日本に資本主義を取り戻したい|株式会社ディー・エヌ・エー フェロー 川田 尚吾さん


川田さん、小笠原、田中の写真

 

さくらインターネットは「IVS2022 NAHA」のスペシャルスポンサーとして、2日間に渡り「さくらインターネット特設ステージ」を開催しました。

ステージでは「失敗を讃えよう!」をテーマに、起業や経営における挑戦と失敗について、豪華ゲストをお招きして語っていただきました。

本記事では、株式会社ディー・エヌ・エーの共同創業者で、現在は投資家としても活躍する川田 尚吾さんが語る「失敗談」をお届けします。

ディー・エヌ・エー創業時の「大失敗」、投資において「反省しきり」なエピソードなどをお話いただきました。

 

「投資できなかった」失敗

3人の写真

 

田中邦裕(以下、田中):先ほど、川田さんに事前に失敗談をお聞きしたいとお伝えしたところ、「山ほどある」とおっしゃっていましたね。

 

小笠原治(以下、小笠原):川田さんといえば、みなさん投資家としてご存じだと思うんですけど、この10年ぐらいで一番失敗したなと思う投資や、投資できなかった失敗ってありますか?

 

川田 尚吾さん(以下、川田):一番反省したのは、まだ絶賛伸びている最中の、ある会社の話ですね。その会社が立ち上げしたてのころに、ある人に投資先としてどうかと紹介されました。

たしかにプロダクトは非常に面白そうでした。僕の知り合いもこのプロダクトはすごいと反応していて、僕もすごいよねと思っていたのに、誰からどのメッセンジャーで紹介されたのかわからなくなってしまって。迷っている間に、またほかの案件が山のように来てメッセージが流れてしまいました。つい最近になって、誰からだったかわかったんですけど、反省しきりです。

 

田中:メッセンジャーで連絡が来ることが多いんですか?


川田:多いですね。でも、基本的には友達からの紹介で投資しています。本来はもう少し裾野を広げてオープンにすべきなんですけど、リスクもあるし、いま持っている案件で手一杯なので。

川田さんが投資家になった理由

川田さんの写真

 

田中:そもそも、川田さんが個人投資家になるきっかけって何だったんですか?

 

川田:80年代の終わりから90年代の始め、僕はスタートアップの世界にいたんですよ。そのころはまだインターネットがなくて、でもポテンシャルが非常に高くて、エネルギッシュな人がポツポツいて。ただ、そういった人たちに対して、誰もお金を出さないんです。

非常に優秀な人たちがいるんだけど、そこにお金を出すのは、ビジネスのことをよくわかっていない人たちしかいませんでした。

そういったことも含めいろいろ経験しましたが、理屈ではなくて、あらゆるところから刺激を受けて得た結論は、「日本は社会主義国家だな」ということです。

僕が「日本はちゃんと資本主義国家にならないとやばい」と思ったのが昭和のおわり、平成になるタイミング。ちょうど20歳のときです。

そのとき、日本に資本主義を取り戻すところに自分の人生をかけようと思ったんです。だから、わりと早い時期から投資家になると言っていました。

システム開発の大失敗

小笠原:僕らからすると、ディー・エヌ・エー立ち上げのころってすごくキラキラして見えたんですよ。

 

田中:そうですね。コンサル出身の方がきちんとやられていて。

 

川田:内情はもうボロボロでした(笑)。それこそ失敗談になるんですけど。

 

田中:それ、お聞きしたいですね。

 

川田:南場さんもいろいろなところで言っていますが、システム開発で大失敗してるんですよ。立ち上げのときのメンバー3人の中で、多少プログラムを書いたことがあるのは僕だけ。エンジニアが1人もいなくて、大学の研究室の後輩で非常に優秀なインフラエンジニアがいたので、なんとか彼を口説き落として入ってもらっていました。

 

当然、システム開発ができる人がいなくて、結局全部外注しました。そこが、2か月か3か月で作ると言って請け負ってもらったのですが、リリースの2週間前に現場の責任者に話を聞いたら、実はまったくできていないことがわかって……。

 

田中:そんなことあります?!

 

小笠原:きついですね……。

 

川田:きつかったですね。結論としては、そこからなんとか知り合いに助けてもらってリリースにこぎ着けたんですけど、本当に大変でした。

コアメンバーにエンジニアがいないと苦労する

川田さんと田中

 

田中:それでいうと、最近、ITエンジニア不足が深刻じゃないですか。スタートアップで起業して、めちゃくちゃ良いプロダクトを目指していても、エンジニア不足だけでダメになる会社が多いです。当時もそうだったはずなのに、なぜいまこんなに不足感があるんだろうって、不思議なんですよね。

 

川田:なぜですかね。たぶん以前の僕らの時代は「エンジニアは下請け仕事」という時代で、本当に優秀なプログラマーはごく少数だったと思います。

優秀でかつプログラムがわかる人は、SEやコンサルタントになっていて、自分で手を動かしてコードを書く人は非常に少なかった。だから、そのときよりもはるかにエンジニアの数は増えているはずですよね。

 

田中:ただ、お金が集まっても、エンジニアが集まらないというスタートアップの話、結構聞きますよね。

 

川田:僕は、そのパターンには一切投資しないです。過去の失敗もあるので、できれば創業メンバーの中にエンジニアがいる会社がいいですね。

 

小笠原:僕もわりとそうかもしれないです。なるべくエンジニアが代表なり、経営に関わっているところに投資したいというのはあります。

 

川田:チームのコアメンバーにエンジニアがいないパターンは必ず苦労しますよ。

 

田中:そうですね。まず、1人目のエンジニアを雇うための面接ができないですし。

 

川田:でも、たとえばウォンテッドリーの仲暁子代表は、別にプログラマーではなかったんだけど、自分で勉強してプロトタイプを作ったんです。上場したときも、彼女が書いたコードでまだ動いていたはずですよ。

 

田中:そうなんですか。

 

川田:自分でコードを書いて動かしていたという事実があると、エンジニアは「この社長は単なるビジネス系の人ではない」と思いますよね。

 

小笠原:エンジニアに対する敬意があるなら、会話は成り立ちますよね。

 

川田:ビジネス系のキャリアなのに、自分でプロトタイプをつくるというのはすごいと思います。でも、ソースコードを見ると荒いから、なんとか助けてやらなきゃみたいな感じで、エンジニアの助っ人がどんどん入ってきてうまくいくことはあります。

 

 

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失敗があったからNo.1タクシーアプリ『GO』は生まれた | 株式会社Mobility Technologies 川鍋一朗さん

川鍋さん、田中、小笠原の写真

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初日1回目のゲストは株式会社Mobility Technologies 代表取締役会長の川鍋一朗さん。タクシーアプリ『GO』をはじめ、「移動で人を幸せに。」をミッションに日本のモビリティ産業をアップデートするさまざまなITサービスを提供しています。

川鍋さんは、日本交通株式会社の代表取締役会長、全国ハイヤー・タクシー連合会の会長も務めています。まさにモビリティのプロフェッショナルです。そんな川鍋さんが経験した「失敗」とは?

 

失敗があったから『GO』アプリが生まれた

川鍋さんと小笠原の写真

田中邦裕(以下、田中):オガさん(小笠原)は、もともと川鍋さんと知り合いですよね?

 

小笠原治(以下、小笠原):川鍋さんとの最初の出会いは、じつは謝罪なんです。

 

川鍋一朗さん(以下、川鍋):そうでしたね(笑)。

 

小笠原:某社で日本交通さんの、あるデバイスを作っているときにやらかしたんです。

 

川鍋:タクシーに取り付けるハードウェアデバイスですよね。タクシー業界中に「完璧ですよ」って売りまくったら動かなかったんです。

 

田中:最初から動かなかったわけではないですよね?

 

川鍋:はい。車だから走っているうちに衝撃とかで動かなくなったんです。

 

小笠原:テストがやり切れていなかったですね。

ハードウェアとソフトウェアの両軸

川鍋さんの写真

川鍋:でも、あの経験がなかったら、いまこうやって『GO』アプリはできていないかもしれません。失敗があったからできたアプリです。『GO』アプリの会社です、と言っていますが、その裏側にはハードウェアがあります。日本のタクシーってレガシーじゃないですか。タクシーメーターとかは外のデバイスにつなぐようになっていないんですよ。

 

田中:不正もあると困りますからね。

 

川鍋:そうなんです。そこにわれわれが開発したハードウェアを付けて、後部座席のタブレットでQR決済ができるようにしました。ハードウェアは大変なぶん、一度おさえてしまえば、他社の参入障壁が高くなるので、競争優位性が効きます。

 

田中:「ソフトウェアだけのスタートアップのほうがいいのではないか」と言う方もいますが、ソフトウェアだけだと参入障壁が低いぶん、すぐに追いつかれる可能性もありますからね。

 

小笠原:さくらインターネットもデータセンターというハードがあったうえで、いろいろなサービスが作れていますからね。ハードウェアをしっかり揃えて、ユーザーに好んで使ってもらえるソフトウェアを提供するのが大事です。


川鍋:それがいま機能し始めていますが、それまでにだいぶお金を使いましたね。20年前に家業のタクシー会社に入ったとき、インターネットベンチャーブームがありました。「タクシーのベンチャーをやりたい!」と言って、父親から4億円の資金調達をしたんです。

 

田中:父親からの資金調達ってすごいですね。

 

川鍋:ところが、最初に始めたタクシーベンチャーは3年後にたたむんです。累計で4億5千万くらい損を出してしまいました。そこからのスタートですね。

 

田中:そのときに学んだことはありますか?

