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日本サッカー協会(JFA)広報部スタッフに聞く コロナ禍での海外遠征

日本代表は2020年10月にオランダ、11月にオーストリアでそれぞれ2試合を開催した。このヨーロッパ遠征は新型コロナウイルスの影響が明らかになって以降、日本の団体スポーツ代表チームが初めて海外遠征するという先例になった。

様々な制限がある中で、どうやって試合はおこなわれたのか。今後のためにも、そして他のスポーツのためにも書きとどめておく必要はあるだろう。そのため日本サッカー協会広報部スタッフにインタビューに応じてもらった。 

 

日本サッカー協会(JFA)広報部スタッフに聞く コロナ禍での海外遠征

(写真提供:日本サッカー協会)

日本サッカー協会スタッフに聞く 海外遠征のリアル

——遠征に関わったスタッフは1カ月の間に何度、新型コロナウイルス感染の検査を受けたのですか。

「日本代表チームに携わった人間に加え、実際のスタジアムで運営業務に当たった職員、スタッフは、まずヨーロッパに行く前に陰性であることを確認しました。それから、それぞれの試合の2日前にPCR検査をおこないます。2試合でしたから2回ですね。帰ってきて成田で入国する前に検査があるので1回、2週間の待機期間を終えたところでもう1回検査をするので、都合5回は検査をしたスタッフが多いと思います」

 

——10月、11月はこれまでと様々な部分が違っていたと思います。食事のときの様子も大きく変わったのではないでしょうか。 

「食事の仕方は変わりましたね。普段であれば練習以外でコミュニケーションが一番取れるのは食事中です。そのため食事の場でコミュニケーションが円滑に進むように、たとえば8人ぐらいが囲んでコミュニケーションを取ってもらえるように丸テーブルをいくつか設置しています。

 

ですがこういう状況ですから、飛沫が飛び交うような状況をこちらから作るというのはあり得ないことです。そこでスクール形式というか、全員が同じ方向を向いて食事をする、なおかつそれぞれの食べる場所の間隔を空けて座るという形を取り、感染リスクを最小にしました。

 

またビュッフェスタイルで食事を用意しましたので、選手それぞれのテーブルに消毒液を置いて、ビュッフェに行く前後で消毒してから食事をしてもらいました。食事が終わったらマスクを付けるというのが今回の食事のスタイルでしたね。食事が終わったら全員がずっと部屋で過ごしました」

 

検温は欠かさずおこなっていた

(写真提供:日本サッカー協会)

マスク会食について

——みんなストレスはどう感じてたのでしょうか。 

「こうやることは仕方がないし、そうしなければ前に進まないのだったらそうするだけです。今は『マスク会食』というのが奨励されていますが、最初はなかなか話がしにくいと思うにしても、慣れたらルーティンになっていくでしょう。スタートではみんな驚くかもしれませんが、始まってしまえばみんな慣れます。

 

日本代表選手はそういう適応の早さも含めて、しっかり出来ます。彼らはいろいろな国に行って、様々な状況の中で試合をおこなっていて、常々注意を払っている選手たちですから、やることの必要性が理解出来たらすぐにやってくれます」 

日本サッカー協会広報部としての活動

——広報部として、メディアを通じ、どう活動を伝えていこうとしていたかを教えてください。 

「今回はオンラインでのリモート取材になり、そのため現場の作業は大きく変わりました。これまでであれば、現場の広報担当が様々な設定をします。メディアの方が練習を見る場所、選手の話を聞いてもらうミックスゾーンのエリア、選手とメディアの方の導線、非公開練習時に待機してもらう場所の設定などです。

また、非公開時は何か起きないかというチェックに回っています。これを基本的には全て現場の広報担当がおこないますので、結構バタバタしています。

 

練習風景(写真提供:日本サッカー協会)

(写真提供:日本サッカー協会)

 

ですが今回は、まず練習とメディア対応が切り離され、しかもメディア対応のパートも、運用は日本からリモートという形で広報部のスタッフがサポートしてくれた(日本にいるスタッフが会見の司会進行を務めた)ので、現場での仕事は『この日はどの選手をミックスゾーンに出すか』という割り振りと調整、実際のメディア対応のときに選手を呼ぶことなどでした。

 

あとの大部分は日本からサポートしてもらうことになりましたので、そういう意味では日本にいる広報部スタッフの力がなくては、今回のメディア対応はなしえなかったと感じてます」 

オンラインの取材対応 

——今回は選手の話を聞くオンラインのミックスゾーンが、日本時間の夕方に1日4人、1人15分というルールでおこなわれていました。しっかり話を聞く時間が作られていてよかったと思いますが、こう設定された理由を教えてください。 

