに、誰も助けてくれない。心の中の世界だけでなく、現実の医療からも見捨てられたように感じられる存在――。そんな境界性パーソナリティ障害の患者の中で、有名なサイトがありました。
「このサイトを読めば、自分の力で回復を目指せる」
それが、「境界例と自己愛の障害からの回復」でした。
珍しい境界性パーソナリティ障害の当事者向けサイト
このサイトが際立っていた特徴は、「境界性パーソナリティ障害の当事者が回復を目指す」サイトだったことです。
当時、境界性パーソナリティ障害(≒メンヘラ)の周辺で困っている人が、当事者を悪しざまに言う掲示板は多数ありました。
また、当事者同士が集まって「死にたい」と書き込んだり、リストカット画像を投稿したりする、「病みを助長する」サイトも多数見られました。しかし、肝心な論文などを参考にしつつ、自分の力で回復を目指すサイトは全く無かったのです。
しかし、このサイトは違います。まず、境界例(境界性パーソナリティ障害の旧称)は何か、からしっかり定義します。各ページはときに本を引用しつつも、しかし簡単な言葉で書いてあります。
「母親によっては、赤ん坊が自分から離れて行くことに対して、まるで自分が置き去りにされたかのような淋しさを感じる人がいます。このような母親の場合、赤ん坊の方からはどう見えるでしょうか。もしかしたら母親から遠ざかることは悪いことなのだろうか、と思うようになります。親を悲しませた自分は、もしかしたら捨てられてしまうかもしれないという不安にとらわれます」
こんな風に、明快に自分の成り立ちが書かれてしまうと、当事者は「これは私だ」と、胸を打たれずにはいられないものです。
私は、境界性パーソナリティ障害の親類ともいえる、自己愛性パーソナリティ障害の当事者でした。そしてこのサイトに出会ったことで、自分が異常であること、治療が必要であること、そして何よりも大切なこととして、治療可能なことに気づけたのです。
インターネットが、医療にたどり着けないメンヘラのよすが
単に、境界性パーソナリティ障害の紹介をしているだけのサイトではなく、このページでは「回復へのステップ」が記されています。私は精神科で治療中、さまざまな文献をむさぼるように読みましたが、ついぞこのサイト以上にわかりやすく、豊富で正確なデータを見たことがありません。書かれた方は医療従事者か研究者ではないかと勘繰るレベルです。
http://eggs.g.dgdg.jp/toikake.html
こちらは、回復の最初のステップを記したページです。この語りかけを読んだとき、私は画面の前で泣いていました。自分が、ずっとほしかった言葉が、すべてここに詰まっていたからです。私は親から見捨てられた、愛されてこなかったと感じていました。そして親を恨み、親への復讐を糧に生きてきました。
しかし、そうする必要はなかったのです。なぜなら、自分で自分を捨てなくても、良かったのだから。慰みだけではなく、サイトには詳細にわたって自分の過去を振り返り、悲しみ・怒りなどの感情を乗り越えていくステップや、いい病院の選び方、大量の参考文献が掲載されています。
先ほど述べたとおり、パーソナリティ障害は治療を受け容れてくれる病院が限られます。ましてや20年前、地方に住んでいて精神科医療へのアクセスが絶望的だった私にとって、これが唯一の道しるべでした。
Amazonもない、Netflixで精神科系のドキュメンタリーも見られない。文字しか追えないネット回線で、このサイトが「いつか私は治る」という希望を繋いでくれたのです。
境界性パーソナリティ障害への回復を目指す中、途切れた更新、そして
しかし……残念ながら、回復までの道しるべを示したこのサイトは、途中で更新が止まりました。むりもありません、書籍何冊分もの、詳しい解説が載っていたのですから。もし完成していたら、おそらく日本最大級の境界性パーソナリティ障害に関する資料となっていたでしょう。
ただ、運よく、もしくは運営者の意思によって、このサイトは今も生き残っています。当時のサイトがいくつ残っているかを考えると、驚異的なことです。当時のデータにもとづいた開設は、今となっては古い情報もあるかもしれません。スマホで見ると閲覧に耐えないレイアウトでもあります。しかし「境界例と自己愛の障害からの回復」は、今でも訪問者が絶えない伝説のサイトでもあるのです。
ただ、前提として自分で取り組めるのは、自分で自分に向き合える程度に軽症のひとに限られます。自分を心理的に分析すれば、体力は削れ、心はボロボロになります。外科手術を自分でするようなものです。「これさえ読めば治る」という処方箋ではないことは、ご容赦いただく必要があります。
それでも……。もし今、医療にアクセスできない環境で苦しむ、境界性パーソナリティ障害や、自己愛性パーソナリティ障害の方がいたら。SNSでさまよったり、「#リスカ」で同志を探したりするだけでなく「本当に回復したい」と願うなら。
このサイトは情報の海の中、いまも灯台として患者を照らし続けています。