 

川鍋:世の中が動くのには意外と時間がかかると知りました。コンサルタント出身なので、プロジェクトは3か月思考なんです。「正しいことをすれば世の中はすぐ分かってくれる」という考え方でした。考え方をアジャストするのに時間がかかりましたね。

アプリ立ち上げ時の失敗

3人の写真

川鍋:アプリを立ち上げてからの最大の失敗は、立ち上げから5年間、マーケティング費用を0円にしていたことです。あそこでもう少し、マーケティング費用をかけてアクセルを踏み込んでおけばよかったですね。あの当時は、敵がいなかったんです。

 

小笠原:若手のスタートアップでも「このプロダクトはウチだけで競合がいないんです」と言って、マーケティング費用をかけないところがあります。絶対に競合は出てきますからね。

 

川鍋:当時、社員から「電車の吊り革広告を出したい」と言われましたが、許可しなかったんです。お金を大事にしようと考えすぎていました。

 

田中:資金調達して、すぐにキレイなオフィスに引っ越したほうがいいのかという話もありますよね。オフィスを引っ越すことでいい人材を採用できることもあれば、お金だけかかってしまうこともあります。

潰れてしまう会社と生き残る会社の違い

田中:潰れてしまう会社と生き残る会社の違いって何だと思いますか? 「運」はあるでしょうけど、どうすれば生き残れるんでしょうかね。

 

川鍋:究極的に難しいですね。やはりチームは大事ではないでしょうか。周りに止めてくれる人がいるのは大事です。私も結構取締役とぶつかって止められました。エンジニア文化が分からないので、CTOとはよくぶつかりましたね。でも、半年後くらいに思い出してみると相手の言ってることのほうが正しいんです。

 

田中:(笑)。意見を言い合えるのは素晴らしいと思いますよ。

ライバルと事業統合

川鍋さんの写真

川鍋:2020年4月、最大のライバルだったDeNAの『MOV』と事業統合してMobility Technologiesが発足し、現在の『GO』アプリが誕生しました。事業統合の一週間後から緊急事態宣言ですよ。ライバル同士が一緒になって、会えない状況下で事業がスタートしました。

 

田中:IT企業であるDeNAとモビリティのプロであるJapanTaxiが一緒になったことで、社員の多様性もありそうですね。

 

川鍋:そうですね。一緒になってよかったことのひとつだと思います。

三足のワラジ

小笠原:川鍋さんはMobility Technologiesの会長と日本交通の会長、さらには全国ハイヤー・タクシー連合会の会長もしていますよね。それぞれ全然違うんじゃないですか?

 

川鍋:違いますね。Mobility Technologiesでは最年長ですが、全国ハイヤー・タクシー連合会では最年少ですよ。連合会では月に一回会議があるのですが、僕以外誰もパソコン持っていないです。分厚い紙の資料で会議してますからね。

来年は沖縄でも『GO』が使えるように

田中:僕は沖縄に住んでいるのですが、『GO』は沖縄では使えないですよね?

 

川鍋:どうも申し訳ございません。みなさん、ようこそ『GO』の使えない沖縄へ!

 

田中:(笑)。沖縄で使えない理由は聞いてもいいんですかね?

 

川鍋:沖縄では某D社が強いですよね。『JapanTaxi』アプリは使えるんですけど、揺り戻しがあるんですよね。原因は分かっています。これは沖縄だけではなくて、各地で起きていることです。でも、来年もIVSが那覇でおこなわれるとしたら、それまでには頑張ります!

 

 

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デジタイゼーション、デジタライゼーション、デジタルトランスフォーメーション…これらの違い、説明できますか?

デジタイゼーション、デジタライゼーション、デジタルトランスフォーメーション…これらの違い、説明できますか?

 

「DX」という言葉は日本企業の間でもようやく浸透しつつあります。「DX」は「デジタルトランスフォーメーション」の略ですが、これに似た言葉に「デジタイゼーション」「デジタライゼーション」というのがあります。

企業のデジタル化は、一般的にはデジタイゼーション→デジタライゼーション→デジタルトランスフォーメーション、の順に進んでいきます。

しかしこれらの言葉、知っているようでなかなか知らないという人も多いかもしれません。

そこで今回は、いまさら聞けないこれらの言葉のほんとうの意味と現状について少し、知識のアップデートをしてみてはいかがでしょうか。しばしお付き合いください。

日本ではコロナ禍で「DX」に注目集まる

日本のDXは欧米に遅れを取っていると言われることがあります。

しかし新型コロナの大流行により、多くの企業がテレワークの導入を強いられ、変化を拒むことが難しくなってきているのが現状です。令和3年の情報通信白書によると、2020年の4月から5月にかけては、中小企業でも半数がテレワークを実施しています(図1)。

 

テレワーク実施率の図

図1 テレワーク実施率
(▲出典:「令和3年 情報通信白書」総務省  元データは東京商工リサーチ「新型コロナウイルスに関するアンケート」調査による) 

 

テレワークはデジタル技術活用のひとつの形態です。では「テレワーク」は「DX」と呼べるでしょうか? 実は、そうではないというのが筆者の考えです。

「デジタイゼーション」「デジタライゼーション」「デジタルトランスフォーメーション」の違い

テレワークの動きは、実は「デジタイゼーション」「デジタライゼーション」で止まっているといえます。

では、「デジタイゼーション」「デジタライゼーション」「デジタルトランスフォーメーション(DX)」の違いはどこにあるのでしょうか?これらの違いを説明できる人はあまりいません。

総務省の資料に、非常にわかりやすい例えが紹介されています。これら3つの言葉を、「カメラ」について示したものです。

<DXの例:カメラ>

①デジタイゼーション

・フィルムカメラをデジタルカメラに変えること。

②デジタライゼーション

・写真現像の工程がなくなり、オンライン上で写真データを送受信する仕組みが生まれる。

③デジタルトランスフォーメーション

・写真データを使った新たなサービスやビジネスの仕組みが生み出され、SNSを中心にオンライン上で世界中の人々が写真データをシェアするようになる。

引用:「デジタル・トランスフォーメーションによる経済へのインパクトに関する調査研究の請負 報告書」p6 総務省資料 2021年3月

 

多くの業務がシステムによっておこなわれる仕事の形は「デジタイゼーション」です。そして、テレワークのように紙の書類でのやりとりが減り、資料をオンライン上で送受信し共有することで遠隔勤務を可能にしたのが「デジタライゼーション」と言えるでしょう。

そして、上のカメラでの例えを見たとき、テレワークは「デジタルトランスフォーメーション(DX)」と呼べるでしょうか?

「デジタルトランスフォーメーション(DX)」は、あくまで「ビジネスの仕組み」の話です。IoTやICTを駆使して自分たちの業務が効率化されていることは当たり前の前提で、その上で顧客にどんなデジタル経験をもたらすことができるか、のほうが重要なのです。

小売業でのDX事例

アメリカでは大きなDXの事例として、小売最大手のウォルマートの事例がよく取り上げられます。ウォルマートは22年1月期にDXを中心とした設備などに1兆5000億円を投じる計画を立てていますが、その目玉とも言えるのが「マイクロ・フルフィルメントセンター」の拡大です*1

このセンターは店舗併設型の物流拠点です。スーパーの場合、客は店舗に行き、必要なものを店内を探しまわって手に入れるというのが通常の買い物風景です。

しかし、このセンターを利用すると、顧客の買い物はここまで便利になります。

 

ロボットを駆使し、おもちゃや家電、医薬品から食料品まで商品をかき集める店舗併設型の自動配送システムを設ける。ピックアップからパッキングまでに要する時間は5分。青果や精肉など生鮮品についてはスタッフが別途売り場から集め、一つにまとめる。

消費者は自宅や職場でネット注文し、車で店舗の駐車場に立ち寄る。すると、スタッフがとりまとめた商品を車のトランクに入れてくれる。

引用:「ウォルマート、DXで早変わり」日本経済新聞 2021年6月3日

 

顧客にはいくつもの「劇的に新しい体験」が生まれています。

まず、好きな時間にスマホで注文ができるという点です。これについては日本でもネットスーパーが浸透しつつありますが、配送日時が決まっていて自宅を空けられないという不便さは残っています。しかしウォルマートの物流は違います。

注文からわずか5分でパッキングが済んでしまうため、ほとんど待たされることなく必要なものが、まとめられた状態で手に入るのです。そして商品はすでにまとまっていますから、自分で車に積まなくても、そのままスタッフがトランクに入れてくれるのです。

顧客からすると、注文さえしてしまえば、あとはほとんど手間のかからない買い物になるのです。アメリカは車社会ですから、なおのこと便利なシステムであることでしょう。

日本企業の意識はどこまで進んでいるか

さて、日本企業がIT投資における今後の重点課題としているのは下のような項目です(図2)。

日本企業が考える今後の重点課題

図2 日本企業が考える今後の重点課題
▲出典:「デジタル・トランスフォーメーションによる経済へのインパクトに関する調査研究の請負 報告書」p14 総務省資料 2021年3月) 