「通常は練習後にもう少し多くの選手にミックスゾーンで取材対応してもらいます。ですがその一方で、練習終了後から夕食前の時間は30分程度しか取れないという問題もあります。

 

今回はメディアの方がほとんど現場にいないため、選手と対面しない、練習もほぼご覧になれないということで、練習後にミックスゾーンを設定する必要があまりありませんでした。

またヨーロッパの時間帯で練習後にミックスゾーン対応をおこなうと、リモートで取材していただくにしても日本の深夜0時をまたぐことになるので、それはメディアのみなさんにとっても非常に大変だということも考えました。

 

そこで朝食後から昼食までの時間、日本の夕方にミックスゾーンの時間を設定しました。チームはだいたい昼食の前にミーティングをおこないますから、その前は選手がそれぞれ自分たちのやり方でリラックスしています。なので、その時間にミックスゾーンを設定して対応させていただきました。

 

10月の遠征のあとにメディアの方から何かリアクション、たとえば1人10分間でいいから5人や6人にしてほしいというリクエストがあるかもしれないと思い、準備はしていたのですが、概ね『10月を踏襲し、同じ流れがいいのではないか』という意見が多かったので、11月もそのままやらせていただいています」

「チーム総務」が身を粉にしてやってくれた

——毎日の選手の割り当ても、選手が到着出来ずに変更になったりしていました。そういう対応も大変だったのではないでしょうか。 

「チームのマネジメントというところで言えば、Jクラブで『マネージャー』と呼ばれるような役が代表にも『チーム総務』としているのですが、そのスタッフたちが本当に身を粉にしてやってくれたのが大きかったですね。ホテルの選定、選手のロジスティックというのは本当に大変だったと思います。

 

10月のオランダは、選手がドイツやベルギーから車で移動出来ました。数時間かかる選手はいたのですが、そこまで突発的なアクシデントはなかったですね。ただ、11月のオーストリアのときは空路で移動してくる選手が多数いました。

10月下旬以降はヨーロッパで新型コロナウイルス感染が拡大し、各国、各都市がその対策をどんどん強化している時期と重なりました。そのため、通常飛んでいる便が2日に1本になったり、2日前まで飛んでいた便が欠航したりということがかなりの頻度で起こりました。

 

チーム総務と代表チームのロジスティック担当者は昼夜逆転していたと思います。毎日毎晩運行情報を見ておかないと、次の手、さらに次の手というのが打てなくなるので、ギリギリ最後まで対応作業をしていました。

広報に関して言えば、通常であれば海外選手の到着便などをメディアの方々にアナウンスしているのですが、今回はロジスティックに合わせてミックスゾーンに出る選手を組むという作業だったので、日々変わっていく到着情報を見ながら考えていました」 

予定がずれこむ状況での対応 

——そういう事情でミックスゾーンに現れる選手が予定と変わったりしたのですね。 

「オーストリアのときは、初日に来る選手の予定がどんどんずれ込んでいって、結果的に川島永嗣と浅野拓磨しかメディア対応が出来なかったということがありました。

 

川島永嗣と浅野拓磨しかメディア対応が出来なかった

(写真提供:日本サッカー協会)

浅野拓磨選手

(写真提供:日本サッカー協会)

 

そういうことも含めて、日々、いつ誰が来るのだろうかというのをチェックしながら、いつどのタイミングでメディアの方にご案内しようかと考えていました。お知らせしたことについて変更が相次いでもいけませんから。

 

また、メディアの方とはメールでのやり取りになったのも通常とは違いましたね。いつものように直接顔を合わせて話をすれば、話が伝わったかどうかという反応が見られるのですが、メールになると一方的な連絡になってしまうので、伝わったかどうか分かりませんでした。『聞いていなかった』という反応にならないかと怖かったですね。

 

選手が変更になったのを知らずに会見につないで『あれ?』ということになる方がいる心配もしましたし、なるべく情報が集まったところで出そうという見極めるところは頭を使いました」

 

アクシデントへの対応について 

——アクシデントも起きました。まず10月のときは大迫勇也が1戦目を終えて代表チームを離脱することになり、そのことが大迫のクラブから先に発表されました。 

「10月のオランダは、移動に制限のかかっているエリアが拡大していました。大迫に関しても、私たちが日本代表のメンバーを発表した後の週末に、ブレーメン州がオランダから移動してきた場合に5日間の待機期間を設けたのです。

 

そのため最初は大迫が所属するブレーメンから派遣しないという話もあったようです。ですが大迫は1年ぶりの代表活動ということもあって、日本代表チームの一員としてプレーしたいという強い気持ちを持ってくれていました。

 

