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「そんなにカニ味噌を取るなよ! 協調性が無いんだよお前は!」
ああ俺、この会社好きじゃないな。そう気づいてからが地獄だった。
自分のキャリアプランについて、出世していくことしか考えていなかったことを強く後悔した。こんな会社で偉くなりたくない。
ブラック企業を退職するまでの話
当時、4年前の僕は出世をしており、『電波がかなり悪いのに値段が高いWi-Fiを5年契約で売りつける』という大切な業務の責任者をしていた。
営業にとって一番辛いのはクレームでもノルマでも人間関係でもなく、自分が扱う商品がゴミだと知ってしまった時だ。
それでも売らなければ普通に殴られたりするような環境。せっせと他社製品との比較表を作ったりしていたのだが、他社に何1つ勝っていないことをわざわざ証明しただけだった。売ることが申し訳なくなってきて、先月に大きい契約が決まった時も一切嬉しくなかった。
「辞めようかな」
1日に5回はそう思うようになっていた。でも次はどうするんだろう。しばらく無職になるのだろうか。家賃11万が払えなくなるだろう。なんで狭い1Kで駅徒歩13分なのにこんな家賃のとこ借りたんだろう。その不安が、退職の意思を曇らせる。
喫煙所でヘコんでいると、『RO水(水道水を濾過した水)を天然水より高い値段で売りつける』という業務に従事している先輩がやってきた。
「社員旅行の北海道、明日か……」
ブラック企業の社員旅行
社員旅行は会社の数ある行事の中でも断トツに望まれていないイベントだった。休みが社員旅行日数分削られるという最悪のシステムなうえに、1秒でも長く共に過ごしたくない上司たちとずっと一緒だからだ。
行かないという選択が許される会社ではない。僕は会社の飲み会に絶対行かないが、これは陰で「あいつは協調性が無い」とか言われるだけで済む。
しかし社員旅行は違う。行かなかった先輩が急に、東北の何してるかわからない子会社に飛ばされたのをみんな知っている。
「行きたくねえなあ……」
『お年寄りに高額なスマホを売りつける』という業務のリーダーをしている同僚がそう呟いた。周囲を巻き込んで、煙と共に陰鬱な空気が立ち込める。みんな本当に行きたくない。でもそんなこと言っても意味がない。返事をするように、暗闇の中ゆっくりと煙を吐いていた。
何故か会社は「社員旅行に行けるくらい偉くなれ!」というプロバガンダをしており、一定以上の役職の人だけが栄えある社員旅行に行けることになっていた。ただ社員旅行の評判が最悪なので、社員旅行があるから出世したくないと言われるくらい失敗している。
大勢の飛行機代や宿代なんて結構な額だろう。会社はわざわざ大金を叩いて社員のモチベーションを下げにくる。いきなり5万円くらいもらえる方がどれだけ嬉しいか。
僕らは残業明けの早朝、夢と現実の境界が曖昧なまま空港へと向かった。
ブラック社長の覇気
空港では、社長が革靴を社員たちに飛ばし、それに当たってしまった人は走って革靴を社長のところまで戻すという、たのしいアクティビティが催された。荒くれ者が集うこの会社でも、社長に逆らえる人間はいない。
社長は『怒鳴るだけで相手にゲロを吐かせることが出来る』という汚い覇王色の覇気みたいな能力を持っており、これは本当に一回テレビとかで解明してほしいんだけど、とにかく圧が凄くて全社員から恐れられていた。
飛行機では社長の目に止まった人が致死量の酒を飲まされ、やっと北海道についたらバスの中で一気飲み大会が始まった。
酒気が充満するバスの中、「今日はあと何回、嫌なことがあるんだろう」とプログラムを見ると、どうやら明日の夜には自由時間がありそうだった。
少しだけテンションも上がり、『入った年月分ずっと損する保険』を売っている同僚に、「うまい寿司食いに行こ」と声をかけた。
ホテルに到着し、宴会で怒鳴られながら、ワインと日本酒を混ぜた謎の液体を飲まされていた時、急に偉い女性社員が立ち上がった。
「今から名前を呼ぶ人は、なんと明日の19時から、社長と豪華! カニパーティです!」
めちゃくちゃ嫌だなあという空気が確かに一瞬流れた後、オオオオオ! と熱狂する宴会場。社長と仲の良い社員とかが行くのだろう、自分には関係ない。
「先月の売り上げが良かったチームの責任者が対象です! これはご褒美ですね!」
地獄のはじまり
ヒヤリとした汗が背中を伝った。僕のチームが売っているWi-Fi端末はゴミなので普段は普通に売れない、でも先月は何故か、小規模なチェーン店が全店舗に導入するという大きな、後日ネットであの店はWi-Fiが遅いって叩かれることになる契約が決まったんだった。
騒がしい宴会場で女性社員が20人くらいの名前を告げる。強く意識しなくてもハッキリと、自分の名前を確認した。
明日も自由時間がない。
寿司の件を謝り、かなり暗い気持ちになりながら大浴場に向かった。