 

多いのは「業務プロセスの効率化とスピードアップ」「働き方改革(ニューノーマル、テレワーク)」となっています。これらはどちらかといえば、「デジタライゼーション」の領域に入る項目です。

そして「ビジネスモデルの変革」を「重要課題」としている企業は半数に満たず、かつ「取り組み中」としている企業は全体の3割止まりです。最初の「DXレポート」が2018年に公表されたことを考えれば、のんびりしすぎているように感じます。

そしてDXが最終的に目指す「商品・サービスの差別化・高付加価値化」についても、課題としている企業、取り組んでいる企業ともに3割止まりとなっています。

本気でスピードアップしなければ海外企業に負ける

そもそもDXに関心を持ち始めた時期が、日本企業は大きく遅れています。Googleトレンドを見ると、日本人の関心は世界的に見ても遅れており、コロナ禍になってようやく急上昇しています(図3)。

グーグルトレンドの図

図3 Googleトレンドの検索数
▲出典:「デジタル・トランスフォーメーションによる経済へのインパクトに関する調査研究の請負 報告書」p12 総務省資料 2021年3月

 

スタートが年単位で出遅れている以上、DXは今考えているよりも急ピッチで進める必要があります。そのために必要なのは、以下の点だと筆者は考えます。

  • 全社の意思統合=部門ごとのDXは、のちに必ず統合しなければならない時期が来るため、かえって取り組みを遅れさせてしまいます。
  • ビジョン=何をやりたいのかが明確でなければ、何を変えれば良いのかが定まりません。

そして、「いきなり100点を求めないこと」も重要です。100点を取ろうとして考えすぎているうちに、他者のDXがどんどん進んでしまい差をつけられてしまいます。

DXは一度導入して終わりではありません。新しい技術、ビジネスの在り方を考え続け、更新し続ける必要があります。

そのためにも、導入のハードルを自分自身で上げすぎないこともまた重要なのです。

 

「さくらの夕べオンライン 西新宿セミナールームご利用ありがとうございましたナイト」レポート

タイトル画像

こちらの記事は、2021年3月にさくらのナレッジで公開された記事を再編集したものとなります。文●法林浩之

2021年2月25日(木)の夜に「さくらの夕べオンライン 西新宿セミナールームご利用ありがとうございましたナイト」を開催しました。本記事ではこのイベントの模様をレポートします。

 

西新宿セミナールームとは

西新宿セミナールーム」は、住友不動産西新宿ビル4号館という建物の一室です。定員は45人で、WiFi完備などIT企業らしい点はありますが、基本的にはごく普通のセミナールームです。

さくらインターネットがこのセミナールームを開設したのは2010年で、それ以来、社内行事での利用に加えて、当時増えつつあったIT系コミュニティが主催する勉強会やイベントへの無償提供をおこなってきました。

代表・田中のツイート画像

提供開始をアナウンスする、当社代表の田中邦裕さんによるツイート

セミナールームの一般開放は2014年3月末で終了しましたが、その後も当社社員が関わるコミュニティの行事には提供を続けていました。しかし、2021年1月末をもってセミナールーム自体がなくなることになり、運用を終了しました。

本来であれば、セミナールームをよく利用された方々にお集まりいただいて終了イベントをしたかったところですが、新型コロナウイルスの流行により集会もままならず、セレモニーもないまま会場を閉じることになってしまいました。しかし、コミュニティの皆さんに何らかの形で終了を報告できないかと考えた結果、オンラインでもいいからイベントをやろうということで、今回のイベントを実施することになりました。

イベントでは、西新宿セミナールームで勉強会を開催したとか発表したとか、何らかの縁のある方々に発表をお願いしました。参加者からも発表を募集し、そちらにご応募いただいた方々も含めて、全部で6人の方にご発表いただきました。それぞれの発表内容をご紹介します。

会場提供側の思い出

最初の発表は、さくらインターネットの横田真俊さんが「西新宿セミナールームの困った事の思いで」と題しておこないました。

 

横田発表資料の画像

 

今回のイベントを開催するにあたり、西新宿セミナールームでの開催数が多いイベントを調べたところ、さくらの夕べ、シェル芸勉強会、プレゼン研究会の3つが挙がったのですが、横田さんはこれらすべてにスタッフとして関わっていました。おそらく西新宿セミナールームをもっともよく利用した人でしょう。横田さんからは会場を利用する際の社内手続きやトラブル対応などの思い出話がなされました。概要を箇条書きでお伝えします。

  • 社内手続きでは、イベント名をそのまま社内に申請するのがちょっとためらわれるような場合があり(下図参照)、そのようなときは穏便なイベント名に変換して社内に申請した
  • 土日はビルの入口が閉まることがあり、その時間帯に参加者が来たら内側からドアを開けて中に入れる対応をした
  • セミナールームとエレベーターホールの間にドアがあり、ここは社員でないと解錠できないので、門番を置く必要があった。そしてドアの外からはセミナールームが見えないので、門番は退屈だった
  • Macだけプロジェクタに映らない問題があった。これは長いHDMIケーブルを使うと信号が弱くなることが原因で、HDMIリピーターを導入することで解決した

そのままでは社内に申請しにくいイベント名の例 (横田さんの発表資料より)

そのままでは社内に申請しにくいイベント名の例 (横田さんの発表資料より)

発表の最後に横田さんは「カジュアルに勉強会やイベントを開ける場があってよかったです。コミュニティにも貢献できたと思います。ありがとうございました」とコメントしました。

シェル芸勉強会と会場とオンライン化の話

2番目の発表はシェル芸勉強会を主宰している上田隆一さんです。

 

上田隆一さんの資料画像

 

シェル芸勉強会はUSP友の会が主催している勉強会で、上田さんが問題を出し、その問題の解となるシェルのプログラム(たいていは1行〜数行で書ける)を参加者がその場で考えて作成するというスタイルで実施しています(過去の問題一覧)。これまで52回のうち22回を西新宿セミナールームで開催しており、シェル芸勉強会の会場としては最多です。セミナールームの思い出としては、毎回ドア開閉の対応をしてくれた横田さんに本当にお世話になったことと、さくらのVPSに負荷がかかるシェル芸がなぜか多く、横田さんに「やめてほしい(苦笑)」と言われながら実行していたことです。

そして、ここ1年ほどは上田さんの自宅からのYouTube配信で勉強会を実施しています。実は西新宿セミナールーム時代から配信は実施しており、大阪や福岡、長崎などにサテライト会場も開設されていました。しかし配信オンリーになると会場からの生の反応がないのがさびしく、また応答速度も遅いのが気になります。そこで実地に近づける工夫として、YouTubeの設定を超低遅延配信にしたり、Discordを導入して音声チャットをYouTubeに引き込むといった試みをしています。また、シェル芸勉強会では勉強会終了後に2次会をおこなっており、こちらもZoomやDiscordなどを利用していますが、実地では複数の会話が並行して進められるのがオンラインでは難しいという点に課題を感じています。

上田さんの資料画像

今後については、再び実地でやることも検討していますが、従来のように数十人が集合できるような会場を企業が提供するのは当面まだ難しいと思われるので、小規模なサテライト会場を多数開設する方法を考えているとのことです。

寺社向けWordPress勉強会からさくら咲く

3番目は小路竜嗣さんが「不滅のサーバー さくらインターネット編」と題して発表しました。小路さんは長野県塩尻市にある善立寺の副住職を務める傍ら、かつてエンジニアをしていた経歴を生かして「寺院デジタル化エバンジェリスト」を名乗って活動しています。

 

小路さんの資料画像

 

その活動の中で当社とのご縁が生まれ、2019年11月に「寺社×ウェブサイト~寺社向けWordPressインストール&サイト構築講習会~」を西新宿セミナールームで開催しました。寺社がウェブサイトを持つ際に必要な知識として、ドメイン選びやウェブサイトの構築・運用方法を伝授するとともに、さくらのレンタルサーバでWordPressを使ってウェブサイトを構築する実習もおこないました。イベントの模様や小路さんへのインタビューを、さくらのナレッジで「『寺院デジタル化エバンジェリスト』に聞く、お寺とデジタルの未来」と題して記事化しています。

 

寺社向けWordPress勉強会の模様

寺社向けWordPress勉強会の模様

実はこのセミナーの参加者は数人で、小路さんも「寺社はウェブサイトの必要性をまだ認識していないようだった」と感じたのですが、その4か月後にコロナ禍となり、事態は大きく変化します。人が集まって法事をすることが難しくなったため寺社も対応を迫られ、ようやくデジタル化やオンライン化の必要性が認識されました。そして、ネットを検索してさくナレの記事を見た寺社から小路さんに取材や相談が来るようになり、現在3つのサイト制作を手伝っているとのことです。「イベントはそれをやって終わりではなく、後に大きな影響を与えてくれる芽のようなもの。ここで生まれた芽がさくらを咲かせますように」という言葉が印象に残りました。

西新宿セミナールームでネコが飛んだ日

4番目の発表は新妻正夫さんです。新妻さんはkintoneやペライチ、CoderDojoなど数多くのコミュニティで活動している方です。今回の発表では、2018年12月に西新宿セミナールームで行われた「小学校プログラミング教育を考える夕べ@東京」が紹介されました。(このイベントはさくナレでもレポートしています)

 

新妻さんの資料画像

 

「小学校プログラミング教育を考える夕べ」は、当社が小学校プログラミング教育を支援する目的で立ち上げた「さくらの学校支援プロジェクト」の活動の1つとして開催したイベントです。新妻さんもCoderDojoなど子供向けのIT教育活動に関わっている関係で、このイベントへの登壇とレポート執筆を依頼されて参加しました。しかし、会場に行ってみると参加者は教育関係のまじめな方々ばかりで、新妻さんには場違いな感覚がありました。

このようなときに場を和ませるのに役立つのが、新妻さんが制作した「ねこたいほう」です。会場の音声をマイクで拾い、それがたまると大砲から猫が発射されるというミニゲーム的なものです。発射するたびに「必要なおうえん」の数字が増えていくので、参加者はより多くの声援を送る必要があり、場が盛り上がります。

 

このイベントから2年余りが経過した現在では、小学校におけるプログラミング教育の必須化が始まり、中学校や高校でも新しい学習指導要領に基づくプログラミング教育が始まろうとしています。教育現場での取り組みの現況は地域や学校によってかなり差があり、情報機器を使いこなしているグループと情報も十分に得られていないグループに二極化している印象ですが、引き続き動向を追っていきたいとのことです。

ミャンマーからも西新宿セミナールームに参戦!