そこでブレーメンと関塚隆ナショナルチームダイレクター(当時)やチーム総務が折衝し、1試合目のカメルーン戦が終わった後にクラブに戻れば、5日間待機しても次のリーグ戦に出られるということで、チームを離れる日程の折り合いが付きました。それがちょうど代表メンバーを発表したのと同時進行くらいです。

 

するとブレーメンが先にクラブのホームページで発表しました。私たちは慌てて対応するのではなく、交渉担当に確認して事実をお伝えするようにしたので、発表するのが一拍遅れた感じはあるかもしれません。

ですがお互いのチーム事情がありますので、そこで広報部が板挟みになるのは仕方がないと思っています」

 

海外の選手も消毒に協力的

(写真提供:日本サッカー協会)

 

各担当者との調整に尽力

——対戦前のカメルーンに新型コロナウイルス感染者が出るという事態も起きました。 

「カメルーンに感染者が出たときに難しかったのは、陽性反応が出たのは把握出来ましたが、それだけでは情報としては不足していたことです。チームとして濃厚接触者が何人いるのか、カメルーン代表はゲームが出来る状況にあるのかというのを確認しなければならず、そのタイミングでは何かを発信することが出来ませんでした。

 

さらに言えば、私たちが発表すべきことなのかという問題もありました。日本サッカー協会主催の試合ではありますから、最低限の情報は出さなければいけないとは思ってましたが、カメルーン代表チームの感情を度外視して勝手に進めるのは違うと思っていました。カメルーン代表が発表していないことを私たちが発表するのはおかしい、足並みを揃えたほうがいいという話が現場ではありました。

 

結局、試合の前日会見でチームドクターが『3名ほどプレー出来ない選手はいますけれども、チームとしては前に進みます。だから明日の試合は出来ます』と発信しましたので、私たちも確認出来ました。

 

ただ、日本とカメルーンは試合をやりたいと言っても、オランダ・ユトレヒトのスタジアムの人たちが『それは困ります』という話になれば、ゲームは出来なかったと思います。そういう調整も含めて、代表チームだけではなくて、協会の職員が様々なところで各担当者、関係者と情報を共有して、すべて了解を取りながら前に進んでくれたのが大きかったと思います」 

常に最悪の事態を想定

——11月のオーストリアも感染が拡大していました。 

「確かに感染は拡大していたのですが、11月に試合を開催出来る場所が限られていく中で、オーストリアで試合をするチームがたくさんあったのです。韓国とメキシコ、カタールとコスタリカなどのカードも組まれていました。

そういう意味では、スポーツビジネスに関しては大丈夫だろうと感じましたし、行政やスタジアムの試合運営側の責任者に何度も確認しながら進めていたので、開催出来るだろうという予想はありました。ただ一方で、何かあれば試合はなくなるということも常に想定していました。

 

誰か感染者が出て、それがクラスター感染に繋がる形で拡散していれば、日本だけではなくて相手チームだったとしてもゲームは出来なくなると思っていました。ロックダウンになることはないと思っていましたが、たとえばスタジアムでクラスターが発生したり、現地のサポートしてくれるスタッフが誰もいなくなるということがあれば開催出来ないと思っていました。

 

オランダやオーストリアに行けば必ず試合が出来るというではないと常に想定はしていましたし、だからこそ活動中は体調不良にならないように、あるいは感染しないように、手指の消毒であったりマスクの携行を守り、絶対に日本代表チームから感染者を出さないという思いでやってました」

 

手指の消毒をする吉田麻也選手

(写真提供:日本サッカー協会)

 

コロナ禍での選手招集の難しさ

——11月は堂安律が参加出来なくなったり、奥川雅也は合流直前にチームで感染者が出たということで招集が見送られました。

「代表チームに招集された場合、現状のFIFAのルールではクラブが出したくないというだけで派遣拒否出来ません。行政によって待機要請措置が具体的に定められているとき、初めて拒否出来ます。堂安も日本発表直後にビーレフェルト市が措置を決めたことで相手に拒否する権利が出来ましたから、仕方がありませんでした。

 

奥川の場合は情報が二転三転しました。ただ、奥川のチームメイトに陽性という診断が出ている以上、日本代表の残り23人の選手たちの安全を確保するという観点からも招集することは難しいだろうという判断がありました。奥川自体は陰性だったと聞いていましたが、チームとしては招集を見送らせてもらいました」

 

——10月のカメルーンに続き、11月はパナマにも感染者が出ました。

「そこではカメルーン戦の経験が生きました。感染したのはパナマのスタッフで、すでにオーストリアの保険局が対応しているという連絡があり、選手への感染はない、濃厚接触者もいないという話でしたので、問題はないだろうという判断がなされました」 

 

パナマ線でPKを決めた南野拓実

(写真提供:日本サッカー協会)

