SNSでバズったのをきっかけに今も仕事をいただけている私ですが、インターネットの使い方について書いてほしいと言われて、どうしようもなく困惑しました。
正直に申し上げますとネットの使い方、苦手です。
1日15時間くらいスマホを触っているような重度のインターネット依存症なのですが、ビジネスとしては上手く使えない。一番ダメなパターンを地で行っている気がします。
つい先日も友人とご飯を食べている最中に結構大きめな地震があって、私はほぼ反射行動でTwitterに繋いで震源地と震度を確認していました。
「揺れてる、怖いね。」なんて、目の前の人と顔を見合わせて気持ちを共有するのが最優先なはずなのに、手元に置いていたスマホをスッと取って、まだ揺れが続くなか表情を一切変えずにネット上のリアルタイムの情報収集をしていました。猛省しています。
ちなみにスマホから離れる時間として、映画館の2時間が限界です。
そんな依存症を患いながらも、ビジネスとしては上手く使えないのです。例えばTwitterでも自身のキャラクターを演じきってIT界隈とかSFファンに刺さるツイートをすれば、認知も増えて新たな仕事に繋がるかもしれないと思います。
ですが、自らを発信する事になんだか気恥ずかしさを感じてしまって、自撮りの写真なんかも頻繁にアップするべきなんでしょうけれど、意志とは反対に食べたラーメンの写真なんかをあげてしまうのです。誰かSNSのゴーストライターをやってくれないかな、と常々思っています。
中学生ではじめて「インターネット」に触れた
私がネットの世界の扉を開けたのは、初めて自分のケータイを手に入れた時でした。
中学校に上がるタイミングで、親にねだって買ってもらったケータイ。新しいおもちゃを手に入れた気分でテンションが上がって毎日触りまくっていたら、
いわゆる「パケ死」。
当時、携帯の通信料金は、「1パケット当たり○円」のような課金制で、画像や着うた・着メロのダウンロード、写メールの送受信を繰り返すとパケット消費はどんどん膨らんで、翌月6万円の請求が来たのをおぼえています。そして親にめちゃくちゃ怒られたことも。
そこから定額制が普及して、高額請求に怯えずフリーダムなネット生活が送れるようになったわけですが、その頃からインターネットの楽しさに気付いてのめり込んでいきました。
リアルでは内気な性格で、学校でも目立たないように地味に地味に生活していた私ですが、本当はロックバンドが好きで、パンクファッションに興味があって、好きなバンドマンが入れていた意味ありげな刺青に憧れて、世の中はクソ、クラスメイトもクソと思っているような学生でした。
そんな誰にも言えない思いを共有できるのはネットのコミュニティだけで、自分で趣味全開のホームページを作って、Decooリアル(今でいうTwitterの学生版のようなもの)を更新して、同じような境遇であろうネット上の友達と匿名でしか話せないような事を語り合っていました。
今思うとすごくクリエイティブですね。HTMLとかを見よう見まねで使っていました。
あの時のどうしようもない、ぶつけようのない気持ちを吐き出せる場所が、ネット上であったとしても存在したことは、思春期の人格形成にとってよかったのではないかと思うのです。(副作用としてオタクっぽさはいまだに抜けきれませんが、変にグレなくてよかったなと)
インターネットの変化
あの頃から10年以上が経って、インターネットの世界もガラッと変わってしまいました。ガラケーからスマホになって、連絡手段もメールからLINE、3G/4Gからもうすぐに5Gの世界に変わっていきます。
日常生活でも分からない事はすぐに調べられますし、欲しいものがあればワンクリックで買えるようになりました。仕事面でも自分を発信する場が増えてTwitter経由で依頼をいただく事もありますし、YouTubeでお金を稼ぐという手段も身につけました。インターネットの恩恵をうけて、認知してもらえる機会が増えて芸能界の隅のほうでなんとか食べていけています。
でも、それと同時に物騒になってきたなとも感じています。インターネットが匿名で人を傷つけるための装置として使われることが多くなったように感じていて、もちろん2ちゃんねるが全盛期だった頃も著名人のアンチ板はありました。
けれど、そこにある悪意は地下深くで掃き溜めとなってただ存在しているだけで、不気味さはあるけれど、こちらから覗かないと害にもならないようなものでした。
今のアンチは明確な悪意を持って、ターゲットを傷つけることを目的として、本人の目の届くSNSなんかに誹謗中傷を書き込んだりしていて。
「出る杭は打たれる」なら目立っている人は有名税だし叩いてもOK、スキャンダルを起こした芸能人には人格否定を。育て方が悪いからと親までも引っ張りだして「謝罪しろ」と糾弾する。
ひとりが正義感をふりかざして叩いてもいい風潮を作ると、それに同調して無関係なはずの人達もストレスのはけ口として「なんとなく気に食わないから」と参加する。今ってそんな感じですよね。
本当に恐ろしいなと思ってしまいます。倫理的にはアウトなことでも、意志に抗えずやってしまう事って生きていればあるじゃないですか。
でも、1度でもミスすれば、今まで味方だと思っていた人たちが一斉に手のひらを返して「裏切者、謝罪しろ」と言ってくる世界。そんな臭いものに蓋を的な、クリーンな存在しか認めないような殺伐とした世界でしたっけ?
懐古厨になるつもりはありませんが、ネット上には「はみ出た人」にも「あぶれた人」にも優しい場所があったはずです。顔が見えない、匿名だからこその言えること、マイノリティーや救いを求める人たちを受け入れてくれる場所が、現実世界ではまだあまりなかったとしても、インターネットの世界では存在しますように。
非力な私には願うことしかできませんが、かつての私が救われたように、悩みを抱えている人が居てもいいんだと思える場所が変わらずにまだありますように。
インターネットが得意な人っているの?
私は最初に苦手と書きましたが、インターネットが得意な人って存在するのかなとさえ思うようになってきました。
たくさんの人のチェックが入っているはずの企業アカウントだって、最近よく炎上しているのを目にしますし、数十万人のフォロワーがいる友人のインフルエンサーは、全方位に気を使いすぎて文章がおかしくなっていることが結構あって、逆に不器用だなと思います。
ささいな一言で予期せず人を傷つけたり、傷つけられたり、極端に言えば被害者にも加害者にもなってしまうツールだから付き合い方は簡単じゃないですよね。
私は無意識に誰かを傷つけていない事を願いながら、食べたラーメンの画像を載せているのかもしれません。もしかしたらこれくらいの使い方、付き合い方がインターネットの混沌とした世界の中での一つの理想形なのではとさえ思えてきました。
いや、でも流石にそれは不器用すぎるのかもな。
執筆
アンドロイドのお姉さん SAORI
モデルとして活動していたがアンドロイドパフォーマンスで注目を浴び、以来アンドロイドタレントとして活動中。
フリーランスになり、ラジオ、YouTube、勉強会での登壇などマルチに活動している。
Instagram :https://www.instagram.com/saotvos/
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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