5番目の発表は佐々木健さんです。新妻さんと佐々木さんは、本人からの応募でご発表いただきました。佐々木さんは現在ミャンマーで働いていて、軍によるクーデターやインターネットの遮断などの厳しい状況を乗り越えて本イベントに参加してくださいました。

 

佐々木さんの資料画像

 

佐々木さんからは2つのエピソードが紹介されました。1つは、かつて佐々木さんは西新宿セミナールームのすぐ近くの部屋(当社とは別会社)で働いていた時期があり、その頃にセミナールームによくお世話になったという話です。もっとも用途はセミナーではなく、不要になったサーバや梱包材などを回収業者に出すまでの一時的な置き場とか、社員の宴会場などです。さすがにセミナールームの予定は事前に確認して、空いているときに使っていたそうです。

もう1つは、横田さんの結婚祝いを西新宿セミナールームでおこなった話です。具体的にはプレゼン研究会がその場となりました。このイベントでは参加者全員がライトニングトーク(LT)形式で発表することになっていたので、佐々木さんはバイオリンで木村カエラさんの「Butterfly」を弾くLTをしました。楽器を弾くLTは一度やってみたかったらしく、実績を作れてよかったとのことです。

西新宿セミナールームに代わる新会場を公開!

最後に筆者も発表を行いました。筆者は当社で働き始めてから、自社イベントやコミュニティへの会場提供対応で西新宿セミナールームを利用する機会が多かったです。思い出の行事は2016年5月に行われた「UNIX考古学の夕べ」です。「Unix考古学」を著した藤田昭人さんの講演会で、筆者も日本UNIXユーザ会の幹事として長く活動してきたことから座談会に登壇しました。当日の様子はTogetterで見ることができます。

 

法林の資料画像

 

また、行事以外の思い出として、門番はイベントを見られない、ワイヤレスマイクを使うと近所の公民館と混線してそちらの音声が入ってくる、新宿にあると言いながら駅から遠い、などの話をしました。

ところで、西新宿セミナールームは運用を終了し、また東京支社33階のカンファレンスルームもフロアごと返却したので利用終了となったのですが、このたび新たなイベントスペースを用意したので、それをアナウンスしました。以前は社員の執務スペースだった東京支社32階を全面改装し、来客用の受付およびオープンスペースとしたものです。また、フロア内には配信スタジオ(STUDIO Sakura TKY)も新設し、オンラインイベントへの登壇や、オープンスペースで実施するイベントの配信ができる設備を備えました。

 

東京支社32階リニューアルの画像

 

残念ながら新装オープンとともに首都圏に緊急事態宣言が発令されてしまい、社員が出社して対応することができないので実際の利用はしばらく先になる見込みですが、またいつか集まれるようになったら、コミュニティの皆さんにも会場を提供できればと思います。そのときはぜひご利用ください!

質疑応答

全員の発表が終わった後で質疑応答をおこないました。質問はSlidoに書いてもらい、それを読み上げて発表者に回答していただきました。

 

Slidoの画像

 

―― 勉強会をオンラインで開催するようになって、会場でやっていたときとの違いを感じたことがあれば教えてください。

上田:出題に対する反応がオンラインだと遅いので不安になりますし、反応がないと寂しいです。2次会で行きつけだった店の中華料理が食べられないのも残念です。

 

―― 寺院関連のWordPressを建てるときに、通常のウェブサイトとは異なる点で気をつけることはあるのでしょうか?

小路:同じ名前のお寺が全国にたくさんあるので、ドメイン名選びやSEO対策は非常に気を使います。重複を避けるために、地名を入れたり、お寺にある有名な物などをドメイン名に取り入れることを提案しています。一種のブランディングですね。

 

―― 配信スタジオの使い方について構想はありますか?

仲亀(本イベントの配信担当):今までは専用のスタジオがなく、社員の個人機材で配信してきましたが、今後はこの場所に行けば機材がそろっていて配信できることがまず大きいと思います。配信ができる社員も今は数人ですが、このスタジオを利用してもっと多くの社員が配信できるようにしていきたいです。

 

―― オフラインイベントでは「ここだけの話」として話せたことが、オンラインイベントになって話せなくなったことはありますか?

上田:油断しているとTwitterでバラされたりするので基本的にオフレコの話はしないですよね(笑)。

横田:失言がTwitterで拡散されたことがあるので、オフラインでもオンラインでも気をつけています。

 

―― 翻訳機を使うなどして海外発信を考えたりはしていますか?

上田:シェル芸勉強会は北朝鮮の話とかもしているのでむやみに翻訳されるとヤバいですね(笑)。

筆者:お寺さんは海外向けのコンテンツも作られているんですか?

小路:有名なお寺さんは、英語・中国語・韓国語のコンテンツを用意しているところもありますね。そういう寺社はだいたい大きなお寺さんなので制作は外注で、自作しているところは少ないと思います。

 

―― オンライン勉強会で試してみたいことはありますか?

上田:次の目標はナチュラルな2次会です。私と横田さんがひたすら40代トークを繰り広げて、周囲の人達が「またこいつらやってんな」とか言いながら他の話ができるような場です。

横田:懇親会は確かに課題ですね。最近いろんなツールが出てるんですが、どうもまだピンとくるものがない感じです。

新妻:私はハンズオン形式のセミナーが好きなんですが、リモートでやると進捗の遅い方のフォローがしにくいのが難点ですね。それから、会場に集まって実施すると思わぬ交流が生まれたりするのですが、オンラインだとそういったことが発生しにくいですよね。

上田:ロボット学会でもハンズオンをやりまして、そのときはブレイクアウトルームを活用してトラブル対応をしていました。もっとも、トラブルの大半はハンズオンの課題ではなく、ネットワークにつながりにくいとか、家の回線が遅いとか、そういったものでした。

小路:私もオンラインイベントはときどきやっていまして、例えば「RPA供養部」というイベントを、もう1人のお坊さんと一緒にやっています。使われなくなったロボットとかを成仏させるイベントです(笑)。

筆者:お寺の行事はオンライン化されてるんですか?

小路:一部のお寺さんではそういう取り組みもされていますね。4Kで配信したりとか。うちの寺では三脚とWiFiを用意して、法事の配信向けに提供しています。

 

ご質問いただいた皆さん、ご回答いただいた発表者の皆さん、ありがとうございました!

連動企画もやってみた

ところで、今回のイベントでは、発表や質疑応答といったセッションに加えて、西新宿セミナールームを皆さんの記憶に長くとどめてもらいたいという思いから、2つの連動企画を実施しました。それらを紹介します。

バーチャル背景

西新宿セミナールームでイベントをすることはできなくても、なんとかしてそこでやっているような雰囲気を出せないか、ということで考えたのが、オンラインイベントや会議でよく使われているバーチャル背景の利用です。セミナールームにて写真を撮り、Zoomに合わせて16:9の画角にしたものを用意しました。登壇者用や参加者用など、全部で4種類あります。以下に掲載しますので、ぜひダウンロードしてご利用ください。

 

バーチャル背景1

バーチャル背景2

バーチャル背景3

バーチャル背景4

イベントの写真を収集

西新宿セミナールームでおこなわれたイベントのうち、さくらの夕べなど自社イベントは写真が残っているものが多いのですが、コミュニティの皆さんに提供したイベントの写真はあまり撮っていませんでした。そこで、参加者の皆さんにお願いして、西新宿セミナールームで開催したイベントの写真を、Twitterにハッシュタグ「#さくらの夕べ」付きで投稿していただきました。ツイートのまとめはTogetterで見ることができますので、ぜひご覧ください。

 

第3回さくらの夕べの写真

第3回さくらの夕べ(2011年9月)。リリース前の「さくらのクラウド」を初公開しました

おわりに

社内Slackで「西新宿セミナールームがなくなる」という通知を見て、「最後に何か記念イベントをしよう」という、割と軽いノリでイベントを実施したのですが、終わってみるといろいろと考えさせられることがありました。

とくに思ったのは、小路さんの話にもありましたが、「イベントは芽」であり、次の何かにつながることが大切だということです。これは筆者もいろいろなイベントを運営する中で大事だと思っていることですが、小路さんの発表を聞いて、あらためてそのことを再認識しました。イベントで出会った人と次のコラボレーションが生まれることもよくありますが、これまでの経験の範囲ではオンラインよりも会場にいたほうが多くの人と会話ができるので、次につながる何かが生まれる可能性も上がると感じています。オンラインイベントはまだまだこれから進化する分野なので、このあたりの課題もやがてクリアされることを期待していますが、現時点ではまだ物理的な会場の存在価値は失われていないように思います。

そういった意味で、西新宿セミナールームという会場がなくなることは残念ではありますが、東京支社に新たなイベントスペースもできましたので、今後はそちらでまた新たな歴史を作っていきたいと思います。そして、こうして記事という形で書き残すことで、西新宿セミナールームという会場があったことや、そこで開催したイベントのことなどを思い出してもらえたらうれしいです。

あらためまして、多くの方に西新宿セミナールームをご利用いただき、本当にありがとうございました! そして、また次回のイベントでお会いしましょう!