遠征で一番大変だったこと

——この2カ月の遠征で一番大変だったことは何でしょうか。

「私たちの業務に関して言えば、一番は9月に『メディア対応をどうするか』『どういうことをすれば日本から取材していただけるか』というのを考える時間が一番大変でした。ですが収穫があった時期でもありました。

 

そのときに代表戦に携わるスタッフがみんな参加して、いろいろなアイデアを持ち寄って話をして固めていきました。取材案内、取材の実際の進め方、時間の設定などを一つひとつ、いつもと全く違う様式を設定していくという作業は、勉強になったというか、いろんなことを学ばせてもらった機会でもありました。

 

もし新型コロナウイルスの薬が出来れば、今回考えた対策をもう取る必要はなくなるのでしょうが、それでもやる意味があった、決して今後も無駄にならない作業だったと思います。みんなで話をしていろいろなことを決め、かつそれが事故なく実現出来て、メディアの方からも普段と同じように取材していただけたというのは大きな財産、大きな経験になったと感じています」

 

——急に会見の時間が変更になったり深夜対応になったとき、スタッフが総動員されて対応している姿を見ることが出来ました。

「オーストリアでは練習場が暗かったため練習時間が変更になって、そのために会見の時間が変更になりました。それには日本にいるスタッフも全員合わせて対応したのですが、17時が19時になったり、19時が21時になったりして、メディアの方も含めてうちのスタッフは大変だったと思います。

 

また試合のときは深夜とか早朝の作業になりました。日本にいるスタッフは朝3時に起きて4時から準備だったと思います。広報部に関して言えば、私はゲームに集中して仕事をさせてもらえたのですが、それは日本にいたスタッフが頑張ってくれたおかげで、そういうメディア対応の機会がしっかりと出来たのかと思います。

 

ですから総力戦という表現が適切で、誰か1人の力ではなくて、広報部として事に当たることが出来たのではないかと感じています」

 

この経験を東京五輪につなげていきたい

(写真提供:日本サッカー協会)

 

この経験を東京五輪につなげていきたい 

——今回のことで、今後の海外遠征について自信が付いたのではないでしょうか。 

「今後もまた海外での試合があるでしょうし、またゲームが出来ればいいと思っています。ゲームが延期、中止という形になって、なくなってしまうのが一番悲しい出来事だと思いますが、試合や大会がおこなわれるなら、それに向けた準備は出来る、対コロナということであれば対処出来るという経験は積みました。

 

新型コロナウイルスに関して、一定の成果はこの4試合で出したと思いますので、これを蓄積していきながら、ワールドカップ2次予選、最終予選、そして五輪につなげていければと思います」

 

——ともかく無事にヨーロッパで4試合を開催することが出来ました。

「日本代表に感染者が出なかったことが一番よかったと思います。1人の陽性者も出すことなく活動を終えることが出来たというのは、私たち事務方にとって一番いいことでした。

 

ただ、私たちにとっては初めての新型コロナウイルス影響下のゲームでしたが、Jリーグも、ヨーロッパ全体でも感染拡大の中で何百という試合をしています。だから各セクションで、何か起きたときどうリアクションするかという事例が出来ていました。そういう方々のサポートを受けながら前に進むことが出来たと思います。

 

もしこれが2020年3月くらいだったら、誰もノウハウがなくて、慌ててしまって結果的にゲームが出来なくなっていたかもしれません。でも、何とかゲームをやろうとヨーロッパではリーグ戦やネーションズリーグをやっていましたし、日本でも7月にJリーグが再開してずっとゲームをしてくださったおかげで、私たちもメディア対応の方法を参考にさせてもらうことが出来ました。

 

だからすべて私たちだけがやったというわけではなく、様々な方々がチャレンジしてくださった、サッカーの火を灯し続けるためにがんばっていた、その延長線上に代表戦があったと感じましたし、すべてスポーツ界の積み上げの中でやらせてもらったということを感じています。そしてこの経験がスポーツ界でより積み重なっていけば、いろいろなことに対応出来るだろうと思っています」 

 

ソーシャルディスタンス

(写真提供:日本サッカー協会)

海外遠征のいい事例に

——今回の日本代表もいい事例を積み上げましたね。

「この先、五輪も控えていますし、各スポーツの代表チームが日本に海外のチームを呼んだり、海外遠征に行くこともあると思います。その中で私たちの試合がいい事例として参考にしてもらえるのなら大変うれしいことです。

そういうことも含めて、今回の食事会場やPCR検査をしている風景を映像に収め、YouTubeの日本サッカー協会公式チャンネルで発信させてもらってます。それも見ていただければ幸いです」

 

www.youtube.com

 

執筆

森雅史

多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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