大浴場のサウナでは別の社員がずっとスクワットをさせられていた。上司が門番みたいに立っていて「外の空気が入るから」という理由で入れてもらえなかった。地獄って端っこの方でも地獄なんだよな。
部屋に戻り、3時間ほど顧客へのクレーム対応をして、眠りについた。社員旅行ってなんのためにあるんだろう。
「昔、社長の行きつけだった、カニ料理の名店らしいぞ」
タクシーの中で、上司からそんなことを聞きながら外を見ていた。窓から見える札幌の風景はかなり都会で、すごく街として洗練されている印象を受ける。
途中、カニっぽい店をたくさん見かけた。店名に「かに」と入っていたり、嘘みたいにデカいカニの看板があったりして、少しだけわくわくする。どのお店なんだろう、社長の行き着けだからすごいところなんだろう。
やっぱり大ぶりなズワイガニの脚をしゃぶしゃぶするんだろうか。旨みが詰まったハサミの部分を焼くんだろうか。カニ酢って使ったことないけどチャレンジしようかな。あとなんといってもカニ味噌か。
そんな期待を裏切るように、タクシーはなんかボロボロのきったねえビルに到着した。
ビルの大部分を薄汚れた看板のスナックが占めており、エレベーターもない。不安になりながらノロノロと階段を上がり、汚れた畳の座敷に通された。社長が奥の方で社員にプロレス技みたいなのをかけていた。
「カニざんまいコーススタートです!」
店員さんが号令を鳴らす。カニざんまい、良い単語だ。周囲も知らない社員しかいないし、もう完全にカニに集中しよう。ざんまいしよう。
カニのお店で起きた異変
異変はすぐに訪れた。
全然、カニが出てこない。
いや、正確には出てこないわけではないんだけど、サラダにちょこっと乗ってたり、カニチャーハンとか、カニシューマイとかそういうのが出てくる。
おかしい、想像していたのとだいぶ違う。なんかすごくこじんまりしてる。
「お待たせいたしました。カニはるさめです」
なに? なんなの?
知らない料理を食べながら、少しずつ膨れていくお腹に不安を覚える。みんなイライラしているのか、そこら中で立場の低い人への怒声罵声が飛び交っている。僕はいつカニ本体が来るのだろうと、厨房のほうを見ながら待ちわびていた。
「お待たせいたしました。フライドポテトです」
何ここ? 蟹貴族?
絶対誰も待っていないポテトが来た。何人かの上司がしびれを切らしたのか、ポテトを手で丸めてボールみたいなのを作って投げ合っていて最悪だった。これ40過ぎたの人間がやることなのか。インターネットなら炎上していたぞ。
「お待たせいたしました。茹で毛ガニです」
やっと来た。が、
おかしい。テーブルが1人掛けなんだけど、1テーブルにつき1つしかカニが来ない。
正面にいたおじさんが一気に2本の脚を取ったので、その瞬間に1人はカニなしが確定。さらにカニがだいぶ小さく、100円の回転寿司で出てくるサイズ感だった。
無言でわずかなカニを食べていると、社長が僕らのテーブルにやってきた。
「どう? カニ食べてる?」
お前ここ行きつけなの? というセリフをぐっとこらえて、「北海道のカニは違いますね」「旨みが止まらないですね」とでまかせを並べた。
釈然としない気持ちの中、小さなスプーンでかにみそを取る。カニ自体が小さく、かにみそも微々たるものだったので少なめに取った。その瞬間だ。
「そんなにカニ味噌を取るなよ! 協調性が無いんだよお前は!」
めちゃくちゃ怒鳴られた。本当に弁明させてほしいんだけどそんなに取ってない。カニが小さいからなんだ。なんでカニざんまいコースでこんな怒られ方しなきゃいけないんだ。
それが引き金となりその後も激しく叱責され、強い吐き気がやってきた。謝りながらトイレに行く、スマホを見たら寿司を食べている同僚たちの写真が送られてきており、吐きながら涙が出てきた。
トイレに長居も出来ないので、絶望した足取りで座敷に戻る。カニも増えておらず相変わらずの地獄絵図だった。
その時、突然に「戻りたくない」という意志が強く働いた。
靴を脱いで座敷には上がらず、入り口付近でどこか俯瞰した感じで眺める。
これは縮図だ。と、ぼんやりと感じていた。
数少ない顧客を他部署と奪い合う毎日。怒声罵声が飛び交い、意味わかんないことで怒られ、とにかく空気が悪く、ボールを押し付けあっている。そしてそんな環境を作り出した社長に、みんなニコニコしている。
俺はいつもこの中にいるんだと、ここで初めてハッキリと自覚した。
心から、ここにいたくないと思った。
上司に呼ばれても、同僚に声をかけられても、座敷に上がることはなかった。
「辞めよう」
そう思った。
「あー会計、1人8000円なー」
強く、そう思った。
ブラック企業を退職するタイミング
会社の辞め時っていつなんだろう。
嫌いになったり、日々オフィスで「辞めたい」と思っている時は、まだだった気もしている。
会社以外の場所にいるのに、ここにいたくないと思った時、それは1つのタイミングだったのかもしれない。