 

西新宿セミナールーム 長らくのご利用ありがとうございました!

 

 

審判はスマホ。次世代のデジタルスポーツ「SASSEN (サッセン)」が目指す武道のDX

テレビをはじめ数多くのメディアでも取り上げられ、注目を浴びる次世代デジタルスポーツがある。それが「SASSEN (サッセン)」だ。スターウォーズのライトセーバーさながら、光る刀を使ったデジタルチャンバラ。空手の黒帯の師範代で、一般社団法人 全日本サッセン協会 会長の本村 隆馬さんに話を聞いた。

 

本村 隆馬(もとむら りゅうま)さん プロフィール

本村 隆馬(もとむら りゅうま)さん プロフィール

1990年生まれ。福岡県北九州市出身。

高校まで福岡県で過ごし、神戸の大学に進学。卒業後、大阪で会社勤めをする。その後、実家の日本空手道 風林火山武術道場の師範代となり道場を継ぐ。一般社団法人 全日本サッセン協会 会長(現職)。

 

「バッシーン!カッキーン!!」

メイドカフェが軒を連ねる秋葉原のオフィスビルの6階に、その場所はある。刀のぶつかる大きな金属音が響きわたり、ライトセーバーのごとく光が飛び散る。全日本サッセン協会のサムライたちが戦う場。テックスタートアップのようなガラス張りの部屋の向こうには、PCがずらりと並ぶ。

フロア中央のフィールドでは、男性と女性が青く光る刀を手にして向き合い、相手の隙を狙って間合いを計る。一瞬、ここはどこなのか? フロアに足を踏み入れると非日常な空間に戸惑う。壁にはプロジェクターで得点のカウントが映し出され、試合が終了すると電子音が鳴り響く。勝負判定はスマホのアプリでおこなわれ、誰もが納得できる結果が表示される。

モヤモヤした思い

「武道の試合の判定結果にモヤモヤした思いがあったんです」本村さんはそう話す。

父は福岡県北九州市で空手道場を開き、人を傷つけない護身術を教えていた。道場の名前は「風林火山」。本村さんも3歳から空手をはじめた。高校まで福岡で過ごした後、神戸の大学に進学。そのまま関西で就職し、6年ほど大阪に住んでいた。その後、北九州市の実家に戻り、道場を継ぐことになる。

社会人になったら空手に対する視点が変わり、楽しさに気がついた。実家の父を手伝い、道場の師範代になる。父の思いである「人を傷つけずに自分を守る武術」はサッセンの原点だ。

道場では怪我をしない素材の模擬刀で護身術の訓練をしていた。武術の練習メニューの1つだったが、子どもの生徒たちは純粋にチャンバラとして楽しんでいた。武術の中から「武術の訓練」だけを抜き出して独立させてみよう。それが初期の「サッセン」だ。当時は忠実に護身術に従い、剣道、柔道、空手道など、道着を着る人だけが対象だった。

本村さんのモヤモヤは、武道の試合時に審判の判定に泣かされたことに由来する。

「『自分が勝った』と思っても、審判の目によって判定が異なることがあるのです。審判は正しいと判定しつつも、自分にとっては意図しない結果になることもある。審判も人だから、完璧ではないとわかっていても納得いきませんでした」

審判にもどちらが先にあてたかわからない。そのような悩みもあった。師範代となり教える立場になり、責任も自分にかかってくる。見る人もやる人も審判も「みんなが納得する判定はできないだろうか」と考えた。空手は好きだったが、もっと自由に新しいことをしてみたい。チャレンジする気持ちが膨らんでいた。 

「サッセン」の誕生

「サッセン」の誕生

 

父が60代となり、本村さんは道場の後継を託された。「武術の訓練」としてやっていた初期のサッセンも「自由に形を変えて良いなら」と引き受ける。本村さんの思いを現実化してくれる人が現れた。

実家の道場に通っていた、筑波大学を卒業した開発エンジニアで、全日本サッセン協会のCTOの鋤先 星汰(すきさき せいた)さんだ。センサーを組み込んだSASSEN刀を開発し、勝負の判定をデジタルでクリアにできるアプリをつくった。2016年にデジタル判定をおこなう「スポーツ交戦装置」で特許をとり「サッセン」はスポーツとして独立。本村さんは全日本サッセン協会を設立し、会長に就任した。

「『サッセン』は武道の裏口を入口にしたんです」。裏口を入り口とは、どういうことなのだろうか。サッセンは伝統的な武道とは対称的だ。服装は自由、屋内でも屋外でも、裸足だろうが靴を履いていようができる。男性も女性も、老人も子どもも、武道の経験者であろうとなかろうと年齢性別に関係なく対戦できる。

人の目と経験で判断されていた勝負の判定は、刀に内蔵されたセンサーとスマホのアプリがおこなう。デジタル判定は明快で誰もが結果に納得できる。SASSEN刀は赤、青、緑に光り、当たると強烈な音がする。モノトーンに落ち着いた道場でおこなわれる武道とは、まるで異なるのだ。

サッセンのルールは極めてシンプル。2人で対戦し、制限時間は1分間。相手の頭部に当ててはいけない。2本先取したほうが勝ちだ。ただしSASSEN刀を振り回せるのは5回だけ。むやみやたらには振り回せない。ここぞという瞬間を狙い、間合いを詰めて打ちにいく。

何もしないとき、SASSEN刀は青く光っているが、振ると緑、当たると赤に変わる。同時に当たった時は内蔵された圧力センサーが計測し、時間差が0.025秒以内であれば相打ちと判定される。

サッセンの非日常感

サッセンno

提供:全日本サッセン協会

 

サッセンを初めて体験する人も多い。目の前のフィールドでは初対面の男性と女性がSASSEN刀を構え、今や斬らんと向き合っている。日常でそのようなシーンはあるだろうか。

「これ以上のピリピリ感はないと思います。初対面同士でいきなり向き合い、斬り合うわけですから。安全なフィールドの中で、相手がどう出てくるかまったくわからない。未知の相手が繰り出す次の手を探りあっているのです」本村さんはそう話す。緊張の中で、人それぞれの反応が面白い。

「真剣にサムライになりきる人もいます。戦うことが好きだからでしょうか。一方で笑い出す人も一定数います。『何コレ〜ッ』って。ピリッした空気を感じてなのか、思わず笑ってしまうほどの非日常感なのでしょうね」

サッセンの戦いの場に、本村さんがかつてモヤモヤしていた判定の曖昧さはない。テクノロジーが武道のDXを実現した。

「負けると悔しいですが、勝ったときは爽快です。アプリが点数を出してくれて、明確に勝敗がわかります」

フランス発祥のフェンシングでは人の目ではなく、電気審判機で勝敗を判定する。日本武道の長い歴史の中で、同様な考えを実現したのはサッセンが初めてではなかろうか。

ユニバーサルデザインのサッセン

ステージの壁面に投影されたアプリの判定画面(左側)

ステージの壁面に投影されたアプリの判定画面(左側)

 

「誰でも手軽に、どの年齢でも、障がいを持った人も楽しめるスポーツにしよう」

本村さんがサッセンを立ち上げた時のコンセプトだ。年齢性別・障がいの有無に関わらず、同じルール、条件で楽しめる。

叩くと光る、音が出るというSASSEN刀のシンプルな機能は、使い方にも広がりがある。特別養護老人ホームや学童クラブでもレクリエーションとして活用された。たとえば、SASSEN刀をスイカに見立て地面に置き、スイカ割りのように使うこともできる。対戦時の2本の刀から出る音もわけている。視覚障がい者が利用したときは、自分の刀の音がわかるのだ。

SASSEN刀は発砲ポリエチレン製の素材をビニールでラップし、当たっても怪我をしないような安全な素材を使用している。つくっているのは、スポンサーでもある障がい福祉サービス「株式会社 希樹屋」だ。

 

SASSEN刀

SASSEN刀 提供:全日本サッセン協会

 

ここでは就労継続支援B型*1を利用している障がい者の方々が、刀身のコーティングやステッカーを貼る作業をしている。普段はアルコール消毒液をボトルに詰めるなど、エンドユーザーが見えない作業をしている。SASSEN刀は自分たちのつくったものがテレビなどのメディアで紹介されるため、やりがいにつながっているそうだ。

SASSEN刀は1振約20万円。センサーやバッテリー、発光部品が組み込まれ、3Dプリンタでつくられたパーツも使う。

サッセンの新しい使われ方

サッセンのロゴ入りTシャツ

サッセンのロゴ入りTシャツも販売されている。
ガチャガチャは株式会社 希樹屋で作られたもの

 

地下アイドルのオフ会でもサッセンは使われた。秋葉原のスタジオに30人ほどのファンちが集まった。地下アイドルがファンたちのお尻を1人ひとり、バンバンバンと叩いていく。「バシーン」とインパクト大な音がこだまする。ファンたちは「ひぃぃ〜。ありがとうございます!」と歓喜の雄叫びをあげるのだ。

「コンテンツの1つとして自由な発想で活用してほしいと思っています。たとえばサッセンを使った婚活イベントや街コン、企業の研修や新入社員研修、人事の採用にも活用できます。面と向かって話すだけより、サッセンをやっているとその人の性格が出てきます。本気で勝負する人もいれば、相手に気遣いしながら戦う人もいる。ぐるぐる逃げ回っているだけの人もいる。人柄が自ずと引き出されるスポーツなんです」

企業研修では、無礼講でここぞとばかりに上司を叩く部下もいるらしい。

「やりたいことをできるに変える」サッセンのこれから

本村さんにこれからやっていきたいことを聞いた。

「将来的にアジア、アメリカ、ヨーロッパにも進出していきたいですね。コロナ禍もあってまだまだ外国の人に触れる機会は少ないですが、熱心なアメリカ人が通って来ています。香港からも問い合わせが来ています。サッセンのシステムはそれほど難しい仕組みを使っている訳でありませんが、サッセンの概念はきちんと伝えていきたいと考えています」

ビジュアルもワクワク感も楽しめる次世代のデジタルスポーツ。近い将来、ガラスのタワマンに囲まれた街角で子どもたちがSASSEN刀を振り回し、チャンバラをしている光景を目にするかもしれない。

 

全日本サッセン協会URL

 

*1:障害のある方が、一般企業に就職することに対して不安があったり、就職が困難な場合、雇用契約を結ばず生産活動などの就労訓練をおこなうことができる事業所及びサービス

香りを言語化するAIシステムを用いて嗅覚をデジタライゼーションする

「香りを言語化する」。極めて曖昧な感覚をテクノロジーを活用し、1人ひとりにパーソナライズされた言葉にする。香りとIT、AI、UX(ユーザーエクスペリエンス:顧客体験)を掛け算しブルーオーシャンに望む起業家に取材した。人々の美意識が変化し、香りに関わるマーケットが拡大している中、新たな価値を創造するSCENTMATIC株式会社 代表取締役社長 栗栖 俊治さんに話を聞いた。

 

栗栖 俊治(くりす としはる)さん プロフィール

栗栖 俊治(くりす としはる)さん プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学大学院修了。2005年株式会社NTTドコモ入社。以後10年間にわたり携帯電話やスマートフォン向けの位置情報サービス、音声認識機能、GPS機能のプロジェクトをリード。「イマドコサーチ」「しゃべってコンシェル」は大ヒットした。2015年より米国シリコンバレーのDOCOMO Innovations, Incに出向。AIに関わる数々のスタートアップビジネスを発掘し、NTTドコモ本社との協業や出資に成功。2017年に帰国後、SCENTMATIC株式会社(読み:セントマティック)を設立。AIで香りを言語化する「KAORIUM(カオリウム)」を開発。SCENTMATIC株式会社 代表取締役社長・CEO(現職)

豊かさとは「ゼロをプラスにすること」

大学は文系に進むつもりだったが、進路提出直前に考え直して理系に丸をつけた。PC好きの兄の影響で「PCを使って新しい価値を作れたら面白そうだ」そう思い、情報工学科に進んだ。当時インターネットと携帯電話がつながり始めていた。位置情報の研究をしながら、新しいビジネスが生まれる可能性にワクワクしていた。

2005年に株式会社NTTドコモに入社、位置情報サービス企画に配属。ドコモの携帯に初めてGPSが搭載されようとしていた時期だ。母親が子どもを探すための位置情報検索サービス「イマドコサーチ」の主幹として活躍した。

2010年から音声認識サービスのプロジェクトをリードする。当時、音声認識の技術は暗黒時代だった。認識性能が低いうえに、ユーザー調査では「携帯に向かって1人で話すなんて頭がおかしくなった」「気持ち悪い」とまで言われる始末。

しかし、最先端のプロトタイプができて音声の認識性能がグッと上がった。「これなら使えます!」ユーザーからのフィードバックがガラッと変わった瞬間だった。「体感的な感動がニーズを生み出す」経験はSCENTMATIC設立の原点になった。

2012年には「しゃべってコンシェル」というアプリ、いわゆるAppleのSiri のようなサービスをヒットさせた。ここで利用された言語解析機能の知見は、SCENTMATICが開発した「KAORIUM」の自然言語処理にもつながっていく。

2015年に米国・シリコンバレーのDOCOMO Innovations, Inc. に出向。数多くのスタートアップ企業と関わる中で価値創造について考える機会に恵まれる。2018年に日本に戻り、自分が作ってきた価値について考えた。

 

サービスの価値は一言でいうと「利便性」だ。たとえば母親が子どもを探すとき、歩きまわると10分かかる。しかしGPSを利用した「イマドコサーチ」なら1分だ。子どもを探す10分間が1分間に短縮され、9分間が浮く。心配しながら子どもを探すネガティブな9分間がニュートラルな時間になる。ネガティブでマイナスな時間がゼロに近づくのだ。

マイナスをゼロに近づける利便性にも価値はある。しかし栗栖さんはモヤモヤしていた。自分が作っていることは豊かさなのか。シリコンバレー滞在中に、人生を楽しむさまざまな人たちと関わり、カリフォルニアの大自然の中でキャンプもした。位置情報サービスや音声認識で便利になることは、はたして豊かさなのだろうか。

「うれしいとか楽しいとか、ポジティブな瞬間が多いことが豊かなこと。利便性とは異なる軸だと気づきました。豊かさとは『ゼロをプラスにすること』だと」

「豊かさの価値創造をしたい」栗栖さんは考えた。しかしNTTドコモは「人と人をつなぐ」コミュニケーションの企業。「ゼロをプラスにする」価値はドコモではできないと考え、辞める決断をした。

なぜ香りなのか

なぜ香りなのか

 

身近にありながら暮らしを豊かにしてくれるもの。それが香り。アロマの香りはなくても眠れるが、あれば睡眠を豊かにしてくれる。無臭よりも良い香りの洗剤のほうが、皿洗いの時間を少しだけ豊かにしてくれる。

香りにITやAI、UXなど今まで培った経験を組み合わせたら、新しい価値を生み出せそうだ。そう考えて2018年6月から香りを言語化する「KAORIUM」のプロジェクトを始動した。

「『KAORIUM』はデジタルを使った課題解決のアプローチとは異なります。ITを使ってゼロをプラスにし、人々の暮らしをいかに豊かにできるかがポイントです」栗栖さんはそう話す。

香りと言葉がつながる

香りは極めて曖昧な存在だ。人によって感じ方が違う。それをどのようにして言語化するのか。栗栖さんはそれを「香りと言葉の融合体験」と説明する。

「言葉は『何かを定義するもの』でもありますが、同じ言葉でも人によって定義がぶれています。”その人”にとっての定義なんですね。そのため、1人ひとりの中で実体化させるためのツールが言葉なのだと思います」

栗栖さんが具体的に説明してくれた。

「言葉があることで、抽象的なモヤモヤがクリアになります。たとえば美術館での絵画鑑賞を想像してみてください。絵を見ているときの感覚は曖昧で抽象的です。一方、漫画は絵画に言葉を融合させています。セリフによって、主人公が言いたいことがクリアに伝わります。もし漫画にセリフがなかったらモヤモヤの連続ですよね。

音楽も同様で、クラシック音楽を聴いているとき、抽象的だけどなんかいい気持ち。一方、ポップスには歌詞という言葉があるので、泣ける歌では泣ける。言葉は五感が与える体験を増幅してくれるのです」

香りは曖昧な感覚だ。たとえば「なんとなく好き、なんとなく嫌い」という感覚に言葉が融合すると、今までにない新しい体験ができる。それが「KAORIUM」だ。

 

「香りを単純に嗅いだ時は右脳だけが活性化します。でも、どんな香りかを意識しながら嗅ぐと、言語をつかさどる左脳も活性化します。たとえば『スッキリ』した香り。KAORIUMでは言葉を見ながら香りを感じられます。自分の中の『スッキリ』と香りを脳内で紐づけようとします。

『なんかいい香りだな、でもモヤモヤしている』。自分の中で言語化できないものを、KAORIUMのパネル上で言葉を表示してくれます。『スッキリ』だけでなく『爽やか』という言葉も表示され、どんな香りなのか、モヤモヤをクリアにしてくれる。言葉と紐づける体験です」

とあるKAORIUMのユーザーの体験談だ。最初「この香り、嫌い」と言っていた人が、言葉とつながった香りを感じた時に「大好きです!」と快不快の感覚が逆転した。言葉の力、おそるべしだ。

 

KAORIUMの仕組み

KAORIUMの仕組み

クラウド上で実現されたKAORIUMはAIを活用している。香りは人それぞれの感じ方が違うため、その香りに対して「多くの人がどう感じているのか」という言葉のデータをベースに作られている。さらにインターネット上の膨大な文学表現も大量に学習し、AIに流し込んでいる。それによってわかりやすい言葉で表現したり、情景的な表現もできる。ユーザーは自分が選んだ香りに関連する言葉や情景表現を、KAORIUMのパネル上で確認できる。

KAORIUMは日本語対応だけでない。今年の2022年、6月29日から7月1日まで米国のマイアミで開催された2022 World Perfumery Congressに出展。英語版で出展されたKAORIUMの評判は高かった。アンケートでは満足度の平均が10点満点中9.4。NPS(ネットプロモータースコア)という総合的な満足度指標評価が75と出た。言語表現のネックを気にしていたが、「これで海外にも進出できる」と栗栖さんは思った。

 

KAORIUM

日本酒選びが楽しくなった

KAORIUMは飲食店での日本酒選びにも使われ始めている。今までの選択肢から一歩先の新しい楽しみ方を提供する。

お客さんが日本酒を楽しむ場合「美味しい!」だけの反応が多い。一方KAORIUMを利用して選択すると、「白ぶどうの味がする」「マスクメロンの風味がする」という反応もでてくる。さらに「同じような風味の日本酒はないかしら」となるそうだ。KAOIUMが「自分が好きな風味の軸、日本酒を選ぶ軸」を教えてくれ、購買体験、飲食体験を広げてくれる。KAORIUMの専用アプリを入れたタブレットは、導入準備中の店舗も含めるとすでに50店舗以上で導入されている。

「日本酒選びが楽しくなったというお客さまの声をいただきました。KAORIUMで選んだ日本酒が品切れだとガッカリしてしまうお客さまもいらっしゃる。今まではなんとなく銘柄で選んでいたものが、インプットされる情報が増え、期待値が上がった。飲みたいお酒がないと期待値とのギャップで、残念感が大きくなってしまうようです」

 

今まで売れていなかった日本酒も大きく売れ始めた。有名な銘柄はもちろん売れる。有名でなくとも、きちんと伝わるものがあると味わいで勝負できるようになった。栗栖さんが岡山県の酒造メーカー代表から聞いた言葉だ。

「よくぞKAORIUMを作ってくれた。私たちはおいしい日本酒をつくることしかできなかった。唎酒師(ききさけし)がいたとしても、人的稼働がネックとなりスケールできず、おいしさをより多くの人に伝えることが難しかったけれど、AIやITのサポートで伝える機会が広がりました」

KAORIUMは、お客さんに喜んでいただきながらトップラインという売り上げを高めるツールだと栗栖さんは話す。

KAORIUMをフレグランス(香水)で始めた時に、これだけだと日本国内の市場規模を鑑みると海外に進出するしかないなと思っていたそうだ。たまたま日本酒もいけるんじゃないかとアイデアが出た。

「風味もいける」となった時にターゲットとなるマーケットが広がった。ワインやウイスキーも、クラフトビールにチョコレート、そしてお茶もある。風味や香りのあるものは世の中にはたくさんある。

 

やりたいことを出来るに変える「香りはブルーオーシャン」

 

やりたいことを出来るに変える「香りはブルーオーシャン」

「嗅覚は科学が追いついていなかった分野といえます。嗅覚の仕組みを解明した米国人の科学者がノーベル医学生理学賞を受賞したのが2004年です。21世紀に入ってからなのです。たとえばラベンダーはリラックス効果があると大昔から言われています。しかし、ラベンダーに含まれるリナロールという成分が鎮静効果をもたらしているという論文が出たのは、最近の2018年です」

fMRI(脳の機能活動がどの部位で起きたかを画像化する仕組み)の広まりも背景にある。スピリチュアルと言われてもおかしくなかった領域に、やっとサイエンスが追いついてきたと栗栖さんは話す。

 

サイエンスの世界も含め、今までは視覚と聴覚が大半だった。視覚と聴覚に対するテクノロジーは人間の認知能力の上限を超えつつある。4K、8Kと解像度をこれ以上あげても見えかたに大差はない。一方、嗅覚の領域はブルーオーシャンだ。嗅覚というもう1つの次元を追加することによって体験・体感の奥行きが変わる。さらに、これからはパーソナライズされた香りの市場も大きくなる。

「私たちのビジョンは香りを通して豊かな暮らし、こころ豊かな瞬間が増えることです。これからの時代はQOL(Quality of Life) 、人生や生活の豊かさが大切になってきます。豊かさの実現のため香りや風味に対して、喜びを感じられる瞬間を作っていきたいですね」栗栖さんは穏やかながら熱く語ってくれた。

 

SCENTMATIC株式会社

 

ジャニーズJr.から広告会社のCCOへ。”なごまる”こと丸山紘史さんの自己プロデュース力

株式会社オールブルーCCOの丸山紘史さんは、学生時代にジャニーズJr.として活動していた経歴を持つ。ジャニーズを辞めて国立大学に進学し、博報堂に入社。現在は株式会社オールブルーのCCOとして、多くの広告を手掛けている。

そんな丸山さんは今年7月、大阪・梅田の商業施設「HEP FIVE」夏のバーゲンの広告を担当。イメージキャラクターに関西ジャニーズJr.のAぇ! groupを起用したことで、「元関西ジャニーズJr.が古巣に貢献」と話題になった。

丸山さんの経歴は一見すると華やかだ。しかし、アイドルとしての限界が見えて仲間から逃げてしまったり、大学に馴染めなかったり起業に失敗したりと、その道のりは決して平坦ではなかったと言う。丸山さんのキャリアについて伺った。

 

丸山紘史(まるやま ひろし)さん プロフィール

丸山紘史(まるやま ひろし)さん プロフィール

1986年生まれ。株式会社オールブルー 取締役CCO。2010年博報堂入社を経て、2014年よりオールブルーへ。広告業界一のミーハーを自称しており、広く浅く流行を追いかける。SNSを起点としたコンテンツマーケティングを得意とする。何かと目立ちたがり。

10代で「市場原理が働く場所」にポンと入れられた

――丸山さんは元関西ジャニーズJr.とのことですが……。

実は関西ジャニーズJr.というのは間違いで、僕は愛知県春日井市出身で、大阪と東京を行ったり来たりして活動していました。学校が名古屋だったので、「なごまる」なんて呼ばれていましたね。

 

――そうなんですね! ジャニーズに入ったきっかけは?

中1のとき、NHK名古屋放送局が制作しているドラマ『中学生日記』のオーディションを受けたんです。そしたら受かって、出演するようになりました。

ドラマに出はじめて1年ほど経ったとき、家に電話がかかってきて。出たら、知らないおじいさんが「僕だよ」と言ってきたんです。

 

――まさか……!

そう、ジャニーさんです(笑)。「今週末にレインボーホール(現在の日本ガイシホール)でコンサートがあるから見においで」と言われました。それでコンサートに行ったら、少年が何人か集められていて、「Youたちコンサート出ちゃいなよ」と。ダンスなんてしたこともないのにいきなりステージに上げられました。

その翌週、呼ばれるがままに東京に行ったらアイドル誌の取材で、そこから活動が始まりました。1999年、中1のときです。はじめは雑誌の取材のため月1回東京に行って、途中から大阪に呼ばれるようになって。東京と大阪を行ったり来たりして、舞台に出たり、先輩のバックで踊るようになりました。

 

――ダンスって未経験でもすぐに踊れるようになるんですか?

いえ、悲惨でした(笑)。東京と大阪のJr.は日常的にレッスンを受けていたみたいですが、僕は地方で平日のレッスンに通えないから、コンサート当日に振りを覚えるんです。だからぜんぜんできない。それが悔しくて、自腹で名古屋のダンススクールに通いはじめました。

 

――なりゆきで始まったジャニーズJr.生活ですが、丸山さん自身は楽しめていたのでしょうか?

仲間ができてからは楽しかったです。僕は、将来はアイドルというよりテレビに出て役者をやりたいという思いがあって。Jr.の仲間もバラエティやニュースなど、それぞれに将来のビジョンがあったので、よくそんな話をしていましたね。

 

――中学生くらいですでに将来のビジョンがあるんですね。

10代で市場原理が働く場所にポンと入れられるわけだから、みんな自己プロデュースの鬼になるんです。ジャニーさんが拾ってくれたということは、何かしら光るものがあるはず。だけどそれを誰かが磨いてくれるわけじゃなく、「Youたちの魅力は自分で見つけて手を上げてごらん」というマネジメントスタイルなんです。だから自分の強みを主張できない人はフェイドアウトしちゃう。

 

――厳しい世界ですね。

コンサートのうちわや出待ちの列で、自分の人気がはっきりわかってしまう世界なので。とにかく自己分析しまくって、どうしたら自分は生き残れるかを考えつづけた中高生時代でした。

国立大学に進学するも馴染めず、バックパッカーに!?

国立大学に進学するも馴染めず、バックパッカーに!?

 

――高校3年生のときにジャニーズJr.を辞めたそうですが、その理由を聞かせてください。

当時、グループでデビューを目指していたんですが、他のメンバーはともかく、僕はスターにはなれないとわかってしまったんです。自己分析力が高いからこそ、自分の限界が見えてしまった

そんなとき、以前ジャニーさんと話したことを思い出しました。僕、「ジャニーさんみたいになりたいかも」って言ったことがあるんですね。そしたら「Youはテレビ局とか広告会社とか、プロデュースすることに向いているかもね」と言われました。何気ない会話だったんですけど、心に残っていて。

 

――ジャニーさんみたいになりたかったんですか?

ジャニーさんって、「〇〇と△△を同じグループにしたらこうなる」とか「それを世に出すベストなタイミングはここ」とか、常に頭の中でワクワクしながら考えていたんです。その仕事ぶりを間近で見て、本当にものすごいことをしているなと思っていました。

 

――それで裏方志望に?

それだけが理由ではないんですけど、悩んだ末、ジャニーズを辞めて大学進学することにしました。中高生時代に普通の学生生活を送れなかったから、学生生活に憧れもあったし。辞めることはジャニーさんにだけ伝えました。

 

――グループの人たちには伝えなかったのでしょうか?

言おうと思ったけど、どうしても言えなかった。3人グループだったんですけど、3人で頑張っているのに僕だけ抜けてしまう後ろめたさがあり、逃げてしまったんです。勝手に辞めて、メンバー2人とは一切連絡を取らなくなりました。

 

――その後、大学受験をしたんですね。

中高ではまったく勉強しなかったので、成績がほとんどビリの状態で高校を卒業して。浪人して一年間がむしゃらに勉強し、地元の名古屋大学に合格しました。

受験の直前まではE判定だったんですよ。だけど、いままでいろんなことを乗り越えてきたし、「俺なら奇跡起こせるでしょ」と自分に言い聞かせて試験に臨んだら、本当に奇跡が起きた。僕はどんなに動揺しても、できると思いこむことでゾーンに入って乗り切れるんです。自己暗示をかけるのがうまいというか。それは芸能活動で培った力ですね。

 

大学入学後の生活

 

――入学後はどんな大学生活を送ったのでしょう?

最初はサークルや学祭実行委員会に入りました。だけど「ジャニーズjr.だった人でしょ」とか言われるたびに嫌になっちゃって……。だんだん1人で過ごすようになりました。

することがないから1日1冊ペースで本を読んでいたら、沢木耕太郎さんの『深夜特急』に出会って、影響を受けてすぐさまインド行きの航空券を買って。1ヵ月くらい、インドでバックパッカー旅をしました。よくある大学生の行動パターンです(笑)。

それがきっかけでバックパッカー旅にハマって、お金を貯めては1人で海外に行くようになりましたね。東南アジアやヨーロッパ、アメリカなどをプラプラして、帰国してお金貯めて、また旅に出て……の繰り返し。授業はあまり出てなかったけど、なんとか単位だけは取っていました。

大学生で起業に失敗。インターン先で戦略性を発揮

――大学3年生になると就活が始まると思いますが……。

自分で何かやってみたくて、3年生のときに友達と起業しました。学食のトレイにトレイマットとして広告シールを貼り、その広告枠を自動車学校や旅行代理店などに売る会社です。いま思うと稚拙なビジネスモデルなんですけど。

でも、事務所を借りたところで、もっとも大きなクライアントとの契約が流れてしまって。僕以外みんな心が折れちゃって、会社の話は立ち消えになりました

 

――大学生にとっては大きな挫折ですね。

広告会社を起業して失敗したので、「じゃあ俺、ちょっと広告学んでくるわ!」ってことで、博報堂のインターンに応募しました。インターン先で広告の仕組みを学んだとき、筋書きを書いてプロデュースする点がジャニーさんの仕事と似ていると感じて。それで博報堂に興味を持ち、インターン採用を狙いました。

 

――倍率がすごそうです……。

だけどジャニーズのときと違って、アピールする相手は大勢のファンではなくたった3人の人事担当者。戦略次第で勝てると思いました(笑)。

 

――ジャニーズJr.として活動していた経歴は強みになりましたか?

あえてジャニーズの経歴は隠して、エントリーシートにも書きませんでした。どうせ身元を調べるだろうから、そのときに「実は元ジャニーズjr.だった!」とバレたほうがかっこいいので。バレなかったときはインターンの友達にそれとなく話して、そこからバズって人事の耳に届くことを狙っていました(笑)。

 

――戦略的! 丸山さんは自分のどんなところをアピールしたのでしょう?

僕はコミュニケーションのバランス感覚を売りにしようと思いました。「俺が俺が」と前に出るタイプが多い中で、声が小さい人たちの意見を聞いて取り入れるなど、自己主張ばかりでなく「聞き手になる」ことも意識しました。外見や経歴が派手なぶん、所作を誠実にすることでそのギャップが魅力になると気づいていたんです。「あいつ、すごくバランス取れたやつだな」と評価されるような、そういう人間を演じきりました。そして、無事に内定を掴み取ったんです。

「面白そうな話が来たらすぐ乗る」と決めている

「面白そうな話が来たらすぐ乗る」と決めている

 

――入社してからは順風満帆だったのでしょうか?

キラキラした仕事を想像していたんですけど、入社すると「あれ、意外と泥臭いな?」と。

なにより、自分のペースでいられないことがストレスでした。自分の仕事は終わっているのに空気を読んで残業したり、行きたくないけど上司と飲みに行ったり……。僕は中高あまり学校に行っていなかったし、大学もゆるくバックパッカーしていたから、社会人になっていきなり型にはめられた感じがして、それが窮屈でした。

 

――その時期をどうやって乗り越えましたか?

ちょうどその頃、ジャニーズJr.時代にグループを組んでいたメンバーから連絡が来たんです。5年ぶりに再会して、やっと「勝手に辞めてごめん」と言えました。それから友人として彼らと会うようになって、「エンタメってまだまだ面白くしていけるよな」とか、昔みたいに夢を語り合えるようになって。それでなんとか腐らずにいられましたね。

 

――ジャニーズJr.時代から仲間の存在が大きいんですね。

でも、仕事では相変わらず悩んでいました。言われたことを80点くらいのクオリティでこなしていたんですけど、だんだん「一生これでいいのか……?」と思うようになって。ストレスで味覚を失ったこともありました。

それで、信頼している人事の方に相談したんです。そしたら「紘史はさ、型にはまることができちゃうから辛いんじゃない?」と言われて。

 

――器用だからこそ、周りの期待に応えられるんですね。それでストレスを溜めてしまう……。

そうなんですよ。それに気づいて、自分を型にはめるのをやめました。「自分らしくして、それで怒られたって別にいいじゃん」と割り切るようにしたんです。昔みたいに茶髪にしてピアスつけて、行きたくない飲み会は断って、仕事を5時半までに終わらせて帰る……みたいな。最初は衝突もありましたが、だんだん「あいつはそういうやつだ」と認知されて、後輩からも支持されるようになりました。

それで仕事が楽しくなってきた頃、まったく接点のなかったある先輩にいきなり「オールブルーって会社作ったんだけど一緒にやらない?」と誘われたんです。どういうことかと言うと、起業したい社員に博報堂がお金を出してくれる“社内ベンチャー制度”があって、その制度によってできた会社だったんですよ。

 

――ジャニーさんから電話がかかってきたエピソードと、どことなく似ていますね。

まさに「You、一緒に会社やらない?」みたいなノリでした(笑)。なんか僕、天才プロデューサーにフックアップされることが多い人生で。面白そうなことには乗ると決めているので、即座に「やります」と返事をして、博報堂の社員でありながらオールブルーに出向しました。※2022年3月、オールブルーは博報堂から独立。丸山さんも現在は博報堂の社員ではない。

 

――来た話に乗るには反射神経が必要ですよね。

なので、平日はフルで打ち合わせを入れないようにしています。いきなり連絡がきて「いま空いてる?」と言われてもパっと行けるように。それが大きな仕事に繋がっていることがけっこうあるんですよ。舞い込んできたチャンスを逃さないよう、常に余白を意識しています。

 

――オールブルーにジョインして変わりましたか?

今年の3月末まで博報堂の社員だったんですが、4月から独立して、いまは僕らがオールブルーの経営権を持っているので、より自由に仕事できています。博報堂時代はSNS投稿もあまりできなかったけど、いまは自由に発信できるし。「HEP FIVE」のツイートがバズったおかげで、いろんな方に僕やオールブルーのことを知ってもらえました。

 

丸山さんの「やりたいこと」

――今、やりたいことはありますか?

東京を、日本をアップデートしていきたいです。既存のものをぶっ壊してまったく新しいものを作るのもいいけど、既存のものにだって良さはたくさんある。だから既にあるものの良さを生かしつつ、それを3%でもアップデートして時代にフィットさせることが僕の役割かなと。

そのためには最新の情報や価値観についていかなきゃいけない。だけど自分が50歳になったときのことを考えると、やっぱり古くなってしまうと思うんです。だから下の世代を仲間にして、常にアップデートしつづけられるチームを作るのが今の課題ですね。

 

――さいごに、読者へのメッセージをお願いします。

引き続き、SNSなどで積極的に発信していこうと思っています。今後もいろいろなことを仕掛けていくので、ぜひ楽しみにしていてください!

 

株式会社オールブルー

 

 

(撮影:ナカムラヨシノーブ)